第 十一回前編(イブラシル暦687年2月)

決戦前夜(前編)
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「・・・・ これがヴォルダインに頼んでいた鎧?」
「そうだ。うん、やはりいい出来だ」
 二人が眺めているのは、一着の鎧だった。
 黒く染められた漆黒の甲冑だった。全体的に黒を基調としているが、前たれなどには赤く印字が刻まれている。
 工房【匠華】の鍛冶師の一人、ヴォルダインが製作した鎧だった。見た目の重厚さとは裏腹に、かなり軽く、動きやすい造りとなっている。
「ゼロの弓もよかったけど・・・・これもいい出来だね」
「そうだな」
 アッシュは背中に背負った自動弓を軽く叩いた。
 今背中に持っている大型の自動弓も、同じく工房【匠華】の鍛冶師、ゼロ・ラ・ルーファスに作ってもらったものだ。決まった銘はないが、使い魔 であるエフィルに力を供給する力を増強してくれる不思議な力がこめられた、いい品だ。
「さっそく着替えてみよう」
「やっと念願の全身鎧だね」
 エフィルの言葉にアッシュはうなずいた。いつか全身鎧を着込み、今のフード姿から抜け出す・・・・・それがひそかにアッシュの目標だった。怪 しいのはかわりないが、見かけがいくらかはましになる。
 いざ鎧を着込んでみると、注文どおりとても動きやすく作られていた。間接にはまさしく職人芸とでも言うべき精巧な隙間が刻まれていて問題なく 動くことができるし、そのうえで防具としての質も落としていない。絶妙なバランスは、まさに神業といっていいだろう。
(よくもまあ、あまり金を出せない中、こんなものを)
 最後に篭手をはめて、アッシュはエフィルを振り返った。
「どうだ?」
「・・・・なんだか、別人みたい」
 それまでのみすぼらしいフード姿から、アッシュは勇ましい黒騎士へと姿をかえていた。フルフェイスの兜にはブレスが刻まれている。アッシュは ためしに動いて、動きの調子を確かめた。
「気に入ったみたいね」
「ああ。本当にいい品だ」
「フード、かぶるの?」
 受け答えしながら、一度は脱いだフードを着込むアッシュに、エフィルが問いかけた。
「そのつもりだ。フードは邪魔だけどマントは使えるからな」
 それに答えると、アッシュは鎧の上に、かすかに黄ばんだマントを着込んだ。
「・・・・ちょっと一気にみすぼらしくなったかも」
「コレぐらいの方が私にはお似合いさ」
 笑いかけながら、アッシュはマントの留め金をパチンと止めた。
「エフィル、今日はここで体を休めよう」
「うん・・・・いいけど。その前に食事ね」
「ああ」
 素直に従うと、アッシュは腕の先を、エフィルの額にかざした。



 それからしばらくして、焚き火を囲んで、アッシュはヌルから手渡されたカードをくっていた。
 地下奥底だが、どうやら通気口がいたるところに確保されているようで、酸欠の心配はない。特にアッシュなどは、窒息死する危険すらない。
 エフィルは一足先に毛布にくるまって、寝息を立てている。
 その姿をふと眺めて、アッシュはカードを一枚切った。
 カードは奇しくも『世界』。彼女があの時選んだ、22枚の内の一枚だった。
(・・・・彼女には、悪いことをしたな。無理やりこんな地の奥底まで連れてきて・・・・・・)
 心の中で謝罪する。が、それでもやはり自分には、彼女になにもしてやることがないのだと少し暗い気持ちになった。せいぜい活力を分け与えるぐ らいだ。
 本当に、オベロンと戦った先に何かがあるのだろうか。あのヌルとかいう占い師はそういっていたが・・・・・・
 …考えても始まらないか。戦ってみるしかあに。
 アッシュは小さくつぶやくと、カードをもう一枚切った。出てきたカードは女教皇。錫杖を持った、栗色の長い髪の女性が描かれている。
 その絵がふと、昔の知り合いにダブって見えた。
(・・・・そういえば、昔いたな。私によく説教をした女僧侶が)
 まだアッシュがアッシュという名を名乗っておらず、今の体ではなく生きていたころ。
 彼は灰色騎士団という騎士団に所属していた。灰色と書いて『カイショク』と読む。昔夜襲のために銀色の鎧を少しでも目立たなくしようと表面を 削り、鈍い色の鎧で戦いに赴いたことが由来だという話もある。
 その騎士団の中に、エカテリーナという女僧侶がいた。普段砦の医務室に勤め、負傷した団員達の手当てをしていた女だった。
 アッシュはたびたび作戦で怪我を負って帰ってきていたが、毎回医務室にはよらないで自分で治そうとする問題児だった。そしてそれがばれるたび に(というよりも、毎回だが)彼女は彼のもとまでおしかけて説教をするのだ。
(あいつも、とんだお転婆だったな。黙っていれば清楚ないい女に見えるというのに)
 アッシュはかすかに苦笑を浮かべた。
 ――しかし彼女は、もういない。バルバシア兵が砦を襲ってきたときに彼女は砦に残り、そしてアッシュの目の前で死んだのだから。
 ・・・・私よりも、彼女の方が生き残るべきだっただろうにな。
 ふと、自虐的につぶやいた。しかし首をふる。
 だがしかたない。生きているのは自分なのだ。せめて心優しかった彼女のためにも、何が成せるかを探そうと。
 そのためにも、オベロンとの戦いには全力で赴かなければならない。
(もう寝よう。戦いはすぐそこまで迫っているのだから)
 アッシュは、毛布をかぶった。



「立ち止まりなさい」
 騎士団の廊下を歩いていると、背後から呼び止められた。
 何事かと振り返ってみれば、栗色の長い髪の法衣の女性がいた。砦につとめている女性なのだから、当然知っていた。
「何か用か? エカテリーナ」
「――その左手はどうしたんですか?」
 問われて、男は包帯を巻いた左腕を隠した。
「かすり傷だ。気にするな」
「それを決めるのは私です。見せなさい」
 だがエカテリーナは彼の言葉に聞く耳をもたず命令をした。観念したのか、男はしぶしぶと包帯を巻いていた左腕をさしだす。
 包帯はかなり厚めに巻かれていたが、奥に茶色い血のシミが広がっているのが見えた。
 女性は傷口を見ようと包帯を解こうとする。そしてきつく縛られた包帯に、舌打ちした。
「やけにきつくしばりましたね・・・・・これで治療したつもりなんですか?」
「部屋に帰ってから、治療しようと思ったんだ」
「なんで素直に、医務室に来ないんですか」
「口うるさい奴が……いつつ!」
 傷口の包帯を縛り上げられて悲鳴を上げた。もだえる彼を見つめる視線で、彼女がわざとやったのだとわかる。
「ほら、こんなことをするから……」
「あなたが先に余計なことを言うからです。何も言わなければ、私は何もしませんよ」
「・・・・じゃあ今回は小言は勘弁してくれるのかな」
「できません。医務室の方でじっくりとさせていただきます。・・・・・この傷では、ここでは無理ですね・・・・」
 エカテリーナの言葉に、げんなりとした表情をつくった男は、ふと気づき、彼女を見た。
「ちょっと待て。なんでこんなところまで医療キットを持ってきているんだ?」
「あなたのせいですよ。怪我をしたってナグルから聞いたのに、医務室にこないから・・・・。しょうがないから、私がここまでご足労したんです」
「それはそれは。ありがたいことです・・・・・うあたたたた!」
「白々しいです」
「感謝している! 感謝してるから指をねじこむのはやめろ!」
「よろしい」
 鷹揚にうなずいて、エカテリーナは指を離した。男はフゥ、と一息つく。
「ったく、治す気があるんだかないのか……」
「あなたが言わなければ」
「…わかったよ。大人しく従うから」
「よろしい」
 もう一度鷹揚にうなずいて、女は廊下を歩き出した。男はしぶしぶと、その後ろに従った。



「また、一人で敵陣の中に突っ込んだそうですね」
「ん? ああそうだ」
「現場でリーダーを任されたとはいえ、少し無茶のしすぎじゃないんですか?」
「一人が突っ込んで中をかく乱し、後陣が突入する。作戦としては効果的だ」
「そのかわり突入する一人は危険で、こうして怪我を負って治療を受けていると」
「……悪いな、手をわずらわせて。だけど」
「そういうことを言っているんじゃありません」
 ピシャリ、とエカテリーナは男の言葉をさえぎった。
「私の手間がかかるとか、そういう話じゃないんです。……なんでいつも、自分だけそう無茶をするんですか?」
「………」
「答えないなら……」
「わかった! 話す。話すからやめろ!」
 ガーゼをきるためのハサミをちらつかせるエカテリーナを、男は慌てておしとどめた。
「あまり、他人に言うような話じゃないんだけどな…」
「言ってください」
「……戦場では敵は手加減をしてくれない。何が起こるかもわからないし、誰でも命を落とす危険性はある」
「そうですね。それで?」
「だが戦い方次第ではその可能性を限りなく0に近づけることは可能だろう」
「………?」
「つまり私があえて自分の身を危険にさらすのは、その可能性をできるだけ減らすためだ」
「ですが、あなたは」
「――私一人で残り5人の命を守れるのならば、安いものだ」
 男のその話を聞いて、ぴくりと女の形のいい眉が揺れた。
「あなたは確か……騎士道精神は持ち合わせていないのではなかったのですか?」
「騎士とは関係ない。私一人の信念だよ」
「自らが盾になると? なぜ?」
「だから、それが信念だからだ」
「もう少し詳しく話してください。自己犠牲のつもりですか?」
「そこまで偉そうに語るわけじゃないが。……こういうことは、あまり他人に言うべきではないのだろうがな」
「なんです?」
「…君は聞いたら怒るだろうな。私は……したいことがない。いや、それは嘘だが。紅茶やコーヒーの類を飲むのは好きだし、本も読みたい。ゆくゆくは剣の腕 を上げて、強者達と手合わせをしたい。……だが別になくてもいいんだ。目標や夢と呼べるものがない」
「まさか……いつ死んでもいい、なんて言うんじゃないでしょうね」
「肯定する」
 短く告げた男に、女はカッと表情を変えた。美しい顔に、怒気とも悲嘆ともつかない表情が浮かぶ。
「死に急ぐつもりですか。ならば今すぐここで手首を切って死になさい」
「違う。別に死にたいわけじゃないんだ。……ただ、私が生きるよりは、他の奴らを生かした方がいいというだけだ」
「戦争では、相手を何人も殺してきたでしょう。今日戦ったバルバシア兵だって、とどめをさしたのではないですか?」
「あいつらは…敵だ。ほうっておけば、私の仲間や大切なものが奪われる。降伏する時間だって与えてやった。それにそれを言うのなら、お前だって間接的に」
「………」
 男が言うと、女は苦渋の顔で視線を逸らした。それに、男は言いすぎだったかと思い直す。
「……すまない。ともかく私は、私の今のやり方を変えるつもりはない」
 言うと、男は立ち上がった。女は慌てて呼び止める。
「まだ治療は済んでいませんよ!」
「後は私一人でもできる。…ありがとう」
 男は医務室を出た。
 一人残されたエカテリーナは、最後にほうっと、ため息をついた。



「よっ」
 医務室を出るとすぐ、声をかけられた。金色の髪の優男だった。ナグルという名の騎士で、弓の扱いが得意な男だ。
「今回もこってりしぼられたか? 心なしか、いつもより悲鳴が少なかったような気がするが」
「………お前か、エカテリーナに俺が怪我をしたのを教えたのは」
 恨みがましい声で言うと、ギクリとナグルの表情がこわばった。図星を指されて動揺しているらしい。
「……まぁいいが」
 緊張を吐き出しながら言うと、「ははは……」とナグルは愛想笑いを浮かべた。
「まあちゃんと治療しないと後に触るぜ? 任務で遅れをとっちゃまずいしな」
「…ああ、そうだな」
「それにあんな美人とマンツーマンで治療してもらえるなんて嬉しいことじゃないか。俺なんかいっつも後衛だから怪我するなんてことめったにねぇし、したら したらで、別のやつだしな。今まで一度もエカテリーナにかかったことないんだぞ?」
「だったら…」
「ん?」
 ゆらりと、腕をナグルの首にかける。
「私が医務室に送ってやる!」
「あだだだだだ!」



「……ナグルさん、なんでさっきからなんで首をさすっているんですか?」
「……ちょいと、通り魔にあってな」
「誰が通り魔だ」
 ナグルが漏らしたつぶやきに、男がぴしゃりと言葉を返す。それでなんとなく事情が飲みこめたのか、問いかけた少年は言葉を飲み込んだ。
 今少年も含めて三人がいるのは、灰色騎士団の食堂だった。食堂が混雑することを考えて、部署の人間ごとに時間をずらしているのだが、それでも かなりの混雑を見せている。
 同じテーブルにはナグルと少年、それと、顎鬚を生やしたずんぐりむっくりの体型の男がいる。少年がジュリアン、男がザクセンといった。ジュリ アンはまだ騎士に昇格したての新人で、ザクセンは40は越えているように見えるが、実はまだ26歳とナグルとそう変わらない年だ。ジュリアンはすばやい身 のこなしを利用して槍や片手剣を、ザクセンは両手剣や斧といった重量のある武器を好んで操る。
「よ、席あいているかい?」
 と、新たに声がかけられた。誰かと見上げると、皮鎧に身を包んだ、ショートカットの女が立っていた。
「ミリアか」
「席もらっていいね? 座るよ」
「ああ」
 うなずいた彼の隣に、ミリアは座った。
 ミリア、というその女騎士は、男顔負けの腕力と敏捷さが武器の、ポールアクスを操る女傑だった。本来この時間帯に昼食をとることが少ないの で、彼らは意外そうな顔をする。
「今日は9隊の方は非番だったのか?」
「うん、そう。この前3隊の変わりに出ばったから交代だって」
「3隊って、内緒で鍋つついて食中毒起こしたんだっけ?」
 ジュリアンが訊ねた。それに「そうそう」とエイミはうなずく。
「なんでもけっこう強力な毒でわざわざ解毒までかけてもらったんだとさ。その上謹慎処分に減棒、無料奉仕まであるから、奴らも散々だねぇ。まあ自業自得だ けどさ」
「ここにも、同じ罰をくった奴がいるけどな」
 ザクセンがつぶやくと、「うっ」と悲鳴が上がった。ナグルだった。ミリアが呆れた声をかける。
「あんたもかい? ナグル」
「は、はは……いやだって3隊のやつがとてもおいしい魚手に入れたってどうしても誘うから・・・実際おいしかったし」
「ちなみに、キュアポイズンをかけてもらったのはこいつだけだ。一人だけ大騒ぎだったし」
「いやだってまじ痛かったんだって! 死ぬかと思ったんだぞ!?」
 ナグルが一人だけ大騒ぎするが、他の四人は聞く耳をもたない。
「軟弱者」
「ぬぐっ…て、てめえだって……!」
「――毎回、女の私に悲鳴を上げさせられているのにですねぇ」
「そうそう……って?」
「ご一緒させていただきますわ」
 そう言って問答無用にジュリアンの隣、彼の正面に座ったのは、エカテリーナだった。彼が、驚きの声を上げる。
「エカテリーナ、なんで……?」
「あら、私がご一緒して問題がありますか?」
「……いや、何もないが」
 尻つぼみに言った彼は、場を濁すためにスープをすする。彼とエカテリーナの間柄を知っているほかの四人は、事態を静観しようと無言でいる。賑 やかな食堂の中、その席だけがきまずい沈黙に満たされた。
 しばしの沈黙の後、女同士の気安さか、ミリアがエカテリーナに声をかけた。
「エカテリーナさ。今回わざわざこの席に来たってことはさ、やっぱりこいつに用があるのかい?」
 彼の肩を抱きながら、ミリアは訊ねる。エカテリーナは彼を一瞥して、「そうです」とすました顔で応じた。
「先ほど、医務室でした話の続きをしたかったので」
「続きがあるのか?」
「やはりあれでは私も納得できませんので」
 げんなりした顔で尋ねると、エカテリーナが答える。そのかたわらでは、ナグル、ジュリアン、ザクセン男三人が顔をつきあわせていた。
(なんつーか、修羅場?)
(…話がよく飲みこめん)
(……ケンカでしょうか?)
 一方、位置的に三人の会話に参加するのが無理なミリアであるが、口元に愉快気な笑みを浮かべて、隣の二人の姿を眺めている。この状況を楽しん でいるようだ。
 彼ら外野を横目に、彼はめんどくさそうに、エカテリーナに訊ねた。
「…で、一体何が納得いかないと言うんだ?」
 エカテリーナが強い口調で返した。
「あなたが、勘違いをしているようなので」
「……勘違い?」
「そうです。……あなたは自分が生きるよりも、誰かが生きる方がいいと考えているようですが、本当にそう思っているのですか?」
「…違ってはいないだろう。私よりも社会に貢献できる人間はたくさんいるし、なんの展望もない私よりは生きたいと願う人がいる。そういう人間なら私が身を ていして守る価値がある」
「そうではなくて……あなたは、残された人の気持ちというものが、わかるのですか? あなたの無茶を見過ごした人間と、あなたにかばわれて、先に逝かれてしまった人間の気持ちを」
「……残された人間にトラウマが残るということか? ……私の死を悲しんでくれる人間など」
「います。私も、ここにいる人も、皆。騎士団の仲間としてあなたの死を悼みます」
「………」
 彼はエカテリーナの視線を見返す。その視線が揺れないのを確認し、心の中でため息をついた。
(…真っすぐに、言ってくれるな……)
「だとしても……それは、ほかの人間が死んでも同じことだ。結局同じ条件なんだ。私が先に死んではいけないという考えにはいたらない」
「考えとか……そういうことを言うのは、卑怯です。理屈で語るのは」
「たしかに卑怯かもしれない。だが、私はそう思っているのだ。その考えを変えるのは君には無理だ。理屈でも、感情でもな」
 強い口調で語る。エカテリーナは、さっと視線を伏せた。
 彼はそれを見て、話は終わったとばかりに、食器をおぼんに乗せて、一足先に立ち上がった。
「私がいつ死のうと、君が、君たちが悲しまなくていいんだ。ただ死にたがりが一人、思いを遂げるだけなのだからな。そう思ってくれ」
 言い捨てると、彼はおぼんを持って、席を後にした。そのまま立ち去る。
 そんな彼の背中に向かって、エカテリーナが声を張り上げる。
「あなたは卑怯です。理屈で、自分を守っています。あなたは本当は!」
 彼は大声に振り返り、何か言い返そうとした。が、今の声で自分たちに他の関係ない団員達の視線も集中させたことに気づき、言葉を飲み込んで、 その場を足早に立ち去っていった。



「………」
 エカテリーナが、苛立ったように乱暴に腰を椅子に沈めた。彼らの座ったテーブルもかすかに揺れた。
 5人だけとなった席に、しばし沈黙が訪れた。何事かと聞き耳を立てていた周囲のテーブルの耳も離れる。
「……結局なんの話だったんでしょうか?」
 ジュリアンがぽつりと漏らす。エカテリーナは苛立った様子で指を組んでいて答えない。そのかわり、ミリアが口を挟んだ。
「さしずめ価値観の違い、っていうところかな? あたいにもよくわからないけど」
「死ぬとか、なんとか言っていたな。誰かのかわりに…とか」
 ザクセンもつぶやく。それを聞いて、ナグルが投げやりに言葉をはさんだ。
「あー、つまりそういうことか。あいつのいつも、自分だけ危険な目にあう戦法。それを言っているんだろう。騎士道精神なんていまさらはやらねーっていうの に」
「ん? でもあたいは、あいつが『私は騎士道精神なんて持ち合わせていない』って言ってるの聞いたよ?」
「形だけな。一般の騎士道精神とはちょっと違うかもしれないみたいだが、なんだかあいつは自分で一定のルールを作っていて、律儀に守っているみたい。女は いじめない、なんてルールは盛り込まれていないようだけど」
「ああ、そういえばあたしもこの前の組み手で手厳しくやられたねぇ。まぁその後のカードでは、倍返しぐらいにはせしめたけど」
「ギャンブルはしないというルールもないようだな」
 ザクセンがしみじみと漏らす。
「でも……自己犠牲ですか。そういうの、すこし憧れます…」
 そう漏らしたのは、ジュリアンだった。それをナグルが鼻で笑う。
「は。自己犠牲なんてナルシストのエゴだろ。あいつも言っていたけどただの死にたがりさ。黙って死なせとけばいいんだよ」
 その言葉にジュリアンはかすかに眉をしかめ、勢い込んで言い返した。
「なんでナグルさんはそう斜めにしか物事を見れないんですか!? あの人はエゴイストとか、ナルシストじゃありません。騎士の鑑です!」
「夢見てんなぁ、少年。だけどあいつだって人間だぜ? 小便もクソもすれば、女を抱きたいときだってあるんだぜ? いざって時は、命が惜しくなって逃げ出すかもよ?」
「お、女を抱く…!?」
 ジュリアンは、なによりもその言葉に反応した。頬を赤らめ、うわずった声を出す。
「の、わりには浮いた話は聞かないがな」
 だがその横でザクセンがつぶやく。ミリアも、
「あたしも聞いたことないねぇ。後輩の中にはあいつのファンだっていう子も、いるけどね。物好きな子たちだなぁと思うけど」
「命が惜しくなって逃げ出す、というのも少し考えづらいんじゃないか? 今まで死ぬことはなかったが、怪我を負ったことは何度もあるんだからな。幸い大怪我といえるほどは、まだないが」
「……みたいですよ?」
「………」
 ジュリアンが半眼で胡散臭げな声を出すと、ナグルは視線を逸らした。それを見て、ジュリアンが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「やっぱりあの人は騎士の鑑ですね! それに、後輩騎士や騎士見習いの中には、あの人を目標にしている人はけっこういるんですよ。あれで面倒見もいいですし、剣も丹念に教えてくれますし。どこ かの誰かさんとは大違いです」
「ぐ……! どこかの誰かさんって、誰だよ!」
「年中女の人のお尻ばっかり追っていて、ろくに稽古もしない誰かさんです」
「だぁ、てめっ、それ俺のことだろ! いいんだよ、俺は実践派なんだから!」
「せいぜい、そのなまった弓の腕であの人を撃ち抜かないで下さいね」
「だぁー、今度お前と一緒に出たら後ろから撃ち抜いてやる!」
「べぇーだ!」
 舌を出して応じるジュリアン。旗から眺めるザクセンとミリアは、視線をあわせて失笑する。
 と――。
「あの人が自分の体を張るのは……自己犠牲とかじゃありません」
「……エカテリーナ?」
「あの人が自分の命を粗末に扱うのは、自分を守るためです」
「自分を守るだって? どういうことだい?」
 ミリアが訊ねる。エカテリーナは、手を組んだ状態で、ぽつりぽつりと漏らした。
「あの人は、自分の身を傷つけることで、自分に言い訳しているんです。そうやって自分の心を守っている……。理屈で自分すらも欺いて、自分を守ってい る……卑怯な人なんです。ごめんなさい、うまくいえない」
「………」
「ごめんなさい。私はこれで失礼しますわ。お昼時を邪魔して、ごめんなさい」
 エカテリーナは最後に頭を下げると、お盆を持って立ち去っていた。
 こうして四人だけが取り残される。
「……どういうことだろ? 理屈で自分すらも欺いているって……」
「……さあ」
 ジュリアンの呟きに、誰一人答えるものはいなかった。さらに続けて、ぽつりと漏らす。
「……卑怯な人とか、言っていたけど……エカテリーナさんはどうしてそう思ったんだろ。ひょっとしてって思っていたけど、あのお二人って、付き合っている んでしょうか?」
 それに、ザクセンは首をふった。
「いや……おそらくそこまではいっていないはずだ。それにエカテリーナには、シビットがいるはずだ」
「シビット?」
 ジュリアンが聞き返す。「お前は知らないんだな」とザクセンは説明を始めた。
「昔ここの騎士だった男だ。エカテリーナの恋人で、そのころはエカテリーナもこの騎士に勤めていなくて、街の診療所に勤めていた。…なんというかな、今の あいつとは少し違うが、面倒見がよくて、戦いでは率先して先頭をいく奴だった。団員達の信望も高かったよ」
「今のあいつは、後輩には人気があるんだけど、なぜか同期や付き合いの長い人間になるととたんに評価が微妙になるんだよねぇ」
「…そうなんですか? …それで、シビットという人は? なんで今はこの騎士団にいないんですか?」
「死んだんだよ。隊の人間の脱出時間を稼ぐために、一人しんがりを引き受けてな。だからエカテリーナは今はフリー」
 ナグルが答える。そこにミリアが補足した。
「フリーはフリーでも、忘れた様子はないみたいだけどね。プレゼントのロケットも律儀に持っているし。……まあ、自分を犠牲にする、なんてところはあいつ と似ているから、だぶって見えるのかもね。世話を焼くのは、そこらへんが理由なのかもしれないよ」
「彼女が診療所からここの医務室に移ったのは、そのシビットが死んでからだ。詳しい理由は知らないが。……恋愛云々は私は不得手なのでわからないが、まだ 恋愛まであの二人が発展している様子はないな」
 ザクセンの呟きに、ミリアが苦笑を上げる。
「このメンバーじゃ誰も苦手だろうねぇ。私も苦手だし、ジュリアンはうぶだし、誰かさんは問題外だし」
「誰が問題外だ?!」
「誰もあんただなんていっていないよ?」
「…そうか? ……って消去法で考えたら俺しかいないだろ!」
「気づくのが遅いねぇ」
 飄々とした様子でミリアが言う。ナグルは、完全にからかわれていた。
 と、
「……シビットは、まだつかみやすい男だったが、あいつは、何を考えているのか正直わからんな」
 ザクセンが、小さく呟いた。「え……」とジュリアンが声を漏らす。
 そこに「そうだな」とナグルも相槌を打った。
「俺もあいつと同期で付き合いは長いけど、正直何を考えているのかわからねぇ」
「あたいもだね。まあ、嘘や企みごとができるような器用さは持っていないようだけど、どこか手の内を見せない部分があるよねぇ」
 続けて、ナグルが漏らした。
「あいつ、親と仲悪いらしいけど、どうして仲が悪いかは言わないんだよな」
「カシード卿の長子だそうだな。カシード卿といえば、リン・ハザードの元側近でありながら、シェンドリック王子の下にとどまることが許されるなど、非常に 稀有な人物だが……。あいつはそのカシード卿に事実上勘当されたそうで、後継ぎは弟がすると言っていた」
「カシードっていえば、リン・ハザードを裏切って反乱軍をディアスに入れて、その功で登用された人間だろう? 土壇場で主君を裏切ったやつだって、あまりいい評判は聞かないけど」
 口々にコメントを漏らす。最後にナグルが付け足した。
「あいつって、謎が多いんだよ。俺らのことを信用していないのかもしれないけど、あまり腹を割って話すことがないんだ」
 そう漏らす。ジュリアンは、しばし沈黙した。
 と、敷地内の遠くで、鐘がなった。それに「やべ」とナグルが声を上げる。
「そろそろ飯を切り上げないとやばいな。俺は見張りにつかないと」
「私もだな」
「僕も…」
「あたいもだね。なんだ、みんなじゃないか」
「みてぇだな。ふぅー、最近はバルバシアの奴らの姿が頻繁に見えるから、気がおけねぇぜ」
「そうだね。遅れをとらないようにしないと」
 そう言って、四人もお盆を手に立ち上がった。





 砦の野外にある訓練場。
 そこにある木偶人形にむかって、彼は打ち込みをしていた。
 操る得物はライトクレイモア。ただしそれ以外にも、ブロンズスピア、ラウンドシールド、ブロンズメイスなど様々な武器が置いてある。順番に 使って練習しているようだ。
 三連斬からの横薙ぎ。腰だめに構えてからの突き、斬撃を打ち込まれてからを想定しての、剣での受けに、後の先からの打ち払い。ひと通りの型を 試 す。
 かなりの時間、それをしていただろうか。全ての武器でそれを試し、汗だくになったころで、練習を切り上げる。用意していたタオルで、体を拭い た。
 全ての武器を片付けた彼は、汗を流そうと浴場へとむかう。その途中で、彼はエカテリーナと出会った。
「よう、仕事か?」
 言い争ったのはついさっきのことだが、同じ砦につとめる仲間として、いがみあいたくはない。つとめて明るく声をかけた。
「いえ。……あなたを探していたのです」
「……またか?」
 かすかに、胡乱気な視線をおくる。
「もしさっきの話を続けようと思うのなら、やめよう。私の意見を変えることは誰にだってできない。もちろん君でもだ」
「……そうですね。あなたの説得は諦めました」
「なら?」
「少し裏手の方にまわってもかまいませんか?」
 彼はこくりとうなずいた。




 二人が行った宿舎の裏手は、人影がまったくなく、閑散としていた。そのためにここは逢引や密会の場とされ、そして暗黙的に、用がない人間は来 てはならず、ここで見たことは他人に教えてはならないということになっている。
 この日は二人以外誰もいなかった。宿舎の影で薄暗い中で、二人はむきあう。
「…で? 何か用か?」
「質問をしたかったんです」
「質問?」
「はい。シビットのことなんですけど。ご存知ですね?」
「ああ。彼は剣もうまかったから、よく稽古をつけてもらっていた。話したことだって何度かある。だが、私より彼に親しい人間はもっといると思うぞ?」
「シビットも、あなたみたいに無茶をしていましたね」
「ああ……そうだな。ただ一つ言っておくと、根本の部分で私と彼は違うと思う」
「それでもいいんです。一番あなたが騎士団内でシビットに近いみたいですから」
「話はシビットのことか?」
 訊ねると、エカテリーナはうなずいた。
「私が町の診療所からこちらの医務室に移ったのは、なんでだと思いますか?」
「さぁ、な。…シビットの働いていた職場で働きたいと思ったのか、それとも、彼みたいな犠牲者は出したくないと思ったのか」
「半分あたりで半分はずれです。そのどちらも正解ですけど、あと、私はシビットの考えに近づきたかった。彼がどうしてそんな無茶をしたがっていたのかを」
「それは簡単だろう」
 彼は即座に答えた。
「彼は責任感が強くて優しかったからな、自分以外の人間が傷つくのを見たくなかったのだろう。だから身を挺して仲間を守ろうとした。そんなところだと思 う」
「では、シビットは残された人の気持ちは考えなかったのでしょうか?」
「……さぁな?  悪い、ぐらいには考えていたかもしれないが…。団員の皆は彼の行動を誉めていた。だから命を賭すことで君のように悲しむ人間がいるとは思わなかったのかも しれない」
「あなたはどうなんですか?」
「私か? ……君は悲しむ……いや、悼むといっていたのだから、そうなんだろう」
「人事みたいに言わないでください。私はあなたに聞いているんです」
「……それなら、多少は考えたさ。だけど、心の傷は時間が経てば癒える」
「私はまだシビットのことを忘れていません」
「それはシビットがそれほど君に近かったからだろう。……私はシビットみたいに近い人がいない」
「知り合いや仲間が死んで悲しまない人間なんていません!」
  エカテリーナが声を張り上げた。そこに彼はエカテリーナを見据え、たたみかける。
「だが、君はその悲しみで首を吊るか? シビットはともかく私ごときで」
 エカテリー ナは言いよどんだ。
「それは……」
「その痛みはせいぜい針で刺された程度だろう。それぐらいならば、時間が経てば苦にならないものほどになるさ。私はそれぐらいを望んでいる」
「………記憶にすら残らなくてもいいと?」
 エカテリーナが訊ねる。彼は臆した様子もなく答えた。
「私が残したいのは結果と、自分の心に偽りがないことだ」
「…あなたはそれでいいかもしれません。でも、悲しむ人間はたしかにいるのですよ? それでもあなたは、その人たちを無視するのですか?」
「ああ――。エゴだとは思う。でもさっきも言ったが、私以外の人間が死んでも結局は誰かが悲しむんだ。それなら、彼らが生きた方がいい」
「シビットもそう思っていたのでしょうか?」
「……彼は違うだろう。彼はたぶん、君にもすまないと思っていたと思う。生きたいとも思っていただろう。でも他の誰かが傷つくよりも、自分が傷つかないと 気が済まないたちだったんじゃないだろうか。多分彼は最後まで生きたいと戦っただろう」
「先ほどから、たぶんや、思う、が多いですね…」
「確証を持って語るのは嘘だろう。私は彼の気持ちなんてうかがい知れないし、確信を持って語るほど、彼と親密だったわけではない。…どだい死んだ人間の心 を知ろうなんていうのが、無理な話だ」
「……そうですね」
「話は、これでしまいだろうか? 私はそろそろ汗を流したいのだが……」
「……はい。お時間をとらせて申し訳ありませんでした。……でも、最後に一つ言わせてください」
「ん? なんだ?」
「あなたは卑怯です。たぶんや、思うと疑問系で話をして本心で語らないのは。そして自分の考えしか展開しないのは」
「………。エカテリーナ。一つだけ私は、シビットの心を断定して言える。彼は死んだ後、君に自分のことをひきずって欲しくなかった。絶対に。君には新たな 相手を探して欲しかったはずだ。そして君は、この砦にいるべきじゃない。町の診療所に戻れ」
「嫌です」
 きっぱりとエカテリーナは答えた。
「どんなに説得されても、絶対に」
「…意地で決めることじゃないんだがな…」
 最後に呟いて、彼は背をむけた。エカテリーナの瞳の強さから、彼女を説得するのが無理だと悟ったのだ。
 彼はその場を後にした。




 その日以降、二人がこの話題に関して、直接話をすることはなかった。
 彼も幸いにも怪我をすることがなく、医務室に足を運ぶこともなかったためだった。
 だが彼らの勤める砦の北にバルバシアの船団が上陸。
 一路南下し、砦のすぐそこまで迫っていた。





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