第 十一回前編(イブラシル暦687年2月)

決戦前夜(前編)
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  バルバシアの軍船が上陸してからほどなく、灰色騎士団の砦に、騎士団長から布告がなされた。


「砦に残るのは、決死隊のみとする」
 灰色騎士団の団長が、朗々とした声で読み上げる。
 バルバシアの戦力は桁違いだ。砦があるとはいっても、所詮小規模なものであり、多少の利点はあっても長くは耐えられない。
 志願者のみを募ってバルバシアの軍勢を迎え撃ち、少しでもディアス本国の軍隊の準備や南の町の住民が非難できるまでの時間を稼ぐ。そのかわ り、残る者は死を覚悟しておけ。そういう布告がなされた。



 戦いの前の慌しい中で、彼は、ザクセンとともにいた。
「やはりお前も残るのか。ザクセン」
「ああ。お前もだな」
「お互い一人身の独身貴族だ。残す奴もいないし、気楽だな」
「そうだな」
 ザクセンはうなずいてから、試しにと、訊ねた。
「…全部で何人ぐらい残ると思う?」
「団員が全員で76人だったよな。見習いを含めると倍以上に膨れ上がるが……」
「見習いはほぼ全て避難させるそうだ」
「そうか。それじゃあ……30〜40ってところだろうか。お前は?」
「私も同意見だ。――ジュリアンは残るそうだな」
 その名が出たことに、かすかに彼の表情が翳った。
「あいつは……下手な使命感にとらわれて死なないか心配だな」
「お前は、死ぬ気満々だな」
「…覚悟ぐらいはしている」
 ザクセンの言葉に詳しい言及は避け、彼は答えた。続けてザクセンは述べた。
「ナグルは、まず逃げるだろうな」
「それでいい。死にたくない奴がわざわざ死ななくてもいいだろう」
「ミリアは、避難するそうだ。……故郷でロクシュの奴と結婚して、騎士からは足を洗うそうだ」
「……なんだ? あいつらつき合っていたのか?」
「らしいな。ほかにも――」
 ザクセンが、主だった者の名前を挙げていく。やがて、彼はため息を吐いて押しとどめた。
「――なんだ、ちゃっかり皆、相手作っているんだな」
「そうだな。俺たち二人は売れ残り組らしい」
 ザクセンが呟いた、その時。
 ふと、二人の目の前に、若い女騎士見習いがやってきた。そして勢い込んで、言った。
「――さん!」
 彼の名を呼ぶ。彼はきょとんとした顔をする。と、見習い騎士はぶわっと涙を吐き出して、手紙を差し出した。
「これを……、う……!」
 そして、強引に手渡し、建物の奥へと消えた。
「………」
 残された彼は、所在なさげにひらひらと受け取った手紙を流す。
 そんな彼にむかって、ザクセンはにっこりと笑顔で告げた。
「お前は敵だ」





「……ナグル、お前も残っていたのか?」
「うん? ああ、意外か?」
 砦の庭で弓を抱えたナグルの姿を見かけ、彼は驚きの声を上げた。そして素直にうなずく。
「ああ。正直に言うとな」
「………まぁ、言い返せねぇな。俺も最初は逃げようとしたんだけどよぅ」
「どうしたんだ?」
「ミルって知っているか? 食堂にいるおさげの奴だよ」
「ミル…ああ度々お前と口論しているあの子か」
「あいつと俺さ、幼馴染なんだよ。で、ま……。付き合っているわけ。んであいつが、子どもできたんだとさ」
「……なに?」
「それでさ、なんというか……俺もがんばらないといけないな、って思ったわけだよ」
「はぁ?」
「ガキができるんだぜ? かっこ悪いところ見せらんねぇよ…」
「……お前馬鹿か? かっこ悪いも、かっこいいもないだろ。黙ってその子と一緒に避難していろ」
 呆れたように、彼は告げた。
 対してナグルはかぶりをふってそれを振り払った。
「いや。ここでひけねぇ。ここで引いたらもうあいつやガキや、お前に顔向けできない。絶対に……ここで引いちゃいけないんだ」
「ナグル……」
「それにな、あいつと俺の故郷な、この砦のすぐ南なんだよ。ここで食い止めないと、あの村が蹂躙されちまう…。せめてできるだけ、時間を稼がない と・・・・」
 ナグルが告げた。――それに対して、彼は何か彼を説得できる言葉はないかと、考えを模索した。
 と、その答えを見つける前に、ナグルが手の中から、一枚の羽を取り出した。それを見て、彼は驚きの声を上げる。
「それは……転移の翼?!」
「ああ。ミルが金貯めて買っておいてくれたんだとよ。よくもこんな高価なものをよ。……やっぱり情けない話だが、土壇場では、この羽を使って逃げようと思 う。今使えばアデンに行くはずだからな。……幸い俺が使うのは弓だ。尻尾巻いて逃げられる機会は多いだろうよ」
「………」
「――、どう説得しようとしたって無駄だぜ? 俺は誰かのために戦うんじゃない。俺が前に進むために、この戦いに参加するんだ」
「……せいぜい、命を落とさないように気をつけるんだな」
「お前が言う台詞かよ」
 ナグルは鼻で笑った。
 続いて彼は、そういえば、とナグルに質問した。
「ところで、エカテリーナを知らないだろうか?」
「うん? さぁ、知らないが。彼女は残るのかな」
「どうだろうな。残るなんて馬鹿なことはしないでくれればいいが」
「残る馬鹿が言う台詞じゃないだろ、それ?」
「いいんだよ。私は馬鹿で……。でもエカテリーナは、こんなところで命を落としたらいけない」
 その台詞を聞いて、ナグルは怪訝な表情をする。
「……お前って、やっぱ最初から最後まで何考えて生きているんだかわからねぇな」
「私は自分に一定のルールを架しているだけだ。……私は未来には望みがないが……。彼女はまだ、有効に生を使えるだろう。優しいしな」
「お前は優しくないのかよ?」
「私は優しくない。エゴの固まりなような人間だ」
「エゴ……ねぇ? たしかにそう――」
「――それがわかっているのならなんで、エゴを貫こうとするのですか」
 新たな声が、ナグルの声をさえぎった。エカテリーナだった。
「エカテリーナか」
「わざわざ砦に残る馬鹿女ですわ」
 固い口調で彼女がつげると、彼はムッとした顔で言った。
「盗み聞きは感心しないな」
「陰口も感心いたしませんわ」
 それを即座に返される。彼は少しばつの悪い顔をした。かわりに、ナグルが彼女にむかって問いかけた。
「エカテリーナも、戦いに残るのか?」
「はい。私の治癒の力は必要でしょうから」
「…エカテリーナ、前も言っただろう。今からでも遅くはない、君は町の診療所に勤める方が似合っている」
「私の向き不向きを勝手に決めないで下さい」
 彼が厳しい口調で言っても、つんと澄ましてエカテリーナは応じなかった。彼は困った顔をする。
「だから、意地で決めるようなことじゃないんだ。君は死ぬべきじゃない」
「なんで、そう思うんですか?」
「それは……」
 彼は少し思案する。そして、訊ねた。
「君はなんのためにこの砦に残る?」
「……先に聞いたのは私ですよ?」
「先にそれを教えてくれ」
「…………」
 彼女はしばし、答えられなかった。やがて、一言。
「……私の力を必要としている人がいるからです」
 か細い声で伝えた。彼はそれを鼻で笑う。
「とってつけたような理由だな」
「私がここに残るのは、理屈じゃありません」
 突き放してエカテリーナが言った。彼が怪訝に問う。
「じゃあなんだ?」
「私の意志です」
 彼女が口にした台詞は、以前彼が医務室で口にした台詞だった。彼は呆れた声を出す。
「エカテリーナ、そんな子どものようなことを言うな」
「誰かさんみたいに、理屈で自分を守るような卑怯な大人になりたくありません」
「…それは私のことか?」
「他に誰がいますか?」
 厳しい口調で告げる。頭一つ分も違う身長差で、エカテリーナはまっすぐに彼を見返してきた。
「あれから何度か、考えましたけど……あなたはやはり卑怯です。なぜあなただけ馬鹿でいていいんですか? なぜあなただけが死ぬ権利があるのですか? なぜあなただけがエゴを貫けるのですか? なぜ私は死んではいけないんですか」
「そんな矢継ぎ早に言われてもだな」
「時間がかかってもいいので、答えてください」
「………それは」
「あなたは卑怯です。自分の理屈と意志だけを押し付けて、他人の言葉は受け付けない。理論武装で自分を守っている、最低な大人です」
「私は理屈を人に押し付けたりはしない!」
 ムっとし、彼は低いが、強い口調で反論した。だがエカテリーナは動じずに告げた。
「しています。あなたは自分の考えを展開して、それで人の口を挟ませない。そのくせ、人には介入する」
「……百歩譲ってそうだとしよう。だが理屈ということは理が通っているということだ。ならばそれが正しいのではないか?」
「人の感情は、理屈では語れませんよ。それでもあなたは語っています」
「私がか……?」
 納得できない、信じられないという風に彼は反芻した。
 そこにエカテリーナが追い討ちをかけた。
「それに気づけないのは、あなたが自分を欺いているからです」
「………」
 彼は沈黙した。その表情は、納得していないようだった。それを見て、エカテリーナは深く嘆息する。
「と、ここであなたに申しても、無駄でしょう。あなたは自分の心を理論武装でガチガチに固めていますから……」
「……私は……」
「あなたは本当に、馬鹿で愚かで卑怯者で理屈屋でとにかく救いようのない馬鹿です。そんなあなたに私をとめることはできません」
「なっ……」
「これで失礼いたします」
 最後に一方的に告げて、エカテリーナは二人の前から立ち去った。



「……あんの馬鹿女っ!」
 一方的に言われて逃げられた彼は、その場で地団駄を踏んだ。ナグルが苦笑する。
「相当言われたなぁ。エカテリーナって案外根に持つタイプなんだな」
「……私が、自分を欺いているだと……?」
「とか言っていたな。俺にはわからないけど。あぁでも」
「でも、なんだ?」
「エカテリーナがお前を卑怯だって思ったのは、わかるかもしれない」
「……どういう意味だったんだ?」
「お前は自分で意見を固めちまっているだろ? さっき俺にも言ったよな、お前は『自分に一定のルールを架しているだけだ』ってな。そこで聞くが、お前はそのルールに従ってはいても、他人のルールに従お うとはしない。人の言葉に耳をかさず、自分のルールで動くだろ?」
「……たしかに、そうだが」
「そこを見て、エカテリーナは卑怯だって思ったんじゃないかな。他人を省みないで、自分のエゴを貫き通す姿が」
「……ちょっと待て。私はたしかにエゴを貫いているが、人にその考えを押し付けたりはしないぞ? ただ、人の意見を介入させないだけだ。……逆にやつの言い分の方が、意見を押し付けているんじゃないか……」
「理屈だと、そうだな。でもそれでも、彼女からしたらそれは卑怯なんじゃないかな。……これは半分人からの受け売りだけど、男は理屈でものを考える生き物 で、女は感情でものを考える生き物なんだってさ」
「彼女は感情でものを考えているからか……? 奴の方が勝手じゃないか」
「そうかな? 感情も理屈も、どっちもどっちって思うけどな。理屈をないがしろにするのはどうかと思うけど、感情をないがしろにして理屈を通すのも、本末転倒ものだろ? 結局どっちもどっちなんじゃないかな」
「お前、今日は言うな」
 珍しく真剣な話で饒舌な友人を見て、彼はポツリと口にする。「ん……」とナグルは頭をかいた。
「土壇場に来て、お前のことが少しわかったからかなあ」
「……?」
「エカテリーナとお前が言い争うのを見てさ、なんか親近感が沸いたんだよ。なんだかお前、戦いのときはいつも俺たちをおいてけぼりにして一人だけ危険に飛 び込んでいくし、普段は自分のルールとかいうのをしっかりと持っていて、なんというか、弱みがないんだよ。そう、お前だけ一人先に行って、俺たちはいつも 置いてけぼりなんだ。でもエカテリーナに色々言われて感情的に怒鳴っているお前を見てな、なんつーか親近感が沸いた」
「……だから、話せるのか?」
「ああ、本音でな。……そういえば、女は感情で動く生き物って言ったけど、女って凄いのな、俺が砦に残るって言ったとき、ミルの奴がなんて言ったと思 う?」
「さぁな。瞳を潤ませていかないで、か?」
 彼は興味のないそぶりで、投げやりに言った。それにナグルは苦笑で返した。
「そんな色っぽいものだったらよかったなぁ。実際にはナイフをこう、首に突き立てて」
 親指を自分の喉下へと突き立てる。
「『あんたがこの砦に残るなら、私もこの子もここで死ぬ』だぜ? 信じられるかよ。俺を足止めするのにももっと方法があるだろうに。説得させようってなんと言っても、聞かないでさ」
「……それでどうやって説得したんだ?」
 興味をそそられ、彼が尋ねると、ナグルは自分の唇を指差した。
「言葉じゃ聞かなかったから、唇をふさいだ」
「ごちそうさま…」
 ナグルの言葉に、彼は手を合わせる。ナグルは一度笑って、続ける。
「女は感情で動く生き物らしいからな。そうやって落ち着かせてから、次は理詰めで説いて……そしたら、この羽をくれた。そのかわり絶対に死ぬな、ってね」
「いい女じゃないか」
「ん……ノーコメント」
 ナグルは照れ隠しに笑った。
「そういえば、覚えているか? 俺たちが騎士見習いのころに一度話したよな。それぞれの好みの女って」
「そういえば、あったな」
「俺がナイスバディの美女で、お前は確か…」
「頭のいい女」
「互いに逆だったな。ミルはナイスバディなんかじゃねぇし、お前に付きまとうのは」
「馬鹿女だ。……まったく」
「ああ。でもお前が言う台詞じゃないだろ? 死ぬとわかってんのに、この砦に残ろうとしたんだからな」
「………」
 ナグルの言葉に、彼は答えなかった。答えられなかった。
「この砦に残るのは、数十人の、自殺志願者ってわけだ」
 ナグルがポツリと漏らす。転移の翼を持っている彼は、その数十人の中に含まれないのか。いや、そんなわけはない。戦場に上がるのだ。どこまで 粘るつもりか知らないが、危険がないわけがない。
 そもそも彼は、本当にその羽を使うつもりがあるのだろうか。
「………数十人の馬鹿か」
 無駄死にをするつもりはなかった。時間をかせぐために、自分たちの死は、必要なはずだ。それぞれの何かを守るために。
 それでもやはり馬鹿なのだろう。死ぬことでしか守れないと思っているのだから。大切なものを守るために自らを死なせる馬鹿、騎士の威厳という ものを守って自分の身を守らない馬鹿、プライドで死ぬ馬鹿、意地で死ぬ馬鹿――自分のルールにのっとって死ぬ馬鹿。女一人説得できない馬鹿。
「ままならないなぁ」
 彼がその時思っていたことを、同時にナグルが呟いた。彼が自分と同じ思考をしていたのかと、彼は驚いた顔でナグルを見るが、その横顔は彼を見 てはいなかった。
 彼はふと思い立ち、懐から、一つのシガレットケースを開いた。すでに封は開けられていて、中には数本しかない。
「ん? お前タバコ吸ってたか?」
「いや。ザクセンから、とっておきのものをもらった」
 彼は答えて、シガレットケースを放った。それをキャッチするナグル。
「これ、《Astroene Heven》の限定版モデルじゃないか?! オークションで見たことあるぞ?!」
「だからとっておきなんだそうだ」
「かぁ〜、アンティーク物じゃないか、贅沢な喫煙だぜ…」
 言いながら、ナグルもその箱から一本取り出し、口にくわえる。そして、訊ねる。
「おい、火は?」
「ない」
「ないのかよ!? ……封を開けときながら味わわないなんて、どんな贅沢なんだが」
「文句を言うなら吸うな。それにどうせシケっている」
「……っち、どこまで馬鹿なんだか……」
 グチグチといいながら、ナグルは、タバコをくわえる。
「……ナグル、たしか転移の翼は同時に6人までを転送できるんだったよな?」
「ん? あぁ、そんなこと聞いたかもな。上限は6人だったっけ」
「なら、そのときは、できるだけ近くの人間を……」
 彼が言いかけると、ナグルは不機嫌な声を出した。
「ああ。言われなくてもするっての。でも、本当の自殺志願者までは連れて行けないぜ?」
「できるだけでいいんだ。死んでしか守れない馬鹿は、ほうっておけばいい」
 そう答えると、ナグルはため息をついた。
「……お前はどっちなんだよ。自称死にたがり屋さんは」
「無駄死になんてするつもりない。……死んでも誰も守れないなら、私が死ぬべきところはそこじゃない。次の機会だ」
「ふぅん……? まぁ、いいや。そういえばそろそろ、配属先を確認しないとな。お前はもうした?」
「いや、まだだ。私も行こう」
「ああ」
 彼の言葉にうなずいて、ナグルは歩を進めようとした。そしてふと立ち止まって、空を仰ぐ。
「……ぁ〜、火が欲しい」





 
 それからほどなく、砦の騎士団員と、バルバシア兵の間で、戦闘がはじまった。
 
 砦にこもった防衛戦。少しでも長く、時間を稼ぐつもりだった。
 だが予想以上に防衛線はもたなかった。元々砦の規模に対して、残った人数が足らなかったのかもしれない。大群の敵を前にして、少数の弓による 威嚇もさほど効果はなく、工場兵器は簡単に門の前に到着され、そしてなんなく門を破壊された。
 後はなし崩し的だ。人数の時点で数倍の差がある中で、あっという間に指揮系統は分断、人海戦術の中で次々と虐殺が起こり、灰色騎士団の人間 は、なすすべもなく、逃げ惑うしかなかった。


 そして彼は、騎士団長以下、数名の団員とともに、砦の一室にこもっていた。
「…大丈夫ですか? 団長」
 彼が声をかける。団長は胸のあたりに深い傷を受け、息も絶え絶えだった。エカテリーナが魔法をかけているが、手遅れなのは明白だった。
「……ここまで、脆いとはな……すまん、多くの団員を無駄死にさせてしまったな……」
「……敵の数が予想以上だったということでしょう」
 せめてもの慰みの言葉をかけるが、それがお世辞でしかないことはわかっている。
 副団長はすでに死亡した。隊長も今この場にはヴァロスという男とハイドの二名。あとは皆死んだか、分断されて行方知れずとなっている。この場に残ってい るのは、瀕死の団長を除いて10名。
 その中に、ここ最近に言葉をかわしたザクセン、ジュリアン、エカテリーナの姿があるのは、できすぎた偶然か。
 いや、エカテリーナは彼のそばを離れようとしなかったのだから、それは偶然ではないのかもしれない。ジュリアンも彼を英雄視して、できるだけそばにいよ うとしている。ザクセンは彼と同じく戦いの激しい前線に赴くのが好みなので、そこまで珍しいことではないのかもしれない。
「こう、分断されては…。時間をかせげないだろう。お前らは、もう逃げろ」
「……逃げろ、と申されても、この調子では退路は……」
 隊長の一人、ハイドがたずねる。と、団長は懐から、一枚の包みをさしだした。
「転移の翼だ。一枚だけ、ある」
「…まだあったのですか! …てっきり、非戦闘員を避難させるために使い切ったのかと…」
 いざというときの連絡用のためなどに、転移の翼は数枚この砦にも用意されていた。だがそれらは、食堂につめていたものや厩番などの非戦闘員を避難させる ために、すべて使い切ったと思っていたのだ。
「一枚だけな。……これで使って逃げ延びろ。あいにく……人数分はないが」
「………はい」
「私が言いたいことは、これまでだ。……すまない、――。介錯をしてくれないか?」
「私が……ですか?」
 名指しをされた彼は、驚いた声を上げた。
「ああ。お前には、つらいことを頼むが…」
「いえ、やらして頂きます」
 答えると、彼は、エカテリーナや周囲の隊長を下がらせ、ライトクレイモアを振り上げた。そして、
「…御免」
 渾身の力の元、振り下ろした。
 ドッ、と鈍い音をしてその一撃は首の骨を断ち切り、団長は、絶命する。
 ライトクレイモアについた血をぬぐうと、彼は、残りの二人の隊長を見た。
「転移の翼ですが…。たしか一度に転送できるのは、6人まででしたよね?」
「ああ。そのはずだ」
「この場には10人いますが、いかがいたしましょうか」
「……」
 残った二人の隊長は、難しい顔をする。しかしすぐに、ヴァロスという名の隊長が答えた。
「希望者を優先して転移させる。私達は残ろう。それでいいだろうか、ハイド殿」
「ええ、異論はありませぬ」
 二人の隊長は残るといった。後残らないといけないのは2人。
「ならば私も残ります」
「私も残ろう」
 ついで声を上げたのは、彼とザクセンだった。
「そうだな。これで四人だ。じゃあ後は…」
 と、ヴァロスが言ったとき、新たな声が上がった。
「僕も残ります!」
「私も残りますわ」
 声をあげたのは、ジュリアン、エカテリーナだった。彼を含めて、四人は驚いた声をあげる。
「君たちが……?」
 確認にハイドと呼ばれた隊長が問うと、二人はしっかりとうなずいた。呆然としている中、彼は進み出て一喝した。
「……お前たち何を言っているんだ? なんで残ろうとする!」
「私は騎士です! 騎士ならば、戦って死にます!」
「私は回復魔法を使えます。私がいたほうが、より時間は稼げますし、この砦から脱出できる可能性もあります」
「何を呑気なことを…。お前たちはまだ若い」
「あら、知らなかったんですか? 私の方が、あなたより一つ上なんですよ?」
 エカテリーナが、言う。一瞬狐に包まれたような顔をするが、続けて彼は口にした。
「…お前は…女だ」
「おかしいですわ。いまさらフェミニストをきどるんですか?」
 辛らつな言葉を浴びせる。たしかに今のは、彼女を諦めさせるための口実だった。それを見透かされて、彼は言葉につまる。
 フォローをしたのはヴァロスだった。
「……だが、たしかに君たちが残る必要はないだろう。こういう時の責任は、位が高いものがかぶるのが普通だ。エカテリーナ君はたしかに彼よりも年は上だ が、経歴は浅いし厳密には騎士ではない」
 そう語るヴァロスに、ジュリアンが言葉をかける。
「……ですけど、ヴァロスさん。たしかヴァロスさんは、この前子どもができたばかりですよね?」
「それは……」
「本当は、残りたくないんじゃないんですか? まだ子ども見てないんですよね?」
「……私は隊長なんだ。それが勤めであり責任だ」
「ならば私も騎士です。シュッツアイデン家の三男として、華麗に散ってみます!」
「……」
 困ったように、ヴァロスとハイドは顔を見合わせた。そしていっせいに彼を見る。
二人の隊長に見つめられた彼は、部屋の隅にいた、負傷した騎士二人に視線をおくった。
「………ロイセン、ガーシュさん」
 2人の名前を呼び、視線でアイコンタクトをとると、相手も理解したとうなずき、立 ち上がった。
 そして、背後からジュリアン、エカテリーナの二人を羽交い絞めにした。
「うわっ! ロイセンさん!?」
「きゃぁっ!?」
 悲鳴をあげ、二人は暴れる。不本意だが、こうするしかない。彼は目線でロイセンとガーシュに礼を言うと。続いて、ヴァロスを見た。
「…ヴァロス隊長、お子さんのことは、すみません」
「ああ、いいんだ。それが責務というものだ。アレも私が騎士であることはよくわかっている」
「じゃあ残るのは私とヴァロス殿に、君、ザクセンの四人だな。では、この羽は……」
 ハイドがそういって、別の騎士に羽を渡そうとした、その時。
 一瞬の隙をついてエカテリーナがガーシュの戒めを解き、逃げ出した。
 そして壁を背に、声を荒らげる。
「私も残ります!」
「エカテリーナ?! 聞き分けのないことを言うな!」
 彼は大声をたてると、つかまえようとにじりよった。ヴァロス、ザクセンもそれに付き合い、三方からエカテリーナを囲みこむ。
「ちょ、ちょっと、女一人に三人とは、それが大の男、それも騎士がすることですか?!」
「非常事態の特権だ!」
「エカテリーナさんずるいですよ! 僕もー!」
 そう口々に叫んだとき――扉が突然、音を立ててぶち破られた。
「なにっ!?」
 驚きの声が上がる。背後を振り返ると、その開いた扉からバルバシア兵が数名なだれ込んできた。
 さらに間の悪いことに、このとき、扉をはさんでエカテリーナとそれを捕まえようとした3人と、反対側の羽を持ったハイド達6人とは、踏み込んできたバル バシア兵のせいで完全に分断されていた。
「ヴァロス殿!」
 ハイドが慌てた声をあげる。踏み込んできたバルバシア兵の数は4人。こちらは全部で10人とはいえ、そのほとんどが負傷していて、中には動けない者まで いた。むしろ不利だと言った方が、いい。
 ハイドがヴァロスに訊ねた理由はわかっている。彼は、羽を使うべきか迷っているのだ。
「行って下さい!」
 叫んだのは、エカテリーナだった。
「はやく!」
 彼女が叫んでも、ハイドはためらっているようだった。だが重ねてヴァロスが「行け!」と答えると、「すまない!」と叫んで、翼の魔力を使う。
 青白い光が放出され、彼らの姿は、光と消えた。
 この場に彼のほかに残ったのは、ヴァロス、エカテリーナ、ザクセンの三人。
 エカテリーナを残してしまったことに彼はかすかに苦渋の色を浮かべるが、それも致し方ない。黙ってライトクレイモアを構える。
 ザクセン、ヴォロスも武器を構え、エカテリーナは静かに魔法の準備を始める。
 そこに剣を構えたバルバシア兵が殺到した。








 襲い掛かってきたバルバシア兵をほふり、四人は、一縷の望みをかけ砦からの脱出を狙って、砦内をかけまわった。
 砦は外的の侵入を防ぐために作られているために、逆に出ることもむずかしくなっている。さらに無数のバルバシア兵が砦内を巡回しているために、思うよう に身動きがとれない状況だった。
「……逃げ道は……ほとんどふさがれているな」
 物陰に隠れバルバシア兵をやり過ごしながら、ザクセンがぽつりとつぶやく。そして、ヴァロスを見た。
「ヴァロス殿。これでも、逃げ続けるつもりだろうか?」
「……どういうことだろうか?」
「ジュリアンではないですが、こうなったら生き延びることは考えず、より多くの敵を倒すことを考えてはどうでしょうか」
「………」
 ザクセンの返答に、ヴァロスは少し思案している。まったく、考えないことではないのだろう。
――おいおい…そんなことを言っていると、奴が。
 そう思っていると、案の上、エカテリーナが猛抗議をした。
「そういう考えはやめましょう」
「エカテリーナ君…」
「まだ無理とは限ってないのです。それに、より多くの人を殺そうとか……」
「……これは戦争なんだ。敵を倒そうと思うのは当然だろう」
「そうですか。でもよりたくさんの人間を殺すことをお望みなら、この場は切り抜けたほうがよろしいのではないでしょうか」
「……そうだな。ザクセン、異論はないな?」
「了解した」
「君は?」
 ヴァロスは彼にも訊いてきた。彼もうなずく。
「私は初めから彼女に同意です」
「そうか? ……逃げるとしたら、どこが一番手薄かな…」
 思案している様子でヴァロスは腕を組んでいる。
 この砦は、周囲を塀が覆っている。土台がつくられ、弓を射掛けるためにつくられたもので、塀の上までは簡単に登ることが出来る。
 その塀を越えればすぐに砦の外なのだが、いかんせん塀が高く、飛び降りようものなら骨折はまぬがれない。
「エカテリーナ、キュアフラクチャーは?」
「残念ながら……」
 キュアフラクチャーは骨折を治療する魔法なのだが、彼女は覚えていないらしい。足を骨折した状態で、逃げ切れるとは思えない。
「……正門や裏門は……」
「敵が多いだろう。まず無理だろうな」
「ならば、どこかから縄梯子を調達してきて、それで塀からおりるというのは?」
 エカテリーナが口にする。
 結局、その案が一番の良案ということになった。問題はその縄梯子と、塀の周囲のバルバシア兵。
 バルバシア兵を回避しながら、縄梯子を散策し、幾度目かの物陰に隠れての休憩。ふと彼は、エカテリーナに聞いてみた。
「お前は、死ぬのが怖くないのか?」
その問いには、当然のように彼女はうなずいた。否定のYESだったが
「当然、怖いですよ。……さっきから、足の震えが止まりませんの」
「……なら、なんで残ったんだ?」
「……さぁ、なんででしょうね。……多分、あなたがいたからでしょうね……」
「……私?」
「はい。シビットに似たあなたが、残ったから」
 その言葉を聞いて、彼はいつか、宿舎の裏庭で聞いたエカテリーナの言葉を思い出す。
――あと、私はシビットの考えに近づきたかった。
「私はシビットじゃない。私のそばについたからって、シビットに近づけはしない」
「はい。それはわかっています。あなたは、シビットとは違う。シビットよりもあなたには手が届きそうです」
「…なに?」
 彼は、逆にシビットよりも近しい人間だと言われて、意外そうな声を出した。
「ナグルには、『よくわからない奴だ』と言われたんだがな……」
「あなたは、一見そう見える……。でも本当は、それは、あなたが本当の自分を見せないようにしているだけだからです。シビットは違った。彼は普通に強く て、普通に優しくて、そして普通の歩幅で、私を置いていく。……けどあなたは、あなたが早足に見えるのは、ただの背伸びなんだと、最近気づきました」
「背伸び……?」
「いえ……ちょっとこれだと誤解させてしまいますね。…なんて言ったら、いいんでしょう。シビットは自分のペースのつもりで歩いていたら、いつの間にか置 いてけぼりをしているとしたら、あなたは、追いついて欲しくないから、歩調を上げる……そういう人なんです」
「………プライドの塊みたいな男、ということか?」
「似ているけど、違います。……あなたは、自分の心に触れられるのが怖いんです」
「心に触れられるのが……怖い?」
「自分のルールに従って、他人に縛られずに自分の我を押し通そうとするのは、すべて心に触れられたくないから……。でも、その壁は一見堅くて、その奥もま たとても厚いものに見えても、その壁をひとたび抜けたら、とても、脆いんです。……それに気づきましたから、あなたが実は私たちと同じ歩調だということに 気づいたから……。でもそんなあなたが、自分自身でそれに気づかず……嘘っぱちの信念で死のうとしていましたから、それに気づいたから……とめなければな らない、と」
「……そんな風には考えたこともなかったな」
 彼は投げやりな口調で答えた。そのニュアンスは、『言っていることがわからない』だった。自覚がないと、暗に語っている。しかしそれすらもお 見通しで、エカテリーナは言った。
「あなたがそのことに気づかないのは、自分自身を欺いているからです」
「それが一番わからない。私は自分の、何を欺いている? 弱さか? そうだろう、私はまだまだ未熟だ。いまだ私なんてちっぽけな存在だ。だが、その事実から目をそらしたつもりはない。私は、弱いから……誰かを守るためには この体を犠牲にするしかないんだ!」
 そこまで言ってから、彼は「はっ」となった。自分は何を言っている?
「……なんでもない」
 首をふる。――それは誰にも言わないと決めていたことだ。自分の馬鹿げた覚悟は、自分だけが知っていればいい、誰にも知られる必要はないと 思っていたことだった。
「………じゃあ、あなたがその身で守ろうとするのは、なんなのでしょう」
「………。他人だ。私以外の誰か、生きたいと願う奴の」
「本当にそうなのですか? それがあなたの信念なのですか?」
「……ああ」
 ――それ以上聞かないでくれ。
 彼はそう願っていた。今まで誰一人として明かす事のなかった自分の覚悟が、彼女によって暴かれていく。
「そうですか。自分以外の誰かを守る信念………じゃあその信念は誰のためにあるでしょう」
「……誰かのためとかじゃ、ない。信念とは……そういうものだ」
 そう答える彼は、エカテリーナの瞳をなぜか見ることができなかった。しばらく、沈黙があった。と、それまで二人とは離れたところにいたヴァロ スとザクセンが近づいてきた。
「話は、もういいだろうか」
 ヴァロスが確認に問うと、彼は答えず、エカテリーナが「ええ」とうなずいた。
「周囲にバルバシア兵がいなくなった。今が縄梯子を探すチャンスだ。この場を動こう」
「はい」
 ヴァロスとエカテリーナが歩き出す。ザクセンはその背に続く前に、彼に声をかけた。
「大丈夫か?」
「ああ。……私たちの話を聞いていたか?」
「いや、ほとんどは聞こえなかったな。何の話をしていたんだ? この前の続きか?」
「いや……なんでもない、たいしたことじゃない」
 言うと、ザクセンの身体をよけ、彼はヴァロス達に続いた。
 ――あなたは、自分の心に触られるのが怖いんです
 ――じゃあその信念は誰のためにあるでしょう
(今は……そんなことを考えるときではないはずだ)
 彼はかぶりを振って、その疑念を振り払った。




 倉庫の付近や建物の裏手で団員達の捨てたゴミが放置された場所など、縄梯子のありそうな場所をまわっていく。エカテリーナを見張りに立て、バ ルバシア兵から姿を隠しての捜索なので、遅々として進まず手ごたえはなかった。
 バルバシア兵はそのうち、砦内に隠れ残った残党狩りを始めるだろう。時間はないのに効率は最悪だった。万に一つをかけるしかない。
 廃材置き場からザクセンが一本のロープを抜き出した。
「ヴァロス殿。このロープはどうだろうか」
「それは……だめだな。細すぎる。とても私たちの身体を支えることになるだろう。できるとしたら、彼女ぐらいだ」
「なら、彼女だけでも?」
「……あの女がそれを承知することはないだろう」
 ザクセンの言葉に、ヴァロスに代わって彼が答える。彼女ならば、四人全員が助かる方法でなければ自分だけが助かろうとは思わないだろう。
 その答えを聞いてザクセンがぽつりともらす。
「……難儀だな」
 ヴァロスはこの場には使えそうにないものがないことを確認して、腰を上げた。
「ここには、利用できそうなものはないな。別の場所に動こう。エカテリーナ君、どうだ?」
「……数人、かけまわっています。今は動かない方が……あ、数人こちらにきます!」
「く……隠れるところは?」
 ヴァロスが訊ねる。周囲を見渡して彼は答えた。
「袋小路です」
「………なら、入り込んできた瞬間、息の根をとめることを狙おう。エカテリーナ君、君は後ろへ。二人は仲間を呼ばれないように迅速にとどめを」
 うなずいて、陣形をとる。
 入り込んできたバルバシア兵は三人。一人は出会い頭にヴァロスがロングスピアをふりまわし頭蓋を粉砕し、二人目は驚いている間にヴァロスが喉 にフランベルジェを突き刺す。だが三人目にむかって彼がライトクレイモアを振り下ろすと、そのバルバシア兵は身を翻してかわした。そして声を張り上げる。
「敵がいるぞ!」
「く……!」
 叫ばれた。急いで二撃目を放ち息の根をとめるが、時すでに遅し。周囲からバルバシア兵が集まってきだす。
「仕方ない、逃げるぞ!」
 ヴァロスの号令にしたがい、走る。
 だがすでにほとんど戦いは鎮圧していて、残ったバルバシア兵が一斉にむかってくるのだ。すぐに周囲をふさがれる。
 結局しかたなしに、炎に巻かれた建物の中に逃げ込むことになった。倒れ伏した団員やバルバシア兵に引火して悪臭のひどい煙が流れているが、他 に逃げ道はなかった。
 だが、結局は袋小路でしかない。左右からバルバシア兵士に囲まれる。
「ク・・・・・・ここまでか!」
「まだです! 最後までわかりません!」
 エカテリーナが叫んだ。だが今回ばかりは、それに賛同する者はいなかった。
 それぞれの獲物を構え、決死の覚悟で、周囲のバルバシア兵士を睥睨する。
 そんなときだった。突然、窓ガラスがガシャンと砕かれたと思うと、一本の矢が飛び込んできた。
 ドスッ!
「ガァッ!」
 矢はバルバシア兵士に命中した。その瞬間、他のバルバシア兵士の視線が、窓の向こう側へと逸れた。その隙を三人が見逃しはしない。
「ヌン!」
 ザクセンが槍をふりまわし、数人を切りつける。ヴァロスと彼が振るった大剣の一撃はそれぞれ一人の人間を屠った。
 さらにはエカテリーナまでが、非力な腕でマジックワンドをふりまわして、バルバシア兵の後頭部を殴打する。
 陣がくずれた隙に四人は囲みを突破する。
 それを阻止しようと動いたバルバシア兵士には、援護に放たれた矢がまた窓ガラスを叩き割って威嚇をし、ひるませる。
「先ほどの矢は誰でしょうか!?」
 駆け去りながら、エカテリーナが尋ねる。それに、彼が答えた。
「あれは……ナグルだ!」
 視界の端に、対岸の建物から矢を放った射手の姿は、紛れもなくあの弓手の青年だった。
(なぜ奴が…!? 転移の翼を使っていなかったのか!?)
 てっきり、そう思っていた。途中で気づいた時にはいなくなっていたのだから、てっきりもうすでに羽の力で跳んだのかと、あるいは使うことなく 死んでしまったのかと思っていた。
「ヴァロス隊長! ナグルに合流しましょう! 彼は転移の翼を持っているかもしれません!」
「なに!? ……わかった!」
 彼らは、渡り廊下を渡って、ナグルがいた対岸の建物まで走った。



 ――反対側の建物は、さらに火の勢いがまわっていた。そのせいで中にバルバシア兵士がいる様子はなかったが、正直その業火は、四人をひるませ るには十分だった。
「……どうする?」
 ヴァロスが訊ねる。背後には、まだ少しの距離があるがバルバシア兵士がいる。彼は一歩進み出て、炎の壁のむこうがわに声を張り上げた。
「ナグル! 大丈夫か!?」
「ああ! ただかなり火が強い!」
「転移の翼は!?」
「まだある!」
「こっちへこれるか!?」
「……悪い、足を怪我してる! ちょっと無理だ!」
 その言葉を聞いて、ヴァロスが呟く。
「なら、こちら側から行くしかないな…。一気に行くぞ!」
 叫ぶと、ヴァロスは炎の壁に突っ込んだ。続いて、ザクセンも。
 しばらくして、声が響いた。
「はやく! 二人も!」
「エカテリーナ、跳べるか?」
 実はその間をやりとりをしている間に接近してきたバルバシア兵士を牽制しながら、背後のエカテリーナに問う。
 彼女は、蒼白な顔で首を振った。
「だ、だめです、怖い…」
「軽い火の輪くぐりだと思え。大丈夫だ、走り抜ければ、奴らが火を消し止めてくれる」
 諭すように言うが、彼女は蒼白な表情で炎を眺めるだけで、一歩も踏み出せずにいた。
「……くっ!」
 じりじりと距離を詰めてくるバルバシア兵士を睥睨した彼は、即座に身を翻した。そしてエカテリーナの腰をつかむと、一気に、担ぎ上げる。
「え? きゃ――!」
 そのまま、放り投げる。炎の壁のむこうに、彼女は消えた。
 即座に彼を襲う、殺気。すばやく反転して剣をかまえる。
 ガギィン
 打ち込んできたバルバシア兵の剣を受け止めた。そのまま拮抗する。
「ナグル! エカテリーナは?!」
「無事だ! なんともない! お前もはやく!」
 ナグルの言葉に、彼はバルバシア兵士の剣を押し返そうとするが、むこうも力が強い。無理だった。
(……無理だな、こいつらの隙を見て、むこうに渡るのは)
 狭い通路に、敵は複数。その奥には10人に届くかという人間もいる。
 彼は、剣を拮抗させた状況で、声の限り叫んだ。



「私は無理だ! 四人だけで行け!」
「え!?」
 その声を聞いて、ナグルは驚いた声を上げた。
「なっ……! だ、だけどよっ!」
「いいから、いけっ!」
 燃え盛る炎の壁のむこうから、彼の叫ぶ声が聞こえる。続いて、ガギィンと硬質な、耳障りな金属音がいくつも聞こえてきた。――そして時々、ズ ドッという鈍い音と、彼の押し殺した悲鳴も聞こえてくる。刃と刃が噛み合う音と、彼の肉に剣が食い込む音だ。
「さっさと行くんだ! 私は手遅れだ!」
「……っく」
 ナグルは翼を使おうとする。
 その時、エカテリーナが叫んだ。
「だめです! ナグル!」
 かすかに焦げた髪を振り乱しながら、彼女がナグルの翼を握る手をつかんだ。
「け、けど…!」
「まだです! まだっ! キャッ!?」
 と、背後からエカエリーナの口がふさがれた。
「モ、モガァッ?!」
 彼女の口をふさいだのは、ヴァロスだった。エカテリーナはじたばたともがくが、ヴァロスが押さえ つけて離さない。
 そしてしっかりとエカテリーナを捕まえたヴァロスは、まっすぐな瞳でナグルに言う。
「ナグル君、使うんだ」
「で、でも…」
「責任は私が持つ。これは命令だ」
「……」
 続いて、ごうごうと燃え盛る炎の壁に向かって、言葉をかける。
「君は、これでいいんだな?」
「……さっさと……いけっ!」
 炎の壁のむこうからは、痛みに歪んだ声が聞こえてきた。すでに深い傷を負っているのだろう。
「すまない!」
 ヴァロスが最後に叫ぶ。ナグルは羽の魔力を使おうとした。が、その時、ヴァロスの身体をエカテリーナが突き飛ばした。とっさにヴァロスが手を 伸ばす。
「エカテリ」
 ヴァロスの声は、途中で途切れた。


「エカテリ」
 最後に謎の言葉を残すと、後ろの方でなにかの光が放出された。転移の翼の魔力の発動を確信した彼は、ふっと口元に笑みをつくる。
「…さぁて、後は、できるだけ貴様らを道連れにするだけだ」
 わき腹やら、頬、左腕。いたるところから血をしたたらせながら、彼は陰湿な笑いを浮かべる。
「さぁ、私と心中したいのはどいつだ?」
 挑発的に言う彼の言葉に、バルバシア兵はたじろいだ。彼は、ライトクレイモアをかまえる。
「こないなら、私から――」
 ――そういいかけた彼は、背後から、何かが駆ける音が聞こえてきた。
――まさか。
 背後を振り返る。
――その先には、炎の壁。そこから、一人の女が現れた。
「……エカテリーナ」
「熱っ…!」
「馬鹿な、なぜお前が…」
「前です!」
 彼女の声ではっとし、斬撃を受け止める。衝撃で傷を受けていたわき腹が痛んだが、すぐにそれはスゥーっと消えた。エカテリーナの魔法だった。
「なんでお前がいるんだ!?」
「言ったでしょう! あなたは助けて見せると!」
「……馬鹿か、貴様は!」
 ――最後に、彼女をむこうまで放り投げたのは、なんのためだったのか。
 ――自分が彼女を置いてけぼりにせず、彼女をいかせたのは、なんだったのか。
「お前は馬鹿か!?」
 転移の翼はない。後ろにも前にも逃げ道もない。この状況で、彼女は何でこちら側に残ったのか――
「諦めなければ、可能性がないわけじゃありません!」
「馬鹿が……つっ!」
 囲まれた状況で話をしている場合ではなかった。本当に万に一つに賭けるならば、あるいは無理だとわかっていて、より多くの敵兵を倒そうと思う のなら、ここで戦いに集中すべきだろう。
 ――だが彼は、あらん限りの言葉で、叫びたかった。
「お前は馬鹿か!? 自分が前に出ても助からない状況で飛び出して、私がここに最後まで残った意味がわからなかったのか!?」
「勝手に決めないで下さい! 私は最後まで諦めたくないだけです!」
「この…すでに最後なんだ! この大馬鹿が!」
「――そう、お前は馬鹿だ」
 そう言い放ったのは、バルバシア兵の一人だった。エカテリーナにむかって、刃をふりおろす。
 くっ――!
 そこに、彼は半ば反射的に身をすべりこませていた。しかし、剣で受ける余裕はない。
 ――彼はエカテリーナのかわりに剣を受けるつもりで、覆いかぶさろうと、した。
トン
 その身体が、エカテリーナによって突き飛ばされた。
 ――なに?
  唖然とする。最初彼は何が起こったのかわからなかった。だが突き飛ばされて尻餅をつくまでの間に、バルバシア兵の剣が振り下ろされて、エカテ リーナの肩筋に食い込んで、鮮血が、鮮やかに散り、彼女の体が廊下の上へと、崩れ落ちる。
――おい、なんでお前が私をかばっている――?
 彼は、茫然自失にその光景を見つめた。血をしたたらせた彼女は、蒼白な顔で、冷たい廊下に、仰向けに倒れている。
 ――なんでお前が――?
 呆然とする彼に向かって、また別のバルバシア兵が、刃を振り下ろした。
 それを彼は、自分の腕で受け止めた。ドッと肉に刃が食い込む音と、衝撃が、彼の身体を揺らした。
「は……ははっ!」
 彼の腕に剣を振り下ろしたバルバシア兵は、ぎょっとなった。彼が、怒っているような、悲しんでいるような、不思議な表情で笑っていたからだ。
「はははっ!」
 彼は、腕をふるって即座にバルバシア兵の剣を振り払うと、ライトクレイモアを握って切り返す。
 上段からの一撃は、反応の遅れたバルバシア兵士の頭蓋をずしゃりと叩き割った。
「はははっ!」
 彼は哄笑を上げながら、無数のバルバシア兵士に剣で切りかかる。凄惨な彼の形相にあきらかにバルバシア兵士は尻ごみし、数の絶対数で勝ってい るのに、しとめられない。
 乾いた笑いを浮かべていた彼は、いつの間にか、咆哮を上げていた。
「オオオ!」
 自らの身体を傷つくこともおそれず、防御を考えずに剣をふるう。その姿は獣のようで、自分の血で何かを洗い流そうとするかのようだった。
「アァアア!」
 彼の勢いに押されて、遅れをとった一人が、肩口を切りつけられて、息絶える。
 ――が、そこまでだった。
 突き出されたロングスピアの穂先が、彼の胸をえぐりとる。
 肺まで突き刺さるその一撃に、彼の身体は弛緩する。そしてその場に崩れ落ちた。
 うつ伏せに倒れた彼の視界の先では、青ざめたエカテリーナの顔が見えた。
(……私は、できる限りやったぞ)
 最後に、つぶやく。
 そんな彼に向かって、とどめを刺そうと、バルバシア兵達は槍を振り上げた。
  ドドドッ






 ガバッ
 ――アッシュは、毛布を払いのけた。
 そして今自分がいる場所が、今ではもう懐かしいものになってしまったあの砦ではなく、カタコンベの奥底であることに気づく。

  ――今のは、なんだったんだ?

  彼は、鎧の胸のあたりを押さえる。どうしようもなくその鎧を脱いで、本来そこにあるはずのない心臓を握りつぶしたい衝動に駆られた。

―― 今のは――

  紛れもない、あの日の記憶だ。イブラシル683年9月、自分がアッシュとなった、あの日の。
 でも、最後のあれは……
 あの痛みはなんだったのだろう。エカテリーナが自分をかばって死んだときの、胸の痛みは。
 そして、あの台詞。

(私 は、できる限りやったぞ)

  自分は誰に向かって言ったというのか。エカテリーナ? 言ってどうするというのだ。死者への弁明など……守れなかったものに対して、申し開きなどできるはずがないのに……。

―― それに気づけないのは、あなたが自分を欺いているからです。

  理論武装。彼女はそう言った。それをあの時、彼はわからなかった。

―― あなたの信念は、

  自分は、一体誰を守ろうとしたのだろうか。彼女をだろうか? そして、そのために自分の身を犠牲にしようとした?
 じゃあ、なんで弁明したのか。彼女が死んだ時、あの時襲った、心の痛み。そして今の心の痛み、そしてそれをなぜ今の今まで忘れていたのか。 ――なんとなくわかった。
 彼女の死を悼んでいるのではない。後悔の念でもない。ただ、一つ。

  ――守れなかった自分の、弱さ――

  守る側ではなく、守られる側である自分。かばわれる存在――そうなりたくなかったのだ。自分自身への自尊心のために。
 だからかばうつもりが逆にかばわれた時、彼は我を失った。そしてがむしゃらに敵にむかって剣をふり、精一杯戦ったふりをして、無謀な戦いに飛 び 込み――

  自分自身に弁明したんだ。だから――今の今まで、あの時の痛みを、忘れていた。

―― じゃあその信念は誰のためにあるでしょう。

  誰かの命のためではなく、自分の命のためでもなく。

  ただ、自分の弱さに気づきたくなくなかったから、守りたいのは、自分の心だったのではないか。

―― 私は。


 弱い。






 早朝。陽の光りの届かぬカタコンベの奥底。
  毛布からもぞもぞとはいでたエフィルは、ふと、傍らのアッシュに気づいた。
「もう起きてたの……?」
「……ああ」
「早いね」
「……ああ」
 違った。あの時から、一睡もできなかったのだ。
 かすかに気だるい感じがする。だが、逆にそれがいい。泥酔したような判然としない頭は、痛みを忘れさせてくれる。
「いこう、エフィル」
「…? うん」
 エフィルはわずかにいぶかしんだ様子で、うなずく。そして二人は旅のしたくを終え、そして、一つの門の前に立った。
 それは、巨大な門だった。アッシュの背の三倍ぐらい、横にも縦にも大きい。
「……この奥にオベロンが……」
 ティターニアのオベロン王の亡霊。アンデット・キング。
(あのヌルとかいう占い師は、この扉の戦いのむこうに、答えがあると言った)
 本当にそうなのだろうか。今の弱さに気づいた状態では、とても答えがあるようには思えない。
 下手をすると遅れをとるかもしれない。だが、立ち止まっていると、また深くあの時のことを思い出してしまいそうで、それが嫌で、彼は歩き続け た。

  ソードの4、休戦のカードの逆位置は、戦い続けること。占いを信じないと言った彼は、まさしく信じないはずの占いどおりに、休息を忘れ、戦いに赴こうとし ていた。
 その先には光明があるとすがりついて――



あとがき
 前回『今回のコンセプトは精一杯書くこと』と言いましたが、特に全精力をそそいだのは、
アッシュというキャラクターを描ききることです。
 最近ようやくアッシュ、そしてエフィルのキャラも固まってきだしたので、書きたいと思ったんです。
プレイヤーに似てちょっと変人なアッシュ君、うまくかけているでしょうか。

 決戦前夜。ちょっとナイーブな状態になったアッシュですが、これから彼は、オベロンとの決戦に挑みます。
そして果たして――?

 暗い話になりすぎてしまった、というのが今の時点でやや心配ですが…。どうなるやら。

 とここまで言っておいて、オベロン戦を書き上げるまでは、一ヶ月ぐらい間を空けると思います(ぉ)
どうか内容を覚えておいてくださいまし。

 ヴァロス君とハイド君は、昔やった使い魔アンケートで集まった名前です。ヴァロス君の名前は結構気に入って、
本当はもっと大きな役を与えられる予定だったのですが…。そっちの案がボツになったので(汗)
 逆に、ザクセンがする役目をヴァロス君に食われてしまって、ザクセンはもっと悲惨かもしれない。
 そういえば今回出たタバコ
《Astroene Heven》ですが、そう、あのオークションで出品されている
奴です。アストローナでは広く吸われているそうですが、限定版になるといくらぐらいに……?

>今回特になし。

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