塵芥のアッシュ
第三回
ティターニアの怪(イブラ シル 暦685年4月 ティターニア)


銃弾が路面で弾ける。
ティターニアの保安官、ジェイド・ストリームは先制の一撃をかわされたことを
知り、舌打ちした。
それでも二発目を放つため、照準をつけようとしてむけた彼の視界を、紫色の
焔(ほむら)がおおった。
「ック!」
咄嗟に転がる。炎はかすかにジェイドの体をあぶったが、致命傷にはほど遠い。
ジェイドは転がりながら、銃弾を立て続けに放った。だがそれも全てかわされる。
「………」
ジェイドが対峙しているのは、闇夜の下、街灯の作る陰影の中に浮かび上がる、
漆黒の人影だった。
もっともその人影は、背中に巨大な烏のような翼を持っていたが。
顔の造作などは、街灯を背にしているためよくわからない。だが長い髪と巨大な
翼に反して小さな体からして、おそらく相手は女性なのだろう。
だが、だからといってジェイドは手を抜くつもりはなかった。
なぜなら、彼女は連続通り魔の『犯人』なのだから。
ジェイドは、人影に連続して銃弾を放つ。だがそのうちの多くは、人影の放つ
不気味な紫色の炎と大鎌に弾かれていた。いくつかはその防御をつきぬけていたが、
軽く体をかすめる程度で、いまだ致命的な傷は与えていない。
「………!」
と、人影が何かを小さな声で囁き、手をかざした。そこから紫色の炎が渦巻き、
奔流となってジェイドに襲い掛かる。ジェイドは咄嗟に構えた二丁拳銃をその
炎に集中砲火させるが、勢いはとまらなかった。炎が直撃する。
「ぐぁっ……!」
紫色の炎は、どうやらただの炎の類とは違うらしい。不思議と熱さは無く、服に
引火もしなかったが、そのかわり全身から力が抜けた。背筋に悪寒が走る。
「なんだ、これは……!」
四肢にうまく力が入らない。全身を襲う倦怠感のせいで、銃を握った手すら、
上がらなかった。
「………」
人影はさらに何かつぶやき、手の中に炎を生み出す。そして、ジェイドめがけ
放った。紫色の異質な炎は、それまでの炎とも、どこか異質だった。おそらく
これをくらえば、死―――。
全身を這いずる死の悪寒に、ジェイドの心臓が鷲掴みにされた。表情が凍りつく。
迫り来る紫色の炎は、ジェイドの眼前で、そのあぎとを広げた。ところが――
「――ヌン!」
そこに割り込んだ、ボロ布で全身を覆った男が、その全てを受け止めた。



(ヌゥッ………!)
全身を突如襲った倦怠感に、アッシュは腰が沈みそうになる。
だが、歯を食いしばって耐え、駆け出した。
「………!」
人影は突然割り込んだアッシュの存在に判断がついていけず、その動きが一瞬
鈍る。その隙にアッシュは一気に距離をつめ、青銅製の槍をふりかぶった。
さすがに人影はそれには反応し、手にした大鎌で受けてたつ。
二合、三合と打ち合い、四合目。 互いの獲物同士が交差し、拮抗した。
そのときに、アッシュは間近で人影の姿を見た。
(女、か……それも少女といっていいぐらいの…)
漆黒の服に、漆黒の翼。そして漆黒の髪。鎌も、刃の部分以外は全て黒い
金属でできていたりと、黒で統一された彼女の容貌。
整った顔立ちだが、それは彼女の酷薄さを強めるものでしかなかった。
(こんな少女が、なぜ保安官と戦う……?)
「…邪魔、しないで………!」
アッシュが思考し、わずかに力が緩んだ瞬間に少女が力を入れ、アッシュの
槍を押し戻した。そして手の平に、あの紫色の炎を生み出す。
「紫玉の焔よ! あのものを打つ雷火となりて――!」
少女は、小さな炎を弾けさせる手の平を、アッシュにむかってかざした。
「発!」
「ぬっ――?!」
とたん、アッシュの体が後方に弾かれた。わずかに地面をすべり、態勢が崩れる。
「紫玉の炎よ、全てを飲み込む業火となりて――」
さらに立て続けに放とうと、手の平により大きな炎を生み出す。
だが、響いた銃声とともに、その腕が弾けた。
「……あぐ…っ……!」
か細い年相応の声がもれる。彼女の細い二の腕からは、鮮血が飛び散っていた。
さらに立て続けに銃弾が放たれる。少女は慌てて飛び退るが、さらに右足の
太腿と横腹から血が吹いた。声にならない悲鳴が彼女の喉から流れる。
「………くぅ……っ!」
街灯に照らされる少女の顔は、苦痛に歪んでいた。短く言葉を吐き、手の平を
かざす。
とたん、膨大な量の光量が生まれ、闇になれた二人の目を焼いた。そのすきに、
上空へと逃れる。
そして、少女の姿は闇夜に消えた。



「助かったよ」
だいぶ体力の戻った体をひきずりながら、口ひげを生やした男が礼を言った。
最初にアッシュが紫色の炎からかばった男であり、途中、少女を狙撃して
アッシュの窮地を救った男だった。
その胸に光る星型のバッチは、この街における自治組織の一つ、保安官なるものの
証らしい。アッシュがこの町への検問を通る時、少し厄介になったので
知っている。
「私は、ジェイド・ストリーム。この街の保安官だ。……君の名前も
聞いていいかい?」
「アッシュだ」
短く答え、アッシュはそのジェイドという男の姿を見た。
街灯の下、姿を見せる男の年齢は、大体30〜40ぐらいに見える。
色の濃い茶色の髪をオールバックにし、口には整えられた口ひげをしていて、
年齢と少し似合わない清潔感があった。
「君には助かった。あの炎の直撃を受けては、今度こそもたなかったかもしれない。
……しかし君もタフだね。私は一つ喰らっただけで動けなくなったのに、
君は今も平然としている」
「頑丈さだけが取り柄なんでな」
アッシュは肩をすくめながら、笑いかけた。しかしすぐに口調を変え、男に
訊ねかけた。
「所で、さっきの少女は一体……? あんたと戦っていたようだが」
「……ああ、彼女は連続通り魔の犯人でな」
「連続通り魔……?」
予想外のその単語に、アッシュは声を上げた。それにジェイドはしっかりと
うなずく。
「ああ。こっちにきてくれ」
ジェイドはそう言うと、アッシュを路地の奥に連れて行った。そして、とある
ものを指差す。
「これが、今回の被害者だ」
「これは……」
そこには、一人の白髪の男が横たわっていた。ヨレヨレの服装からして、浮浪者
やその類の人間らしい。右胸から腕までがきれいに切り取られ、その断面から
おびただしい量の血が流れ出し、地面に黒いシミを作っている。
「……ひどいな」
「ああ。似たような事件が、すでに七件起こっている。被害者たちそれぞれの
容姿や職業、人間関係などの共通点は一切なく、完全な通り魔だろう。手口の
特徴として、体の一部が切り取られていること。今回は右胸から腕にかけてだ
が、酷い時には頭部が切り取られていて身元がわからなかったり、腰から先、
下半身が丸ごと切り取られていたりする」
「……これを、あの少女が?」
「いや。先ほどは犯人といったが、本当はまだ容疑者にすぎない。だが少なく
とも私は、彼女が容疑者ではないかと確信している」
「なぜ?」
「彼女はすでに二度……いや、今回も含めて三度、死体のそばで目撃されてい
る。それにあの大鎌………見かけ倒しとは思えない。おそらく切れ味は中々、
人の体を切り刻むのは、もってこいのはずだ」
「…なるほどな」
アッシュはうなずいた。
「……しかし、なぜあんな少女が……」
「……今までは、私もわからなかった。てっきり、愉快犯か何かだろうと
思っていたが……今日ようやく、わかった気がする」
「………なに?」
「今から話そう」


私は今日、夜の見回りをしていた。
私達保安官の間でも、今回の事件は危惧している。そこで毎夜毎夜、街の見回
りをしているのだが……その時、何気なく見上げた空で、黒い影が横切った
気がしてな。目撃情報で、あの人影が一面黒い服装をしていたことは知って
いたので、もしやと思い、その影がむかった方に追いかけたんだ。そしたら、
案の定、彼女がいたのだが……私はすぐには踏み込まず、その場で様子を見る
ことにした。犯行はすでに全て行われた後で、ただの通りすがりだと言ってし
まわれればややこしいことになる。できれば決定的な証拠が欲しかったからな。
すると、だ。
突然、死体の口から、白いモヤのようなものがでてきたんだ。その白いモヤは
空中をとんで、やがてあの少女の口の中に吸い込まれていった。



「その白いモヤとは?」
「正確にはわからないけどね……」
アッシュの答えに、ジェイドは少しぼかした。
「だけど多分、魂か何かなんじゃないかと思っている」
「魂?」
「ああ。私にはちょうど、そんな感じに見えたんだ。人間の魂を食らって生きる
化け物………そんな御伽噺を、母親から聞いたことはないかい?」
「……あいにく、ウチの母親はそんなに子育てに熱心な者ではなくてね」
私は首をすくめた。
「だが、確かにそんな噂を聞いたことはある」
「だろう? 私はそれなんじゃないか、と思っている。そしてそのために、
今まで何人もの人間を殺してきたんじゃないか、と」
「……ふむ。死体の一部を切り取るのは?」
「さぁ。種族的に何か理由があるのか、それともそれ自体はただの愉快犯なのか……
詳しい事は不明だな」
「なるほど……」
「……ところで、君は旅人かな?」
「ああ。そうだが?」
「それなら、検問を通り過ぎるのには苦労しただろう。今はバルバシアや今回の事件やらで、
町中ピリピリしているからね……」
「……ああ」
ここ、ティターニアは、イブラシル大陸の中でバルバシア軍と双璧をなす大国で、
現在バルバシア軍と対立関係にある。その国力は中々のもので、さしものバルバ
シア軍も攻めあぐねており、現在互角の勝負を演じている。
実はアストローナ大陸へのバルバシア軍の進軍は、このティターニアの背後を押
さえての、挟撃が目的らしい。
そんな戦時中なのだから、たしかに彼らが緊張するのも当然だろう。厳しい検問
もいたしかたない。
(もっとも、私は、その検問を受けずに通り抜けようとしたのだがな)
その挙句に失敗し、ジェイドのような保安官の一人につかまったのだが、それは
今は伏せておこう。
(今回の件は気になるが……できれば、彼らには関わりたくない。この体のこ
ともあるし……)
「ふむ……なるほど。保安官も大変なのだな。気をつけてくれよ」
アッシュはそう言うと、その場を立ち去ろうとした。だが、その腕がしっかりと
ジェイドによって捕まえられる。
「悪いが、この件に関わった以上、君も事情聴取を受けないといけない。すまな
いが署までご同行願うよ」
「……やはり、か」
元々こんな気がしていた――。アッシュは、天を仰いだ。


ほどなく、アッシュはジェイドに連れられて、その『署』という所に
連れて行かれた。そこでは、最も見たくない顔が一番にあった。
「貴様は……あのときの密入国者」
濃い黒髭を伸ばしたその男の名は、ガースといった。商隊の馬車に潜りこんで
いたアッシュを捕まえた男だった。
「密入国? それはどういうことだ?」
ジェイドがいぶかしんで訊ねる。すると、
「詳しい事は所長に聞けよ」
と言って、ガースは入り口を指で指し示した。ジェイドもうなずき、
アッシュを促しながら、中に入っていった。
アッシュがわきを通る時、ガースはわざとらしく、ペッ、と唾をわきに吐いた。
それはアッシュをそれたが、わずかでもずれればアッシュの服の裾にかかっていた
だろう。
「………」
「どうした? はやくいけよ」
アッシュがかぶったフードの奥でにらみつけると、男はニヤついた顔で応じてきた。
アッシュは外套の下でかすかにブロンズ・スピアを握る手を強めたが、それ
だけで、ジェイドに続き、建物の中に入っていった。
「すまない……彼は強い人種差別主義者(レイシスト)でね」
扉をしめるなり、ジェイドがそう謝罪してきた。
「普段は本当に、陽気でいい男なんだ。…たしかに少々乱暴だけど。
ただ、ちょっと外国の人間や人間以外の種族に偏見を持っていてね。強く
当たってしまうんだよ」
「……別にいい。それより、その署長というのに会うんじゃないのか?」
「ああ。こちらだ」
ジェイドはうなずき、アッシュを再び先導した。そして一階の一室、プレート
のかかった木製の扉で立ち止り、その扉をノックした。
「ボス? ジェイド・ストリームですが」
「おう、入れ」
「失礼します」
扉を開き入室するジェイドに、アッシュも続いた。入った部屋の中には、
二人の人間がいた。
「アッシュさん?」
「おう?」
二人とも見知った顔だった。アッシュの姿を認めて声を上げる。アッシュは、
二人にむかってかすかに会釈をした。
一人は、どうやら革張りの豪華な椅子に腰掛けた、肥えた中年の男だった。目元
にはサングラス、口元には葉巻。それが似合っているか、不似合いととるかは
個人によって意見がわかれるところだろう。
対してもう一人は、金髪の髪を短く刈り込んだ、まだ若い青年だった。実直とい
う言葉が似合いそうな、まっすぐな瞳をしていた。
太った中年の男が、署長のガーリー。青年の方がケヴィンといった。
署長のガーリーは、顔を出したアッシュに呆れた顔をする。
「おやおやなんだ。せっかく釈放してやったというのに、なんかやっちまったのか?」
「いえ。彼には助けてもらいましたよ」
「ほう?」
だがそれのジェイドが首を振り、ガーリーは口元に浮かべていた笑みを解いた。
「一体どうしたんだ? また通り魔が出た、ってのはもう聞いているが」
「ええ。………その通り魔と私が戦っていたのですが、ちょっとピンチになって
しまいましてね。そこを、彼にかばっていただきました」
「……ふーむ、今度はこちらが助けてもらえるとはな。どうやら君を釈放して
正解だったようだ」
「借りを返したことになるのなら……幸いだ」
「借り……」
言葉をかわす二人に、ジェイドはいぶかしんだ。
「そういえば、ガースの奴もなにか言っていたな……。私がいない間に、
何かあったようですね」
「まぁな。君は今日の昼は非番だったからしらないが、一悶着あってね。そこの
アッシュ君だが……」
「…すまないが」
語ろうとするガーリーを、アッシュが制する。
「こっちとしてはその事情聴取とやらを、はやく済ませて帰りたいのだが……。
私のことを説明するのなら、私が帰ったあとでできるだろう?」
「…ふーむ、そうだな。わかった、そうしよう。じゃあ、君の聴取はジェイドにまか
せよう。ケヴィン、お前は記録係をしてやれ」
「はい」
「わかりました」
二人はうなずき、アッシュを連れて部屋を退出していった。



アッシュへの事情聴取事態は、ほんの十数分で終わった。元々、そう語ることも
なかったので当然だろう。すでに一度つかまり、一通りの聴取をとっていた理由も
ある。
「はい、珈琲です」
聴取室、なるプレートがかかった部屋の中、それまで部屋を退出していたケヴィンが、
珈琲を三つ持って現れた。そしてそのうちの一つを、アッシュにむかって配る。
「ケヴィン……私は、珈琲は飲めないのだが……」
「あ、そうでしたね」
ケヴィンは、バツの悪そうに頭をかいた。
「まぁ、気分というやつで。雰囲気だけでも味わってください」
「……そうさせてもらおう」
言うと、アッシュは珈琲を顔の前まで持ってきて、その匂いをかいでみる。
――だが生憎、今の彼の体は、それすらもわからなかった。彼は五感のうち、
嗅覚と味覚に関する感覚を失っていた。
昔は珈琲や紅茶などは、大の好物だったのだが、それも今は楽しめない。少し
残念に思いながら、カップをトレイの上に置いた。
「――いい匂いだろう? うちの署は、豆には気をつかっているんだ。ボスの趣味でね」
「そうだな」
そんなことは露知らず、訊ねてきたジェイドに、アッシュは軽く相槌を打った。
そうだろう。事情を知らなければ、アッシュの身に起きた事情など、知る由もない。
「ところで、調書はとったのだろう? もう帰ってもいいんじゃないか?」
「いや、最後にボスの判子を押してもらわなければならない。私がもらってくるから、
二人は待っていてくれ」
「……仕方ないな」
「ジェイドさん、いってらっしゃい」
温度差のある態度で見送られ、ジェイドは調書を片手に退出していった。
室内に取り残された二人は、たがいに顔を見合す。すると、ケヴィンが不意に
破顔していった。
「いやー、アッシュさん、お手柄ですね」
「なにがだよ……」
アッシュは、辟易とした表情でいった。
「こっちとしては災難だ。人助けのつもりで手を貸したが、こんな所で時間をとられ
るとは」
「そんなの、たったの数十分じゃないですか。それにこうして珈琲も出ていますし」
「だから、私は珈琲は飲めないんだよ」
「知ってます」
アッシュの言葉に、苦笑を浮かべながらケヴィンは応じた。
「それにしても、変わった体ですよねぇ。一体どういう仕組みなんでしょ?」
「俺が知りたいくらいだ……」
いいながら、アッシュは珈琲を口に運ぼうとし、それに気づいて途中でとめた。
手が届く範囲にあっては危ないからと、少し身から離した所に置く。その光景を
見て、ケヴィンはアッシュに見えないところで失笑を浮かべた。
と、入り口の扉が開き、ジェイドが入ってきた。
「終わったぞ」
そういいながら、アッシュに一枚の紙を手渡す。
「あとはそれにサインしてくれれば終わりだ」
「随分はやかったな?」
ジェイドの手からペンを受け取りながら、アッシュは訊ねる。
「君を待たせてしまっては悪いと、急いできたんだよ」
「……すまんな」
「いや、お安いごようさ」
もごもごと、小さな声で応じるアッシュに、ジェイドは笑いかけた。
その間に、アッシュは手早く書類にサインをする。そしてそれをジェイドに
手渡した。
「うん……オーケイ。ところでアッシュ。署長が、この街に滞在する間、休憩
室を君に使わせてもいい、と言っているのだが……どうする?」
「いや。いい」
折角のジェイドの提案だったが、アッシュは辞退した。
「野宿でもなんとかなるさ。……ちょうどいいタイミングに飛び込んでいくこと
もできる」
アッシュがさきほど、ジェイドの窮地にタイミングよくかけつけられたのは、
つまるところ、すぐそばで野宿していたためだった。突如夜中に響いた銃声に
まわりを巡ってみたら、ジェイドがあの少女と対峙しているところに出くわ
しただけなのである。
それらのことは、すでに事情聴取の段階で二人も聞いていた。だからこそ、彼に
寝床を提供しようとしたのだ。
「だが、野宿だと色々と大変だろう。遠慮することはない」
「………だが、ここにはガースとかいうあの男もいるんだろう?正直、あの
男とはあまり顔を合わせたくはないな」
「………なるほど。それもそうですね」
ケヴィンは複雑そうな顔をしていった。
「あの人も、普段はいい人なんですけどね。親友の方を亜人種に殺される
前までは、そこまで露骨には言わなかったんですけど」
「親友……?」
「スレッド、という男でな。ここの保安官で、私とガースの同期だったんだ」
事情を知らないアッシュのために、ジェイドは説明をした。
「だが、二年ほど前に追いつめた犯人と銃撃戦になってな。犯人共々相打ちになって
発見された」
「なるほどな……。それでか」
「たしかに、元々そんな気性はあったのだけど。そのスレッドの件があって、より
強く思うようになったんだろう」
「はた迷惑な話だな。私としては」
確かにその気持ちはわからなくもないが、だからといってそんな根拠のない理由で
あたられても困る。
「………。しかし、ティターニアではその"銃"という武器、かなりポピュラーなん
だな」
「ん? いや、そういうわけでもないけどね。値段が高いし、メンテナンスは大変だ。
私達保安官でも銃を使うのは、ガースと私、あとは署長とほんの2,3人といった
所だ」
「僕も銃は使いませんからね」
ケヴィンはそういって、腰にさしたロングソードを叩く。たしかに、彼の腰には
銃のホルスターは見当たらなかった。
「ま、でもマニアにはたまらないらしいですけどね。その銃というのは。――ね?
ジェイドさん」
「まぁな」
意味ありげにいってくるケヴィンに、ジェイドはかすかに笑いながら、腰のホルスター
から銃を引き抜き、手の中でまわす。そのトリッキーな仕草に、アッシュは小さく
感嘆の息を上げた。
「すごいな。おもしろい」
「まぁな。だがこういうのは手品と同じだ。やはり銃の真骨頂は、銃を撃った時の
リコイルと、あたりに飛び散る硝煙の匂い――そして標的に当たったときのてごた
えだな」
「てごたえ? 銃にてごたえなんてあるのか?」
「あるよ。たしかにね。不思議と、標的に当たったのがはっきりと手ごたえに残る
んだ。たとえ相手が見えないところにいようとね」
「…ふむ……」
「君も使ってみたらどうだい? ハマるかもよ」
「……あいにく、飛び道具の扱いは苦手でな。弓の扱いは、ひどいものだった……」
アッシュは自分で思い出して、顔をしかめた。
放った矢が自分の背中にささった時は、自分でも何が起こったのかわからなかった
ほどだった。
そうして苦々しい表情をするアッシュに、ケヴィンとジェイドは珈琲を片手に苦笑した。
「ところで……僕達、何の話をしていたんでしたっけ?」
ふとつぶやいたケヴィンに、ん、とアッシュとジェイドは顔を見合わせた。
「なんだったっけ……?」
「……ああ、そうだ。君の寝床の件だったな。いつの間にか話が脱線していた」
「だったな。しかしやはり、そちらの申し出はありがたいが辞退させてもらうよ。
なに、堅いベッドには慣れている」
 旅を始めて、もうすぐ一年が過ぎる。その間のほとんどは、金を渋って、草原や路地裏で
マントにくるまっての野宿だった。体が灰化したために、固い地面でも体がこることが
なかったのだ。
「だが…………そうだな」
アッシュの返答に渋い顔をしていたジェイドは、妙案を思いついたというように顔を輝かせた。
「アッシュ。ならば、私の家にとまってはどうだ?」
「……なに?」
「私は一人暮らしなんだが、そのくせに部屋は余っていてな。君一人をとめるぐらいの余裕は
ありすぎるほどだ。ここに比べてベッドもやわらかいし、風呂だってある」
「いや。そこまで必要は……」
面くらい、アッシュは辞退しようと首を振ろうとした。だが不意に、ケヴィンがアッシュに顔を
よせ、鼻をクンクンとかいだ。
「………アッシュさん、相当臭いですね」
「なに?」
「ああ。それを私も思っていた。不思議と汗臭さはないのだが、なんというか……かなり泥臭い。
相当旅をしてきたんだろうが、それはさすがにひどいと思うよ。君は感じないのか?」
「そ、そこまでなのか?」
二人に顔をしかめながら言われて、アッシュはうろたえた声を上げた。
今の彼には嗅覚がない。そのこともあり、この旅の間、自分のかもしだす臭いに関して無頓着
だった。灰化した体のために水を浴びるということも、この旅の間数度しかしなかった。
言われてみれば、今の体臭は、かなり想像を絶するもののような気がする。
蒼白な雰囲気を上げるアッシュに、ケヴィンはジェイドとうなずきあう。
「……やっぱり、これは一度、体を洗ったほうがよさそうですね」
「ああ。決まりだな」
こうして、アッシュのストリーム家への宿泊が決まった。


ジェイドに連れられてアッシュが行ったのは、住宅街に作られた一戸建ての家だった。敷地面積は
かなり広く、小さなお屋敷のようにも見える。
「中々いい家に住んでいるのだな」
「ああ。家内の親が資産家でね。家を建てる時は資金を出してもらったんだ」
「ふぅん………家内?」
「ああ。死んでしまったがね。さ、入ろう」
「………」
素っ気無く応じて中に入っていくジェイド。そんな彼に一拍遅れて邸内に入ったアッシュが
見たのは、およそ男の一人住まいとは思えない清潔感に溢れた部屋だった。
洋風の間取りに様々なインテリアが、絶妙な均等の上に並べられている。アッシュは少し、
言葉を失った。
「さて、と……もう夜も遅いね。どうする? ひとっ風呂浴びてから寝るか、それとも
今日はもう寝て明日はいるか」
「……そうだな。まず風呂から先に入ろうか」
「そうか。ならば風呂を沸かせてこよう。しばらくかかるから、それまでくつろいでくれ
たまえ」
「ああ」
そういって、ジェイドは奥の扉をくぐっていった。一人取り残されたアッシュは、
まわりを見回した。
どうやら通されたここは、ダイニングのようだった。それもキッチンと一体になったもの
のようで、オープンスタイルのキッチンが見える。台所では水桶に洗い物が浸されており、
かすかな生活観を漂わせている。まったく、あのジェイドとは不思議な男だった。
と、アッシュはふと、テーブルの上に置かれた数枚のレポートに目をとめた。
何だろうかとそれを手に取ってみる。
それは、あの通り魔に関するレポートのようだった。それぞれの被害者の身元や
殺害の手口、それらからの犯人のプロファイルが、簡潔に記されている。
被害者は7人(今日の男を含めれば8人)。ジェイドの言葉どおり、それら全ての被害者に
共通点はないようだった。しいていうなら、浮浪者やゴロツキの類がやや目につくことだろ
うが、それはただ単に夜中に出歩く人種に彼らが多いからだろう。犯行が通り魔的なものだと
すれば、そう不思議ではない。
(……亜人種も多いようだな)
あの髭面の男、ガースを思い出して調べてみると、亜人種が少し多いように感じられた。
亜人種を全てひとまとめにしても、人間の絶対数には及ばないと聞く。だが7人の被害者のうち、
4人が亜人種だった。もっとも、亜人種の中には夜行性の者もいるし、ガースのような
レイシストに迫害されて、裏の道に走ったり人目を避けるようになったりする。
それを考えればそう不思議な数でもなかった。
「――ん?」
と、アッシュは一人の被害者の名前に目をとめた。それは一連の事件の最初の被害者である、
人間の女性の名前だった。
「マチルダ………ストリーム?」



「風呂をわかせてきたよ。……ってアッシュ、それを見ていたのか」
声をかけられて、それまで手にしたレポートに目を走らせていたアッシュは、顔を上げた。
「一応、その書類は部外者に見せちゃいけないことになっているのだがね……」
「ああ、すまない…」
「いや、いいよ。何か気づいたことでもあったかな?」
「いや……特には」
アッシュは首を振り、レポートをジェイドに渡した。
「奥さんを、亡くされたのだな」
「ああ、それも見てしまったのか」
ジェイドは、いつもの表情を崩さず、飄々と答えた。
「そう……だ。事件の第一被害者は、私の家内だよ。夜中に溜まっていたゴミを出しにいって、
翌日、発見された時には、腰から先がなかった」
「………」
アッシュの見たレポートには、殺害現場の被害者の写真まで載せられていた。腰から先を無くした、
おそらく生前は美しかっただろう女性が、表情を凄惨に歪ませていた写真だった。
「……奥さんの弔い合戦か……」
「……かもしれない。あれは、美しい見た目のくせに、とんだおてんばでな。家事をやらせては
何もできん。すすんでやる事は、荷物の持ち運びなど体を動かすことばかり。休日には、よくあれの
父の牧場で乗馬につき合わされて行ったよ」
そう語るジェイドの口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
どこか哀しみを含んだ、力のない笑みだったが。
その光景をいたたまれずに見ていると、アッシュは、彼の握る拳に気づいた。
その腕は力の限り握り締められ、震えていた。
「かわった奴だったが………それでも私の大事な家内だったんだ。
それを殺害した奴を、私は許しはしない……!」
ついに、彼は抑えていた激情を吐露した。握った拳を、テーブルの上に
叩きつける。
その口元には、もう笑みは浮かんでいなかった。ただ必死に激情をおさえようと、
歯が食いしばられただけだった。
「……私は、風呂にいってこよう」
その肩に軽く手をおいてから、アッシュは彼に背を向けた。
おそらく今の彼に必要なのは、赤の他人の助言などではなく、
一人になり落ち着くための時間なのだろう。


脱衣所で服を脱ぎ捨て、アッシュはまず、シャワーを浴びた。
嗅覚と味覚を失った体を、冷水のひんやりとした感覚が伝う。
伝わる冷水はアッシュの灰でできた体の粒子と粒子の間を通り過ぎ、
タイルの床へと流れ落ちていた。
不思議と、自分の体を構成する灰は、一粒とも流れ落ちない。
おそらく何か特殊な力で結ばれているのだろう。ゴルダ・ガーディアンの
一撃を受けた時など、粉末が飛び散ったことも何度かあったが、
それも気づいたときには、無意識のうちに寄り集まっていた。
「仇討ち、か………」
激情を必死におさえようとするジェイドを見て、アッシュは、数ヶ月前に船の上で
出会った、二人の女冒険者のことを思い出していた。
バルバシアの兵士達に仲間を殺され、復讐を目的にこのイブラシルに渡ってきた
彼女たちと別れて、もうしばらく経つ。
今も彼女は健在でいるのだろうか。――復讐を諦めていないのだろうか。
彼女たちもジェイドも、望んで憎しみをぶつけようというわけではない。
ただ、失った者を想うために生まれた心の空隙が、彼女たちを見えない何かへと駆り立てるのだ。
それが復讐となるのは、人の血塗られた性なのかもしれない。
だが、彼らが復讐を果たしたとき、本当に、その心の空隙は埋まるのだろうか。
「………」
アッシュは蛇口をとめた。思考もそこで止まった。
彼にはそれ以上の答えを見つけられはしなかった。
アッシュがジェイド達にできることは、何一つないようにも思える。答えは彼らでしか
見つけられないのかもしれない。
(……私には、祈ることぐらいしかできないのか)
『何が成せるのか』と思い旅に出たが、自分にできることは思いのほか少ない。
無力だと思い、アッシュは自虐的な笑みをうかべた。
「……せっかく、ジェイドが風呂をいれてくれたんだ。入るとしよう」
独り言をつぶやき、アッシュは浴槽に身を沈めた。
一人になって心を落ち着けたかったのは、自分の方なのかもしれない。



風呂から上がるころには、ジェイドはいつもの平然とした表情をしていた。
ただ、ダイニングのテーブルの上では、ワインのボトルが一本、フタを
開けられて置いてあり、空になったグラスが置かれていた。
風呂から上がってからも、元のボロ布を着るアッシュの姿にジェイドは苦笑したが、
アッシュはてきとうに言葉を濁した。
そういえば、彼にはまだこの体のことを言っていない。とはいえ、別に進んで言うような
ことでもないだろう。ケヴィン達がいつか話すかもしれない。
そう思って黙っていることにした。
このボロ布は、明日買い換えなければなるまい。
最後にそれぞれの寝室にわかれる途中、アッシュはふと思い、ジェイドを振り返った。
「私も、この街に滞在する間、犯人探しに協力しよう」
ジェイドは、そうか、とみじかく笑んだ。




○あとがきという名のいいわけ。○

は、後半にまわさせてもらいます。
で、一つだけ言わせてもらうと、

長 く な っ て 申 し 訳 あ り ま せ ん 。


気力のある方は続きも見てください。


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