塵芥 のアッシュ
第三回
ティターニアの怪 後編
(イブラシル暦685年4月)




――独りの夜は底冷えする――


その中、少女は一人、痛みと寒さに震えていた。
「……いたい……」
壁に寄りかかり、足を自分の腕で抱きかかえながら、少女は悲痛に訴える。


イタイ、イタイ――
それでも答えるものはおらず 彼女のか細い悲鳴は宙に吸い込まれる。
吐く息は白く 冷たい夜の冷気は 彼女の喉と 体に負った銃創を冷たく突き刺す。
腕で体を抱いて振るわせた。
痛みをこらえるために 寒さをこらえるために。
膝に顔をうずめる少女は そうして 一人寒さに耐えていた


――夜が明けるには、まだしばらくかかる――




アッシュが目覚めたのは、窓の外から差し込む朝日の光と、小枝にとまってさえずる
小鳥達のためだった。
「……朝、か」
こんな目覚めのいい朝は何ヶ月ぶりだろうか。彼はつぶやいた。
足もとに感じるのはフカフカのベッドの感触で、柔らかいシーツはさらなる惰眠を貪るよう、
彼を誘惑する。
それにすぐにベッドから出るのがもったいなく思え、アッシュはそのままの態勢で室内を
見渡した。
昨夜出会った、ティターニアの保安官、ジェイド。
今アッシュが使っている部屋は、彼の妻が生前使っていた部屋だった。
話に聞くに、その女性はたいそうなお転婆だったそうだが、この部屋を見る限りはあまり
そんな印象は受けない。部屋の調度品の類は少なく、必要最低限のものしか置いてい
ないといった感じだ。小物の類は少なかった。
妻の死後、ジェイドが片づけたのかもしれない。
そこまで確認したところで、ようやく布団から這い出てきたアッシュは、ふと、鏡台の上に
立てかけられた写真立てに気づいた。
歩み寄って、木製の、簡素な写真立てを手に取る。
おさめられた写真の中には、牧場を背景に四人の人間が映っていた。
そのうち三人には見覚えがある。
見知っている姿よりはだいぶ若いようだが、一人はこの家の主のジェイド。
もう一人は、レポートの写真で見た姿より、はるかに美しく若々しい、ジェイドの妻マチルダ。
そして、このころはまだ顔中の髭を生やしておらず、以外に愛嬌のある顔のガースだ。
残る一人の男はわからないが、やや太り気味の体にジェイド、ガースと同じ保安官の
服とバッジをしていた。
その写真立てをひっくり返して裏を見てみると、写真のすみには10年前の日付と共に、
小さな字で「三人の保安官合格を祝って」と書いてある。
となると、おそらく残る一人は、昨日ケヴィンとの話で上がったスレッドとかいう男なのだろう。
ガースの親友であり、ガース、ジェイドの同期といっていた。そういえば、腰には拳銃が一丁か
かっている。
三人は互いの肩に手を回し、少し照れながらも、誇らしげに微笑んでいた。
たしかに間違いなく、彼らはこの時、幸せだったのだろう。


このティターニアの街では、数年前から、通り魔による連続殺人事件が起こっていた。
被害者の特徴は、体の一部が切り取られていること。それ以外に外傷があるこ
とは少なく致命傷もないので、凶器の種類は不明らしい。
被害者は、ここ二年の間に8名にのぼる。その中には、あの写真の中で幸せそう
に笑う、ジェイドの妻マチルダの名もある。


階段をおり、ダイニングにむかったアッシュが最初に目にしたのは、
花柄のエプロン姿で出迎えるジェイドの姿だった。
アッ シュはその光景に言葉を失って絶句する。だがジェイドはそんなアッシュに
気づいた風も無く、振り返って、爽やかに微笑んだ。
「お う、アッシュ。起きたのか」
きちんと整えられた口髭がきらりと眩しい。
アッシュはしばし言葉を失って絶句するが、ジェイドはそれに気づいた風もなく、飯をつくるから
席についてくれ、とうながす。
アッシュは反射的にうなずきかけるが、危ういところで首を振った。
「ちょっとまってくれ。すまないが、作られても私は食べられない」
「ん? なんでだい?」
それに、ジェイドは首をかしげた。
「元々妻のかわりに自炊していたりしたから、味は保障できるぞ?」
と場違いなことを言う。
「いや、そうじゃなくてな……」
それにどう説明したものかと、アッシュは言葉に窮する。
そうこうしていると、不意に玄関の方から、蝶番が叩かれる音が響いた。それに二人は
いぶかしんだ顔をする。
「来客か?」
「ああ……そのようだね。こんな朝っぱらから誰だろう」
二人がそんな会話をしている間に、玄関の方から扉が開け放たれた音が響いた。
「ジェイド。入るぞ!」
「……あの声はガースか」
「む……」
その名に、アッシュは少したじろいだ。面倒なことになりそうだ。
やがてダイニングの扉も開かれ、二人の予想通り、早朝に見るのは正直ご遠慮したい濃い面の
ガースの顔が飛び込んできた。そして、エプロン姿のジェイドととも
にいるアッシュに怪訝な顔をする。
「ジェイド、そんな趣味が……?」
「どんな趣味だね」
間の抜けた問いかけをするガースに、すかさずジェイドが突っ込んだ。
「彼は泊まるところがないらしいので、部屋を一つ借しているだけだ」
「ふん……わざわざそんな奴を泊めることもないだろうに……」
「ガース。いかに君とは古い付き合いとはいえ、彼は私の客人で、ここは私の家だ。彼に噛みつ
くようなことはしないでくれよ」
すかざす釘をさす。一瞬、ガースは言葉につまるが、
「その男の方からちょっかいかけてこなければな」
と大仰な態度でうなずく。
それにジェイドは表情を曇らせたのだが、とりあえず訊ねた。
「それで、一体何のようだ? こんな朝っぱらから」
「ああ。昨日のお前の活躍のおかげで、通り魔事件に進展があったからな。
非番の奴も含めて、ちょいと緊急辞令が出ている。ほら」
ガースは、一つの封筒を手渡した。その中には何枚かの書類が入っているらしく、
少し重量があった。
「すぐに目を通しておけよ。俺は内容を知らないからな」
「ああ。……ん? お前は?」
「俺は昨日から徹夜していたから、これから非番だ。たっぷり寝て、今夜に備える」
「なるほど、わかった」
「じゃあな」
ガースは軽く手を上げて、別れを告げた。後ろ手でダイニングの扉を閉めようと
した彼は、ふと思いつき、アッシュにむかって中指を突きたてた。
「Fuck」
扉が閉められる。それと同時に、アッシュの中で怒りが燃え上がった。ジェイドは、
同僚の別れ際の挨拶に、すまなさそうな顔をする。
「すまない。ああいう奴なんだ、気にしないでくれ」
「……善処する」
短く答えるアッシュの声色は、明らかに不機嫌そうだった。だがすぐにその事に気づき、
息を大きく吐いて落ち着かせると、ジェイドをふりむいた。
「それで、あいつは何を持ってきたんだ?」
「ああ、見てみようか」
ジェイドは封筒を開き、書類を取り出す。
「えーと、昨日の被害者のレポートと……これはこれまでの事件の総まとめ。あとは、
私への辞令だな」
「なんと書いてある?」
「午前10時より今後の捜査の方針を決める会議を開くので集合されたし"
……10時となるともうすぐだな」
「……そうだな。いますぐでないと間に合わないんじゃないか?」
「ああ……すまない、どちらにしろ、君の朝食は作ってやれないようだ」
「気にするな」
(どうせ食べる事はできないしな)
アッシュは内心で肩をすくめた。
そんなアッシュに、そういえば、と視線を投げかける。
「君はどうする? 会議に出席してみるか?」
「いや。私ではあまり気の利いた意見も言えそうに無い」
ジェイドの問いに首を振った。
「その前に武器屋によろうと思う」
「武器屋?」
「ああ……最近はもう、この槍一本じゃ心もとなく思ってな」
アッシュの使っている青銅製の槍は、もう一年近く彼と行動している。その間
豆に手入れして、だましだまし使っていたが、そろそ潮時だろう。幸い、資金もある。
 その答えに、ジェイドは思案顔をする。そして、口を開いた。
「それならば、いい店を紹介しようか? 私達保安官の間で御用達にしている店
なんだが」
「 いい店なのか?」
「ああ。サービスはともかく商品はな。どれ、今から地図を書こう。少し待っ
ていてくれ」
ジェイドはそういって、メモ用紙をちぎってそれにペンを走らせた。そんな彼に
むかって、すまんな、とアッシュは礼を言う。
それにジェイドは笑って返した。



「ドールマン武具店……ここだな」
入り口につるされた看板にある屋号を見て、アッシュはつぶやく。そして、中へと
足を踏み入れた。
 だが、扉を開けたところで一番に飛び込んできた顔に、踏鞴をふむ。
「……おう?」
この店の店主と、カウンターで話しこんできた男が、こちらを振り返ってきた。
顔中に剛毛を生やした、むさくるしい顔の男。さきほど分かれたばかりのガースだった。
「奇遇だな。この店に何しにきた?」
台詞だけは世間話だが、その口調には、"なぜ貴様ごときがこの店にくる?"とでも言
いたげな、あからさまな敵意がこめられていた。それにかすかに身構える。
「武器屋にきたんだ。武器を買う以外になにがある?」
「そうか? ならいいんだ。てっきりかっぱらいの物色にきたのかと思ってな」
揶揄する口調と共に、口元に見下した笑みを浮かべる。アッシュはそんな彼を
一度睥睨してから、彼を無視することに決めた。
「………」
狭い店内だった。だが壁一面に様々な武器の類が陳列され、その種類は豊富だ。
特に銃器が目立つようだが、もちろんそれ以外の武器も多かった。
「ふん……」
そんな彼の態度に、ガースはつまらなそうに鼻を鳴らした。そして店主に体の
むきを戻し、話を再会した。どうやら値段の交渉をしているらしく、
ケンカすれすれの怒鳴り声が背後で響いていた。
室内をじっくり巡り、品物をしっかりと検分した後、アッシュは一本の両手剣
を選んだ。攻撃盾の両手持ちや、短剣の二刀流が一番理想的かとも思ったが、
最終的には好みが勝った。
カウンターの方では、店主とガースの交渉はある程度おさまったようで、二人は
和やかに談笑していた。そこに、アッシュは両手剣を置く。
「これをくれ」
「1200シリーンだ」
即座に返されてうなずき、アッシュは懐から小銭を取り出した。そして、
きっちり1200シリーンをカウンターに置く。
「親父、そのお金は受け取らない方がいいぜ。どうせ汚れた金だからよ」
「……なんだと?」
ニヤけた笑みを浮かべながら言ってくるガースの発言に、アッシュは凄みを
聞かせた。だが、ガースはどこ吹く風といった様子で、アッシュを見下している。
これに、アッシュはついに堪忍袋の緒が切れた。
「どれほど、人間様がすばらしいのか知らないが…」
指を突きつける。
「そうやって、上から物を見るのはやめろ。貴様にそんな資格はありはしない」
「……ほう? 化け物が何か言ってやがる。聞こえんなぁ」
耳に手を当て、わざとらしく耳をそばだてるガース。とことんまで、人を小馬鹿
にしていた。
「貴様…」
拳を握りこむ。殴りかかるためと言うよりは、怒りをこらえるためのものだったが、
ガースの次の態度次第ではそれも逆転しかねない。
だが、そこでわりこんだ店主の声が、二人を諫めた。
「二人とも、ここは私の店だ。大人しくできないんなら出てってくれ」
少ししわがれた声で、店主が言った。アッシュも拳を解く。それを見て、
ガースはまた下卑た顔をする。
「なんだ、やめるのか? つまんねぇな」
アッシュは無視した。これが外の大通りなら一切の気兼ねなく拳を振りぬい
ていただろうが、場所が店の中、それもわざわざジェイドが紹介してくれた
店だということが彼を踏みとどませた。早々に店長から両手剣を受け取り、
背中にさして外へと出る。
このままガースといれば、いつか殴りかかってしまったかもしれない。
だが、外に出たアッシュを、あろうことかガースは追ってきた。胡乱気に
ガースの顔を見つめる。
「……なんだ、そんなにケンカをしたいのか?」
言外にいつでも受けて立つ、と意志をこめて、アッシュが問いかけた。
だがガースは首を振る。
「いやいや。めっそうもない。ただ一つ忠告しておこうと思ってな」
「忠告?」
アッシュは、早歩きで歩を進めながら、問い返した。ガースもそれに
並走して付き従う。
「ああ。お前、俺達の捜査を手伝うつもりか?」
「…ああ、そのつもりだが」
うなずいた。
「それなら言っておく。余計なことはするなよ」
「……足手まといになるつもりはない」
アッシュは吐き捨てるように言い放った。だが、ガースは首をふった。
「ちげぇよ。――お前、通り魔とグルだろ?」
「はぁ?」
予想外のガースの言葉に、アッシュは足をとめ、聞き返した。
「……どうしたらそんな結論になるか、聞いてみたいな。私は昨日
ジェイドを助けたのだぞ」
「お前ら化け物の考えなんて俺が知るかよ」
率直に答えるガースに、アッシュは彼の顔を見つめた。
――こいつは何を言っている?
「貴様は………」
そこまで言って、口をつむぐ。言葉を飲み込み、思考を明確にした。
傲岸不遜、唯我独尊。
この男は、おそらく、考えの奥底に亜人やその類に対して偏見を持っているの
だろう。彼にとって亜人やアッシュの存在=悪であり、決して自分達と同じ
存在ではありえず大きなみぞがあるのだ。
「………一つ質問していいか?」
そこまで理解したアッシュは、初めて、自分から問いかけた。ガースは
「質問したけりゃ勝手にしろ」と突き放す。
「なぜ、貴様はそこまで亜人を嫌う?」
ならば、とアッシュはとりあえず訊ねてみることにした。
「スレッドとかいう仲間を亜人に殺されたという話は聞いた。だが、亜人
嫌い自体はそのずっと前からなのだろう?」
「……スレッドの話は誰に聞いた? ジェイド………いや、ケヴィンか?
……まぁいいか。そのとおり」
ガースは大きくうなずいた。
「俺は亜人が嫌いだ。なぜかって、たいてい厄介ごとを起こすのは奴等だからだ」
「……それは、非常に微妙な違いだ。人間達だって法は犯す」
「かもしれないがな。だが、亜人は性質が悪い。奴らは、罪悪感を感じないんだ。
人間様とは、根本的に考え方が違うんだよ」
「……誰が、そんなことを決めるんだ」
「誰が決めるんじゃねぇ、元々そうなんだ。奴らはそういう生き物なんだよ」
言い捨てるガースの口調は確信に満ちていて、懐柔する糸口すらないように見えた。
考えが完全に凝り固まり、彼の頭の中は偏見に満ち溢れているのだろう。
(……くだらない)
アッシュは心の中で吐き捨てた。親友を失った過去を考慮しても、ジェイドやアゴ
ニー達と違って彼には同情できそうもない。
「くだらんな」
もう一度、今度は声に出してつぶやいた。ふつふつと胸の内に怒りがこみ上げてき
ていた。
「化け物からすれば、そうなんだろうな」
それでも相変わらず、ガースは意見を曲げなかった。
彼とは決して相容れない。アッシュもよくそれがわかった。
「おい? わざわざそっちから行くのか?」
裏通りの方に入り込むアッシュに、ガースが問いかけた。
アッシュは振り返らないで無視し、路地の奥に消えた。
彼とは決して相容れない。それがよくわかった。


大通りをはずれ、路地裏を歩く。彼は街を歩く時、いつも人通りのほとんどない
裏通りか、逆に人通りの多い大通りを歩くつもりにしていた。自分の外見の異質
さを自覚している彼は、できるだけ人目につかないように行動しているのだ。
一国の首都だとは言え、裏通りは裏通り。中々に荒んでいて、様々なごみがそこ
かしこに散らばっている。
そしてアッシュはその時、壁に広くふちゃくした、赤黒いシミを見つけた。
色彩からして恐らく血だ。
喧嘩の跡だろうか。
「…そういえば、あの子も怪我をしていたな」
ふと、ジェイドの狙撃によって銃撃を受けた、漆黒の少女のことを思い出す。
軽い傷には見えなかったのが――大丈夫なのだろうか。



うっすらと、少女は目を開けた。
いつの間にか、夜が明けていたらしい。あれほどの痛みの中でも
よく眠りこけていたものだと、苦笑する。
寒さが過ぎ、彼女の痛みもいくらか和らいでいた。


傷は深い。
このままでは、命が危ういだろう。
「……狩らないト」

少女は翼を広げた。
漆黒の翼を一打ちし、大空に舞い上がる。
一晩寝ている間に、いくらか体力も戻った。傷は痛むが、少しぐらいなら
戦える。
ふと、大空を舞う彼女の知覚が、一つの影を見つけた。
「……あれは……」
彼女の視界の中で、器から溢れ出る生命力。
「……決めた」
少女は、そちらへと舞い降りた。



「………まさか、そちらから出てくるとは」
空から舞い降りた少女に、アッシュはわずかに驚きの声を上げた。
地面に足をつけた少女は、手の平をかざす。そこから紫炎が舞い上がったかと
思えば、彼女の手に黒塗りのあの大鎌が現れていた。どうやら、特殊な
力で実体化した品らしい。
アッシュも武装した彼女を迎え撃つため、背中の両手剣を引き抜いた。
そして、互いに踏み込み刃を交えた。両手剣と大鎌が拮抗する。
真昼間の裏路地に、いくつも剣戟音が鳴り響いた。
数度目に打ち合い、二人は後方に飛んでともに距離をとる。
アッシュはまだ余裕を残している。だが、少女は違った。
肩で荒い息をつき、頬を汗がつたっている。まだ一分も経っていないのに、
少女は荒い息をついていた。
原因は明白だ。彼女が腕や太ももに巻いた黒いスカーフ。それには、うっすら
とシミが広がっていた。昨夜撃たれた銃創が、まだ治っていないのだろう。
彼女の不調を見て取ったアッシュは、早々に勝負を決めるため、踏み込んだ。
剣をわざと受けさせ、拮抗させる。そして互いに力比べをした所で、アッシュは
ふっと力を抜いた。
「あ」
予想通り。バランスを崩した彼女の体は前のめりになる。その間に素早く腕に手刀
を落とし、鎌をとりおとさせる。
それでも少女は抵抗を諦めなかった。手の平に紫色の炎を生み出す。
だがそれは一瞬煌いて霧散した。不発だった。
少女の顔が驚愕に歪む。
アッシュはその隙に、少女の腕を締め上げた。
「あぐっ……!」
「暴れるな! 傷口が開くぞ!」
恫喝する。だが、少女は手足を懸命に動かし、暴れ出した。
だが、いくら暴れても無駄だと悟ったのか、体力がなくなったのか、動きを停止する。
少女は、荒い息をついていた。アッシュに抵抗する力も弱い。
「満身創痍じゃないか……」
そんな状態で自分に立ち向かってきたことに、アッシュは呆れた。と、
「おね、がい……」
少女がかぼそい声で、アッシュに語りかけてきた。
「助けて……」
「それはできない。……悪いが、君は保安官にまで突き出させてもらう」
「お願い……死ぬのは、いや……」
「あ、おい!」
不意に、少女の体から力が抜ける。そして地面に倒れ伏した。慌てて抱きかかえる
と、少女は色白な顔に、玉のような大粒の汗をかいていた。そうとうに衰弱して
いるらしい。
(なぜこんな状態で私にむかって……)
アッシュは、そんな彼女にむかって短く印をきった。そして手の平をかざす。
「……ライトヒール」
かざした手の平から燐光が生まれる。少女の体を淡い光が包み、腕や足に負った銃創
は全てふさがった。
「これで少しは……」
少女の横顔を見ると、まだ息は荒いが、大分落ち着いてきていた。アッシュは満足げに
うなずく。
そしてしばし逡巡して、彼は少女の体を背負い上げた。ふと探してみれば、地面に
落ちた大鎌はない。彼女が意識を失うと同時に、具現化が解けたのだろう。
アッシュは慎重に少女を背負いなおすと、路地を歩き出す。
背負った少女の体は、予想以上に軽かった。



ほどなく、アッシュはジェイド邸にきた。すでにかなり近いところまできていたので、
とりあえずここに運び込むことにしたのだ。
まだジェイドが帰ってきた様子はない。事前に言われていた鍵の隠し場所から
鍵を手に入れて入り、寝台の一つに靴を脱がせて少女を横たえた。あとは手をシー
ツで縛って身動きできなくさせ、きわめつけに猿轡をかませた。あの紫色の
炎を出させないためだ。
腕の傷を治療したからすぐに呼吸も落ち着くだろうかと思ったが、ここにきて、
再び少女の荒い呼吸もぶりかえしていた。
「怪我じゃないのか……?」
体に受けた銃創は、アッシュのライト・ヒールで全て完治したはずだ。熱でも
あるのかと、アッシュは少女の額に手を伸ばす。――その冷たさに、アッシュは
思わず手をひっこめた。
 少女の体は、かなり冷え込んでいた。つたう汗も冷たく、まるで冷水のようだった。
ただならぬものを感じた。
これは、保安官より先に医者を呼ぶべきかも知れない。アッシュがそう思ったときに、
うっすらと少女は目を開けた。
「起きたのか」
問いかけるアッシュに、少女はつらそうな目で、自分の口にされた猿轡を外すよう
うながす。アッシュは、まってろ、と言ってから彼女の口から猿轡を外した。
「………大丈夫か?」
「うん……外してくれて、ありがとう」
「あの紫色の炎は出すなよ。じゃないと、すぐに簀巻きにしてやる」
アッシュの脅しに、少女は小さくうなずいた。
目覚めたものの、少女はまだつらそうだった。顔色もかなり悪くなっている。
「病気なのか? 医者を呼んでこようか」
心配になってたずねると、少女は首を振った。
「いらない。……それじゃ、治らないから」
「え……?」
言うと、怪訝に声を上げるアッシュにかまわず、少女は寝転がった。そして、
目を閉じる。
「おい……?」
またすぐに眠ったのかと、確かめるためにアッシュはかがみこむ。だが、
それこそが少女の狙いだった。
指先に炎をともしてシーツを焼き斬ると、身をかがめたアッシュに手をのばし、
引き倒す。そして、その上に覆いかぶさった。
満身創痍とは思えない、力強い動きだった。
「くっ……!」
だがアッシュもあっさりとは覚悟を決めない。やらせてなるかと強く暴れる。
少女も必死にアッシュを押さえつけようとするが、わずかにアッシュが上だった。
やがて、アッシュは少女をベッドに突き飛ばし、自分は離れる。そして、突如
襲い掛かる全身の倦怠感で、木の床に膝をついた。
「くっ………なにをした?」
体を倦怠感が包んでいる。ちょうど、あの紫色の炎を喰らったような感じだった。
あの時ほどではないが、かすかな気だるさが全身を包んでいる。
一方、少女はベッドのはじまで後退し、息をついていた。だが、アッシュは彼女
の顔色がわずかによくなっていることに気づいた。
昨夜のジェイドの言葉を思い出す――
――君もこんな話を母親にされたことはないかい? 他者の魂を食らって生きる
化け物――そんな御伽噺を――
――どうやら、彼の推測は、正鵠を射ていたのだ。
アッシュはそばにたてかけておいた両手剣を手に取った。対して、少女はじっとすみ
で荒い息をついている。まだ大鎌を生み出すほどの体力は戻っていないのかもしれない。
だがアッシュを見つめるその顔は、そこには憎悪や殺意などの濁った感情ではなく、ただひ
たすら生への渇望、懸命さがあった。
そんな彼女に気圧されて、アッシュは彼女を取り押さえるのをためらった。
「………?」
そんなアッシュを見て、少女はかすかに、いぶかしんだ色を浮かべた。
「ころさ、ないの……?」
問いかける。
それには答えず、アッシュは問いに問いで答えた。
「……一つ聞かせてくれ。君はなぜ、死体の一部を切り取った?」
被害者の体は、全て体の一部が切り裂かれて欠如していた。
ただ彼女が魂を喰らうために人を襲ったしても、その行為自体は果たして必要だっ
たのか。
だが、彼の問いに、少女は首を振った。
「………あれは、私じゃない」
「……なに?」
「殺したのは、私じゃない……私は、ただ死体から、残った魂を頂いただけ……」
「……ここにきて、そんな言い訳が通ると……」
「……信じないなら、いい……」
少女は、息を大きく吐き出すと、手の中に大鎌を具現化した。と、同時によろめく。
やはり今の彼女の力では、それはかなり大変な作業らしい。
「……無理をするな」
あまりにも不憫に思えて、アッシュは踏み込み、少女が反応できないうちにその手から
鎌を取り落とさせた。今の彼女ならば、そこらの子どもでも勝つことができるだろう。
アッシュによって鎌を落とされた少女は、そこで体力が尽きたのか、足から力が抜けた。
慌てて、アッシュは彼女の体を支える。
腕の中の少女は、ぐったりとしていた。意識はあるようだが、抵抗する気力はないら
しい。
「今から保安官のところまで連れて行く」
アッシュはそう告げると、その態勢のまま、少女を連行した。
ストリーム邸を出て裏路地へと入る。署まではこの裏通りをつたっていくのが最も
最短コースで、人目につきにくい。
と、前方から人影がやってきた。見知った顔だった。むこうもすぐにこちらに気づく。
「ジェイド……」
「なんだ、やけに遅いと思っていたら家に寄っていたのか」
ジェイドはこちらにむかって走り寄ってくる。
そしてアッシュの腕に抱かれた少女を見て、驚いた顔をする。
「……捕まえたのか?」
「ああ」
アッシュは短くうなずく。
「路地を歩いていたら襲いかかってきた」
「……やはり、その子が犯人なのか?」
「おそらく。妙なことを言っていたが、お前の推測は当たっていたよ」
「私の推測?」
「『他者の魂を喰らう』……というやつだ」
「ああ……あれか」
ジェイドは合点がいったという風にうなずく。そして、少女を少し遠慮気味に
観察した。
「世界は広いと言うが、そんな者もいるのだな……」
「ああ、現に私も……」
そこまで言いかけて、そういえば、ジェイドにはまだ何も言っていなかったなと、
ジェイドを振り返る。
だが振り返った先で見えたのはジェイドの清潔な顔ではなく、黒光りする銃口だった。
アッシュが息を飲むと同時に銃口が火を噴いた。銃弾は彼の眉間を貫き、彼の体を
弾き飛ばした。
力を失った彼の体は、音を立てて崩れ落ちた。


自分を抱えていた男の体がぐらつき、仰向けに倒れる。
その拍子に、男の手から離れた自分の体も、地面に叩きつけられた。
少女は、痛みに小さな悲鳴を上げる。
そして疲れきった体で、男を銃撃した口髭の男を見上げる。
「あなたは……」
機械的な動作で銃口をむける男の顔は、彼女には酷く冷徹に見えた。まるで、そう――
彼女が昨夜感じた夜の寒さのような。
少女はその後、自分のそばで倒れ伏す、フードの男を見た。男の体は弛緩して、
四肢がだらりと垂れている。
「……この人とは、仲間じゃなかったの……?」
「……難しい質問だな」
彼女の質問に、口髭の男はそう前置きした。
「彼はたしかに私の協力者ではあったが、その協力の仕方は少々的外れでね。私にとっては、
邪魔以外のなにものでもなかった」
「だから、殺したの……」
――あの夜の人たちみたいに。
彼女は、自分がこの街にきたばかりのころを思い出していた。
その日の食事を探して夜の街を飛んでいた彼女はそこで、命乞いする男に、嬉々として銃弾を
打ち込む目の前の保安官の男の姿を目撃していた。それはこの街に滞在する間、すでに何度
か目にしていた。
あの時も、今と似た表情をしていた。
「そうだ。そして後は君を消せば、全ては終る。連続通り魔の『犯人』は、君となって」
「…………う」
男の陰惨な口調に、身の危険を感じた彼女は、じりじりと後ずさった。
その度に、目の前の男は一歩一歩と距離をつめる。
その口元には、残忍な笑みが浮かんでいた。
「君を殺したら、ほとぼりが冷めるまで『狩り』はしばらくお預けになる。……ふふ、今日は君で存分に
楽しませてもらうよ。体が動かせない分、せいぜいいい声で鳴いてくれよ?」
照準を、少女の胸から右腕へとうつす。口元がひときわ大きくつりあがった。
だが。
「なるほどな……犯人はお前だったのか」



「なるほどな……犯人はお前だったのか」
「なに……?!」
無防備な後姿をさらすジェイドに言葉をかけると、ジェイドは振り向き様に
トリガーを引き絞った。だがろくに狙いをつけなかった弾丸ははずれ、かわりに
放たれた両手剣の切っ先が迫る。
ジェイドはライト・クレイモアの斬撃をすんでのところでかわした。そして後ろにとんで距離
をとる。
「アッシュ……なぜ、生きて……」
「おかげさまでな」
アッシュは頭部のフードをはがし、包帯男よろしく巻いていた布を全て取り払った。
灰でできた頭部が露出する。
「なっ……?」
「今まで隠していて悪かったな。ケヴィン達には聞いていなかったのか?」
硬い声で訊ねる。その声色には、まだかすかなためらいが見て取れた。
アッシュは訊ねかける。
「……なぜ、お前が……? お前の妻を殺したのも、おまえ自身なのか?」
返答は、銃撃だった。意図的にわざと外された弾丸が、背後の壁に突き立つ。
「そうだよ。マチルダを殺したのも私さ」
表情にどす黒いものを秘めて、ジェイドが言う。
「なぜ?」
問いかけずにはいられなかった。昨夜、亡くした妻のために声を震わせた彼のあれが、
演技とは思えなかったから。だが、ジェイドは表情をかえず、淡々と言った。
「……妻は、浮気していたのさ。スレッドとね」
「スレッド……」
あの鏡に映っていった、ジェイド、ガースと同期という男。――あの男と?
そこでハッとなった。スレッドは追い詰めていた犯人と相打ちになったと
聞いていたが、まさか――
「そう、推測どおり。スレッドを殺したのも私だ」
「……なぜ」
「報いだよ。人妻と知りながら、同僚の妻と床をともにするなどという男への、ね……」
陰湿な、危険な香りを含んだ言動。アッシュの背筋を戦慄が走る。
目の前の男は、彼が短い間に見知ったジェイドという男とは、あまりにも異質だった。
だが、隠し立てなく思いを吐き出す今の彼こそが、本当の彼なのだろう。
許せない、と思った。残虐な手段で、幾人もの人間を殺害した男。そして自分が逃れ
るために、一人の少女に罪をきせようとした目の前の男を。
「死体の一部を切り取ったのは……銃による犯行と気づかせないためか?」
「そのとおり。そうすれば、一応の目くらましになるからな。……それと気づいてい
るかな? さきほどから私の銃から、ほとんど銃声がしないことを」
そう。ジェイドの銃からするのは、かすかな空気のぬけるような音がするのみで、普通
の銃が放つような轟音は鳴り響かなかった。
「ドールマンは、私達三人にそれぞれ、特別な銃を作った。ガースには一撃の大きな
銃を、スレッドには命中精度の高い銃を。そして私には、威力は二つよりも落ちるが、
この音のない銃をくれた。銃を使えば当然銃声がなるもの。それがしなければ、犯行に
使われたのが銃だとは考えにくい」
「なるほどな……」
「遺体は、全て私の家の地下室にコレクションしてあるよ。ちゃんと防腐処理を
施してね」
「…………」
喜悦として語るジェイドの口調は饒舌だった。アッシュは、畏怖で返す言葉が浮かばな
かった。
さらに、ジェイドは悦とした表情をし、自分で握る銃に視線を這わせる。
「銃は、素晴らしい……撃った瞬間のリコイル、周囲に飛び散る硝煙の臭い、そして
標的の肉に貫いた時の感触……どれもが」
「それで、今まで8人もの人間を殺したのか……!?」
驚愕とともに訊ねる。ジェイドは、肯定に唇を歪めた。
「スレッドと、奴が追い詰めていた犯人を含めて10人だね……そして、君で11人目だ!」
ジェイドがかまえる銃口が弾ける。弾丸が自分の右腕に命中するのを知覚しながらも、
アッシュはかまわず肉薄した。剣を振るうが、それはかわされる。
「この間合いでは剣の方が有利だぞ!」
二度、三度続けて振る。ジェイドは避けるのに必死で、時々牽制に銃弾を放つのみで
攻撃にうつれない。
だが――
「そうとは限らないぞ?」
刹那生まれた一瞬の隙を逃がさず、銃口を、アッシュの胸にポイントした。そして、
続けて銃弾を放つ。
「切り札はとっておくものだ!」
――クインタプルストライク!
一瞬に5つの弾丸が放たれた。腹部に強い打撃を受け、周囲に粉末が飛び散った。
「ぬぐっ……!」
この一撃には、さすがのアッシュも足が沈んだ。動きをとめる。
「もう一撃だ」
唇を大きく吊り上げ宣言した。銃口がアッシュにむけられる。――ところが。
突然横手からきた弱々しい衝撃が、アッシュの体を弾き飛ばす。それで5つの
弾丸はそれぞれ、背後の壁に突き刺さった。
アッシュの体を突き飛ばしたのは、あの少女だった。まだ体力が十分ではないら
しく、足もとがふらついている。
「私の邪魔をするなっ……!」
怒気を含ませて、ジェイドが銃口をそちらにむける。それに動きをとめる少女の
腕をとり、アッシュは強引にひっぱった。銃弾はそれる。アッシュはそのまま、
少女を連れて建物の影に隠れた。
「すまない……助かった」
銃撃を受けた腹部に手をあて、ライトヒールで体力を回復させながら、少女に
礼を言う。一方の少女には、その礼に答えるのも億劫そうで、荒い息をついている。
「大丈夫か?」
心配になって訊ねると、少女は小さくうなずいた。
「……本当に、君が犯人ではなかったようだな……すまなかった」
アッシュはそう詫びると、手をさしだす。その手に、訝しげに少女はアッシュを
見上げた。
「翼が使えるぐらいにまで吸ってかまわない。それで避難してくれ」
その言葉に、少女がわずかに目を見開いた。躊躇するようにアッシュの露出した顔を
見上げると、その手を手に取り、額にあてる。
十秒ぐらい、そうしていただろうか。アッシュがかすかな目眩を感じたころ、少女は
手をはなし、見返してきた。
「ありがとう……」
「…………」
少女は立ち上がると、翼をひときわ大きく広げる。そして、手の中にあの大鎌を
出現させた。
「あの男を、倒すつもり?」
「ああ。そのつもりだ」
「………手伝ってあげるわ」
少女は小さな声で宣言すると、今度は自分から手を差し出してきた。
「私と、契約しましょ」
「……契約?」
「私の名前は、Efil(エフィル)。あなたの名は?」
こちらの問いには答えず、話を進める少女――エフィル。契約という名に一抹の
不安を感じなくもなかったが、すぐに思い直して、アッシュは答える。
――どうせ一度死んだ身だ。
「アッシュ。今は、その名を名乗っている」
少女は小さくうなずいた。
「これから、私はあなたの力となる。……そのかわり、あなたには私の糧となって
もらう。……いい?」
「ああ」
「契約、成立……」
少女はつぶやくと、指先に紫炎をともし、空中に印を刻む。そしてゆっくりと微笑んだ。
「よろしく、アッシュ」
「……ああ。エフィル」
「早速力を借りるね」
少女はそう言うと、アッシュにむかって手を差し出した。それと同時に、アッシュは
わずかに力が抜けていくのを感じた。
少女は、手の中にあの紫色の炎を生み出す。そして、アッシュめがけ放った。
「紫玉の焔よ……纏いて、我らを守る盾となれ!」
アッシュの眼前ではじけた炎は、彼の全身を円状につつむ。そして薄い膜を張った。
「これは……」
「結界……全ては防げないけど、威力はだいぶ削げるはずよ」
「なるほど…恩にきる」
拳を握りこむ。そして、物陰から外に跳び出た。
すぐさま弾丸の雨が降り注いだ。だが、アッシュはかまわず突進する。
「おおおぉぉぉぉ!!」
真正面からむかうアッシュの体にはいくつもの弾丸が突き刺さったが、それには
かまわず、距離をつめる。肉薄したジェイドの表情に、驚愕が刻まれる。
「くらえっ!」
振りかぶってからの強打。それは、とっさにかばったジェイドの右腕に食い込んだ。
両断はできなかったが、骨を折る手ごたえはした。
だがジェイドがあの銃を握るのは左腕だ。痛みをかみ殺しながら、銃口をアッシュの
顔面めがけ、放つ。アッシュの顔が後ろに弾けた。だが――
「エフィル、今だ!」
「なっ?」
アッシュの叫びに反応するように、背後を振り返る。そこには、上空から大鎌を
振り上げるエフィルの姿があった。
「――やぁっ!」
巨大な大鎌が、宙を旋回して振るわれる。ジェイドの腹部が深く抉られ、あたりに
返り血が飛び散った。
「――このアマァッ――!」
それに痛みに鈍るでもなく、目を血走らせて、ジェイドが毒を吐いた。拳銃をエフィルの額に
ポイントさせる。
「死ねぇ!」
「―――死ぬのは、貴様だ!」
背後から迫ったアッシュが、ライト・クレイモアをふり抜いた。
腹部と背中を切り裂かれたジェイドは、最後に呆然と何事かつぶやき、自分の
血の海に倒れ伏した。



駆け寄ってみると、ジェイドはすでに絶命していた。
顔を驚愕にゆがめたままの顔で、何もない宙をにらんでいる。
せめてもの情けと、アッシュはその目を閉じさせた。
「……ふぅ……」
アッシュは、その場に尻餅をついた。腕や足、銃弾を受けたところが痺れ、あまり自由が利かない。
体を包む倦怠感もあって、立っているのが億劫だった。
そして、あぐらをかいた態勢で、そばで横たわるジェイドを見る。
いまだ正直、信じられないものがあった。目の前のジェイドが、連続通り魔の犯人だったとは。
勢いに流されるままに彼と戦ったが、まだ、何かの間違いだったのではないか、と思えてくる。
それはやはり、昨夜の、マチルダに対する彼の胸の内の吐露を、見てしまったからだろうか。
「………」
アッシュは、立ち上がった。それに、そばに立っていたエフィルが、彼の顔を見上げる。
「アッシュ……?」
「彼の屋敷の地下室へ行こう」
そこには、彼が保存している遺体があるはずだ。


鍵のなされていた木製の扉を、蹴破って強引に開ける。
請われたドアの隙間から、滞留し、濁った空気がもれてきた。その臭いに背後の
エフィルが顔をしかめる。
踏み込んでみて、アッシュはあたりを見回す。そして思わず声を上げた。
「………これは」
ガラスケースの中にいれられた、幾つものサンプル。それらは、全て人の遺体だった。
――中でも――中央に置かれたモノは――
アッシュは、言葉を失った。
それはガラスケースにおさめられてなどいなかった。ただ、地べたにそのまま置かれている。
原型は、とどめていない。数十、あるいは数百の弾丸が打ち込まれたそれは、ただの肉塊
と化しており、すでにかなり腐敗が進んでいた。
ちぎれとんだ足元の親指からして、それが人の下半身だったことがわかる。
「……これが……奴の『復讐』だったのか……」
自分を裏切った妻に対する、執拗で陰湿な――凄まじい妄執の果ての。
アッシュの胸のうちを、闇よりも昏いものが覆う。
あの、場違いな清潔さと爽やかさの裏にあったジェイドの闇に、
ただ、
やるせない、とアッシュは思った。

その後、すぐ、アッシュは事の顛末を保安官の人間につたえた。
同僚達がジェイドに対して感じていた印象は、アッシュと同じだったようで、
最初はアッシュの言葉も信じられなかった。だが結局、彼の地下室にあった遺体と、
彼自身の筆跡の日記が決めてとなり、アッシュの言葉は信じられることとなった。


「俺達三人が、街のストリート・ギャングから保安官にまで成り上がったときな…
三 人で記念して、あの店の親父から、それぞれ別々の銃を作ってもらったんだよ」
ス トリーム邸の地下室から出てきたガースは、そうやるせない顔をして、私の隣に
座った。

「その時、俺は見てのとおり、威力最優先の大口径拳銃を頼んだ。スレッドの奴は犯人を効
率よく無力化できるよう、命中率優先の銃を。そして、ジェイドは、ああいう音のでない銃
を作ってもらった」
その時ばかりは、普段肩をいからせて歩く男も、どこか所在なさげに見えた。
「長い付き合いだ……その時も、奴の屈折したところに、薄々気づいていた。だが、まさか……」
ガースも、ジェイドが犯人だとは夢にも思っていなかったようだ。自分が毛嫌いする『化け物』に、
己の弱さを見せるほどに。


スレッドという男とマチルダに関する話も、そのガースから聞くことができた。
マチルダはジェイドの話どおり、自由奔放な女性だったらしい。資産家の娘でもあるにも
関わらず裏路地に通い、そこでジェイド達三人に声をかけたりしていたのだという。
三人全員にとってマチルダはアイドル的存在だったそうだが、結局彼女はジェイドに惹かれて、
彼のものとなった。
スレッドという男は、寡黙で実直な男で、犯人を追い詰める際も不殺を狙う、保安官の鑑の
ような男だったそうだ。
ガースとは親友どうしではあったが、ガースの差別的なところにはいつも反発し、よく口論
をしていたそうだ。彼も、ジェイド同様、他の保安官からは慕われていた。
彼は、マチルダと浮気などしていなかったそうだ。
ガースの話によると、マチルダはたしかに度々、ジェイドに内緒でスレッドの家を訪問したり
していた。だが、彼女がしていたのは浮気ではなく、最近ジェイドとの中が不仲なこと、そして
彼の銃に対するのめり具合に関して、同僚であるスレッドに相談にしていただけなのだ。
…そう、ただそれだけだったのだ。




一通りの取調べを受けて解放された私は、すぐに街を出ることにした。
だがなぜか、この街にはまた来ることになりそうな気がする。






「……しかし、本当に私についてくる気なのか?」
街の検問を出たところで、私は背後のエフィルをふりかえった。と、彼女は小さくうなずいた。
「アッシュとは、契約、したから」
「……そうか」
あれから、彼女に関する話も聞いた。
彼女はソウル・イーター、魂喰らいの一族らしい。
彼ら自身が生き延びるためには、他者の魂を喰らい続けて生き延びるしかないのだという。
「私と一緒にいけば、人を襲う必要はないのだろう?」
「うん」
灰のみの体となった私は、彼女曰く、魂がむき出しな状態ならしい。
そのために、通常死んでいなければ取り出せない魂が、私の場合は手を触れるだけで、
少しずつ取り出すことができるのだ。
彼女にとって私は、無限の食糧庫なのかもしれない。
「それでアッシュ、これからどうするの?」
「ん? そうだなぁ……」
私は、思案する。地図とにらめっこして、最近決めた次の目的地。
「アムスティアめがけ、カタコンベ方面に行ってみようと思う」
「そう」
エフィルはうなずくと、私のとなりにならんだ。


旅に出てもうすぐ一年。
そろそろ一人旅にも飽きてきたところだ。
ちょうどいい頃合なのかもしれない。


イブラシル暦685年4月。私はその日、陰惨な事件の果てに、
一人の旅の同伴者を得た。
さて、彼女との旅で、これから何が起こるのだろうか。
――果たして。




あとがき
いいわけはやめてみました。
サスペンス風味にしたててみましたが、いかがでしたでしょうか。
個人的には、ガースやスレッドのからみを出すことができず、ジェイドも、うまく犯人への複線を
はることができなかったのでやはり実力不足を痛感しました。
アッシュも言っていますが、もしまたこのティターニアを訪れることがあれば、スレッド、ジェイド、
ガースの三人を書いてみたいと思っています。
では、よければまた。

注・今回のは、一度UPしたものの終盤とあとがきを修正したものです。
あまり違いはありませんが…w


時間はあったけど精神力が追いつかなかった一週間 とちょっと

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