〜Efil〜
------------------------------------- 道をふさぐ敵。その双眸は敵意をにじませ、彼を威圧せんとにらみつけていた。 「フン」 だが、それに彼は小さく鼻を鳴らした。面白くもなさそうに武器を振り、構え。 「死神に喧嘩を売って生きて帰れると思うなよ」 つまらなさそうに、言葉を吐いた。 振るった刃が、空中に朱線をたなびかせる。深く抉り取った肉の手ごたえに、彼はゆっくりと、背後を振り返った。 その先では襲撃者が体を地面に横たえ、ぴくりとも動かない。危なげない、彼の一方的な勝利だった。 彼は、なんともなしに、その死体を眺めていた。特に考え事をしていたわけではない。 ただ標的の体から流れ出る血が、地面を濡らし、染め抜き、そしてやがて地面に吸いこまれていく様を、淡々と眺めていた。 あるいは見ようによっては一種の儀式のようにも見えた。厳かで粛々とした、しかしそれ自体には一片の価値も無い儀礼。 だがその静寂はふとした物音で破られた。 カサリ、とそばの小さな藪がざわめく音と同時に何者かの気配を感じ、彼は面を上げた。 そこには、まだ10にも満たない幼い少女が立っていた。色白の肌にボロ布のような服をひっかけ、足には擦り切れたサンダル。髪の色は黒……い や、紫か。背中には、一対の大きな翼があった。 (なんだ、このガキ……?) 彼は、いぶかしんだ目で、その少女を睥睨した。みすぼらしい姿に細く、いかにも非力そうな手足。どれも、彼の敵にはなりそうもない。 ただ、その見開かれた双眸にだけは、彼は少し関心を寄せた。まるで研ぎ澄まされた刃のような、鋭い瞳。それは人のものというより も、ただ日々を生きるための獣の目に近い。彼は、そんな目をしている幼い有翼人の少女に、かすかな興味を持った。 もっとも、それは彼の方だけだったのかもしれない。少女はふと、自分を睨みつけてくる彼の視線を一瞥すると、また興味がなさそうに視線をそら した。 そして小さな足でトテトテと歩き、彼が打ち倒した敵の屍骸のそばに立った。 「………?」 その仕草に、彼はいぶかしんだ顔をした。何をするつもりなのだろうか。まさか食う気か? 生で? だが、少女は彼の予想していない行動に出た。突然、口を大きく開けたかと思うと、息を大きく吸い込み始めた。何をする気か。そうして眺めてい ると、やがて死体の胴体から白いモヤのような人魂が出てきて、彼女の口の中に吸い込まれていった。 「魂を…食べているのか?」 彼は、その行動にかすかに慄いた。魂の滅却師。彼ら死神と似た存在だが、似て非なるもの。 彼は、持っていた得物の切っ先を、少女の額に突きつけた。 そして訊ねる。 「お前……名は?」 「………」 「名は?」 ぼんやりと、焦点の定まらない瞳で見上げてくる少女に、重ねて問いかける。すると、少女は切っ先が額に触れているにも関わらず、首を振った。 「名が無いのか?」 問いかけると、少女は小さくうなずいた。 その後も、似たような応酬が続いた。親は、仲間は、ここで何をしている、お前はなんだ ―― 全ての問いに、少女は首を振った。 「……… お前は」 彼は、次なる質問を繰り出そうと、新しい問いを考えていた。この少女は何者か。それを知るために。 だがその時、背後で怒号が鳴り響いた。草むらから飛び出てきた毛むくじゃらの魔物が、彼目がけて、飛び掛ってくる。 「… チ!」 舌打ちし、彼は得物で獣の体を受け止めた。弾き飛ばしたところで、態勢を整える。 「ったく…取り込み中っての、わかんねぇかな…」 不機嫌に答え、彼は武器をかまえた。すると、その隣に、少女がならぶ。 「紫玉の焔よ…」 小さく、初めて、少女の小さな唇が音をつむいだ。そして、少女の手の中に紫色の大鎌が生み出された。 「手伝ってくれるのか?」 彼は訊ねた。だが、少女は答えない。彼には一切の意識を払っていないようだった。 「フン」 彼はつまらなそうに鼻を鳴らすと、獣にむかって、武器をかまえて走り出した。 再び魂を喰らう少女の姿を背にしながら、彼は遠くの山の中を見つめていた。 すでに、彼の興味は少女から消え失せていた。語ろうとしない少女に背をむけ、歩き出す。彼にはまだ仕事がある。 しかし数歩歩いて森の中に入った彼は、背後から響く足音に、ふりかえった。あの少女が、自分の後を追いかけてきていた。 「………」 彼は、足をとめてにらみつけた。すると、彼女も足をとめ、彼の視線をまっこうから、見返した。 「………」 彼は視線をそらし、歩き出した。ややペースを上げる。すると、少女もまた、ペースを上げた。ならばと彼もペースをさらに上げる。すると、少女 もまた速度を上げた。彼は、少女の小さな足では絶対追いつけないスピードで、駆けた。すると、少女の足音が消え、羽音が響いた。 「飛びやがった!?」 思わず声を上げた。少女は、大きな翼をめいいっぱいにはためかせ、木々の下を翔けていた。そのスピードは、彼とほぼ等しい。 「……っく!」 何故か、彼も意地になった。スピードを上げていく。 二つの黒い影が、深緑生い茂る木々の中を、疾駆していった。 「ぜぇ、ぜぇ、…」 「………」 立ち止って荒い息を吐く彼のそばに、少女は涼しい顔でおりたった。そして、視線を周囲にそそぐ。 そこは、戦場だった。だった――過去形だ。 死屍累々、倒れ伏した体から流れ出た血が大地を紅に染め、あたりを血臭が漂う。 すでに戦いの荒々しい喧騒は過ぎ去って、ただ、虚しい静寂しかなかった。 「………」 なんとか息を整え、彼は歩き出した。やがて、地面の一角に視線をむける。 「……… なぜ、まだそこにいる?」 彼が問いかけたのは、木々の根元に横たわった、一人の男――だが、男は明らかに致死量の血を流しており、弛緩した体がすでに命のともし火を 失っていること を如実に表している。 だが、不意にだらしなく開いた死体の口元から、青白いモヤが吹き出て、そして足の無い人型を作った。 『俺は…』 幽鬼のようなその人影は、不気味な響きを持つ、奇妙な声で呟いた。そこに、彼は冷徹な視線をむけ、言う。 「まだ、この世に未練があるのか」 『…… 故郷に、妻と、子どもが』 「会いたいか? だが、あいにくとお前には無理だ。お前には、もう足が無い」 『う………』 「大人しく、狩られろ」 彼は、武器を振り上げた。そして、人影めがけて振り下ろす。 だが、その一撃は空を切った。人影が、男の体から抜け出て、宙にとびだった。 『いや……だ……』 人影が、押し殺した声でつぶやいた。宙をぐるぐると漂い、幽鬼のごとき、青白い面を彼に向けた。 『いや…ダ!…俺は……帰るンダァ!』 「―― そうじゃないと面白くない!」 先ほどの台詞とは裏腹に、彼は嬉々とした表情で叫んだ。歯を剥いて笑い、襲い掛かってきた青白いゴーストに、逆に武器をたたきつける。 人影の輪郭がゆらめいた。その存在が、より不確かなものとなる。 「しっかりと、狩りとってやる!」 彼は、地を蹴った。宙でもがくゴーストに、とどめをさそうと武器を振り上げた。 だが、その刃を受け止めた黒い影があった。 「させない…」 「!?」 鎌で彼の一撃を受け止めたのは、あの少女だった。彼の瞳が驚愕に見開かれる。 人影をしとめられず、地面におりたった彼は、少女にむかって問いかけた。 「おいガキ……なんのつもりだ?」 「…… これは……私の獲物………」 少女が、小さな声でつぶやいた。その瞳は、出会った時と同じ、ただ生きることのみを望みとする獣の色をしていた。 「…… なるほどな」 彼は、うっすらと笑んだ。と、同時に駆ける。 「お前のその目は、嫌いじゃない」 武器をふるう。少女は大鎌で受け止めた。 「―― が」 彼の放った蹴りが、少女の鳩尾を強打する。少女の体が”く”に折れ、喉から小さな悲鳴と息がもれた。 地面をバウンドし、大きくすべる。投げ出された少女の体は痙攣するのみで、動く様子は無い。 死んではいない。しかし、しばらくは立ち上がれないだろう。 「俺も、仕事なんでな」 彼は言い捨てると、視線を、宙を漂う人影にむける。 「覚悟しろよ」 『イヤ……ダァァ!!!』 断末魔の悲鳴をあげ、彼のふるった刃が、その影を真っ二つに切り裂いた。 ゴーストを処理した彼は、視線を、地面でもだえる少女にむけた。そして、近寄る。 「無事か?」 ぞんざいに爪先で蹴り上げ、うつぶせから仰向けにむけさせた。その口元からは、うっすらと朱色の線が流れている。何かの拍子に口を切ったか。 少女は、射殺すかのような視線を、彼にむけた。 「その目は、嫌いじゃない。生きるためにひたむきな目だ。生きるために、他者を犠牲にする……それは本来、どの生物にもいえるごく自然なことだ。…い やなら、葉緑体でも体にうめこみゃいい。詭弁を弄して、自らを正当化する奴よりは、生きることに忠実なお前の方がよっぽど好感を持てる」 「…………」 「エフィル……」 彼のつぶやきに、少女は、訝しげな視線をむけた。 「いい名前だと思わないか? Efil。Life(生)の反対、他者の死なくして、生き長らえぬ者。お前にピッタリな名だ。気に入ったら名乗ってみな」 「……… 名……?」 「じゃあな」 彼は言い捨てると、少女の前から姿を消した。 そして、彼と彼女が出会うことは、二度となかった。 強く肩を揺さぶられる感触がした。 「エフィル、エフィル」 かけられた声に、エフィルはうっすらと瞳を開けた。光を得た視界の間近な所で、フードで顔を隠した男の顔があった。 「アッシュ……なに?」 「そろそろ、村につくそうだ」 エフィルは寝ぼけ眼をこすって、周囲に視線をむけた。二人がいるのは、荷馬車の荷台の上。たしか、道行く荷台引きの荷台にのせてもらったの だ。 どうやら、揺られている間にいつのまにか眠ってしまっていたようだ。 「そう」 小さくうなずくと、少女は大きく伸びをした。硬い荷台に体を預けていたためか、やや節々が痛い。 「やけに、深く眠っていたな」 そこにアッシュが声をかけた。彼の経験では、少女の眠りは浅く、まるで鳥のように声をかければすぐに目を覚ますのだ。 「夢でも見ていたか?」 「うん」 「ほう」 エフィルがうなずいたのを見て、アッシュは意外そうに声を上げた。そうか、とうなずく。夢の内容を尋ねる事はしなかった。 「…… ねえ、アッシュ」 「うん?」 「私、おなかすいたんだけど」 言うと、アッシュはうんざりとした顔をした。 「…… あれは、疲れるから嫌なんだ」 しぶるアッシュに有無を言わせず、彼女は手のひらを開いた。 彼には、拒否権があるはずもなく―― その日の午後、彼はやや気だるい一日を過ごすことになった。 |