第 十二回(イブラシル暦687年3月)

斜塔
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  大きな門をくぐって最下層におりたったアッシュ。
 彼はそれよりも、さらに大きな門の前まで来ていた。扉はかすかに人一人分ぐらいの隙間が開いており、開けるのに苦労する必要はないようだ。
 アッシュがそれをくぐろうとすると、背後から声をかけられた。
「あぁ、その奥にはオベロンがいるから気をつけてね」
「………?」
 背後を振り返る。エフィルじゃなかった。声の主は彼女の見つめるまた先。
「初めまして、アッシュお兄ちゃんにエフィルお姉ちゃん」
「……君は?」
「ボクはモミ。一応ジャガー兄ちゃんの使い魔ってことになってる。二人でオベロンに挑む二人のことを聞いてね、今日は応援しにきたんだ」
「ジャガー……。応援?」
 アッシュはまじまじとモミという少年を見た。見た目はエフィルよりもさらに小さく10歳ぐらいで、連れはいない。
 極少人数、3人以下でのオベロン撃破はいまだされていない。それはようするに、そんなことをする物好きが少ないことの表れだが、一部の人間は そのことでアッシュの戦いに注目していた。少年もそんな一人なんだろう。
「頑張ってね。今日はずっとここで応援しているから」
「・・・・・あ、ああ・・・・」
 アッシュは少年の様子に驚いた様子でいた。予想外の事態だったのだろう。少年が目を輝かすのには対照的に、たじたじである。
「・・・・なに、この子?」
「・・・・・・・・さぁ・・・・なんだろうな。とりあえず好きにさせよう」
 エフィルはコクリとうなずく。
 と、
――リィン
「あ・・・・・・」
 突然少年が顔をしかめて、後方を振り返った。
「どうした?」
「・・・・・・。もう、仕方ないな、ジャガーお兄ちゃん・・・・」
「は?」
「ごめん、ジャガーお兄ちゃんに呼ばれちゃったからボク行ってくるよ。
オベロン、がんばってね」
「・・・・・・あ、ああ」
「それじゃあ」
 モミという名の少年は、韋駄天のように走り去っていった。
「・・・・・・・一体なんだったの? あの子・・・・・」
「さぁ、な」


  門をくぐった先には、巨大な空間があった。
 燈台に灯された魔法の光が、全体を白く照らしだしてている。広大な空間も、太陽の日差しのような光も、まるでここが地上のようだった。
 しかしここはカタコンベ。光の届かない地下に作られた墓場。左右の赤茶けた岩壁は、ここが赤土の中に掘られた、地下であることを示してい る。
 空間の左右には、門番の様に、石像が立ち並んでいた。はるか高みから訪問者であるアッシュたちを見下ろしている。
「オベロンは?」
 エフィルが問いかけた。アッシュは無言で前を指し示した。
 いた。二人の眼前にオベロンがいた。空間の中央で、どこかあらぬ方向を向いて立ち尽くしていた。
 アッシュは弓を背中から取り出して矢を装填し、エフィルは大鎌を具現化する。すぐにも飛び出そうとするエフィルを制して、アッシュは進み出 た。
「オベロン王よ」
 アッシュが名前を呼んだら、オベロンは彼を振り返った。痩せ細った体に色あせた鎧を着こみ、片手には抜き身の刃。ソード・オブ・オベロン ――。
 振り返った先で、オベロンは落ち窪んだ眼窩を見せた。瞳のない視線は自分を見ているのか、認識することが果たして出来るのか。少し不安に なったが、問 答無用で告げる。
「私とお相手願う」
 同時にアッシュは弓を構える。と、オベロンが咆哮を上げた。人の放つものではない、亡者の叫びのようだった。
 しかしその程度に怯む二人ではない。エフィルは飛翔し、アッシュは手元のオプションパーツを素早く弓へとセットする。拳より一回り小さいぐら いの、小型の鉄球を放つためのものだ。
 用意できた弾丸は二つ。外せない。
「当たれ!」
 バシュン、と間延びした音とともに放たれた魔法弾はオベロンの左腕に食いこんだ。と、爆発を巻き起こし、空間内に衝撃波を生む。
 かすかにひるみながらもオベロンは、アッシュにむかって飛び上がって一撃。が、ヴォルダインが作ってくれた鎧が、 たやすく刃を弾いた。
(もう一撃――!)
 今度の弾丸は右腕に食い込んだ。と、オベロンの体を蹴り飛ばして距離をとり、戦果を確認する。
(どうだ?!)
 オベロンの両腕は、あらぬ方向に捻じ曲がっていた。修復する様子はない。
 第一の関門を突破し、アッシュはこの戦いに勝機を感じて、声を張り上げる。
「オベロン、勝負だ!」
  声高に二度目の宣言をし、弓のトリガーを引き絞った。



「クックック……馬鹿じゃねぇノあいつ?!」
 そんなアッシュ達を、影で眺める四人組みがいた。
 その中の一人。髪を逆立てた男は、笑いを殺しきれないようだった。奮戦するアッシュ達を見て腹を抱えて笑って、否、上げるのは爆笑だ。
「ドライン。敵に気づかれる、静かにしろ」
「まだ俺達の出番じゃない。もう少し経ってからだ」
 その逆毛男――ドラインを、女と大男がたしなめる。
 ――女はアーイン、そして 大男の名はヴァイス。
 さらにこの場の四人の最後の一人は、アッシュをここ、カタコンベへと誘った張本人、自称占い師ヌルファスだった。
「そうですよ、ドライン。彼らにはもう少し、頑張ってもらわなければならないので」
「は、はい。……ック、ククク……!」
 ヌルファスの言葉に、ドラインはうなずく。だがやはりそれでも、完全には殺しきれていないようだ。
 ヌルファスは彼から視線をはずし、アッシュ達にむけた。
「でもまあたしかに……愉快ですねぇ」



 そのころ、アッシュ自身は違和感と、失望を感じていた。
(これが、オベロン王……なのか?)
  オベロンのソード・オブ・オベロンと、アッシュの小手が交錯し、火花を散らす。
 しかしアッシュは、毛ほどの痛みも感じていなかった。続いて距離をとり、矢を放つ。
 ブスリと音がしてオベロンの体に突き刺さった。しかしオベロンの勢いはまったく変わらない。すでに何本も突き刺さっているのに、だ。
 最初に腕を破壊し攻撃力をそぐ。それが狙いだった。それでも、オベロンの力はある程度、自分を脅かすだろうと思っていた。また、剣の達人であ る そうだから、技の冴えも見せてくれるはず。だが先ほどから剣の振り方はまるで粗雑で、技巧の欠片も見せない。
 正気を失ったアンデットなのだから、過去の剣の冴えは、失ってしまったのかもしれない。だとしても非力すぎる。そして、異様な頑丈さ。
  斬りつければ斬れるし矢を射れば突き刺さる。しかし、全く勢いが衰えないというのはどういうことか。
 両者の戦いは、すでに少数の戦いとしては異常なほどの時間が経っている。
 負ける要素はなく、ただ膨大な時間が経過するだけ。神経をすり減らす要素なんて何一つなく、アッシュはそこに失望を覚えていた。
 同時に、
(この戦いの先にヌルは何かを見出すとか言っていたが……所詮ただの占いだったか?)
 ただの腕試しのつもりではあったが、ヌルファスの言葉に小さな期待を抱いていたのは紛れも無い事実だった。その点にも、アッシュは失望を感じ ていた。
「つまらない戦いなら、さっさと終わりにしましょう」
 影でエフィルがささやいた。アッシュもうなずく。
 と――
「!」
 不意に違和感を感じてアッシュは飛びのいた。そこに突き刺さる矢が一本。
「誰だ?」
 カタコンベに住まう弓を使うスケルトン――ヴァイカウント・スケルトンかとも思ったが、違う。奴にはこれほどの矢は打てない。
 振り返った先にいたのは、あのヌルファス達の4人組だった。アッシュは当然のように驚いた声を上げる。
「貴様はヌルファス……なぜここに?」
「ふふ、私にもここに用があったのでね。ドライン、ヴァイス、アーイン」
 ヌルファスが号令を下すと、三人は同時に動いた。そして散らばり、ヌルファスをあわせて、アッシュとオベロンを四角形に囲むように覆う。
 嫌な予感を覚えて、とっさにアッシュはその四角形から逃れた。ヌルファスはクスリと笑った。
「賢明な判断です」
 しかしあくまで狙いはキング・オベロンだったらしい。短く呪文を唱えると、とたん、光が迸りオベロンを縛り上げた。
 光の縄にとらわれ咆哮を上げるキング・オベロン。だが縄は頑丈で、どれだけもがいても解けそうにない。
「何をしている?」
「見ての通り、オベロンを捕縛しているのですよ。かえって研究するのです」
「なに……?」
「これまでご苦労様でした」
 ヌルファスは、まるで宮廷の貴婦人を相手にするかのような優雅さで、アッシュをもてなした。慇懃無礼とも言う。
「私の名前はヌルファス。――バルバシア軍諜報機関、スーティ・フラクチャーの隊長を勤めさせていただいています」
 ニコリ、と満面の笑みで告げる。アッシュはその笑顔にむけて、弓の照準を合わせた。
「そうか……だましていたわけか」
「飲み込みの早い方で助かります」
「つまり私は、露払いとして送られたわけか……」
 アッシュは押し殺したように告げる。
「だが、なぜ奴をとらえる? 研究のため、と言っていたが。オベロンの体にティターニア打倒の秘策でも隠されているのか?」
「《豊饒の暁》《紺碧の海》と呼ばれる二つの衛星、そして太陽が一直線に並ぶ時――
  ――万象は一転し、空は赤く染まり、あらゆる奇跡が起こる。」
「……?」
「こんな穴倉にこもっていてはわかりませんが、今は昼前にもかかわらず、空は、それは鮮やかな朱(あかね)に染まっているはずです。今は奇跡の時」
 アッシュはそういえばと、冒険者間で噂されていた話を思い出した。確かそんな話もあったような気もする。
 しかしオベロン打倒に邁進する自分には、あまり関係ないと思っていた。
「奇跡の力は、森羅万象の五行のバランスを覆す。相互に。ある者は逆に力がそがれる。変わりに耐久力が上がる者も。ある者は、鬼人のごとき動きで動けるよ うになる……。そして疲れを知らぬ体に。アストローナの冒険者の方々には、 特にこの恩恵を受けられる者が多いようで。逆に我が軍は、今回は防戦一方でしょうね。そのための備えは、していますが」
「……つまり、あのオベロンはその奇跡のせいで、あの異常な生命力と、力が弱まった状態に……?」
「そうです。私たちはその状態で捕らえ、そしてその『奇跡』を受けた状態で保存し、研究させていただく……そういうわけです。オベロンともなると、倒すの は厄介なので、ね。貴方がたにはここまでお越しいただきました。ついでに、私どもの研究材料になって欲しいのですが……。いかがです?」
「お断りする!」
 アッシュは矢を放った。と、その一撃は、斧の平で弾かれた。ヴァイスという名の大男だった。
「残念です。では、眠ってもらいます」
 微塵も残念そうな表情を見せずにヌルファスは告げた。
「永遠にね。――ヴァイス、ドライン、アーイン。やりなさい!」
「させない……」
 飛翔したのはエフィルだった。頭であるヌルファスの背後に迫り、鎌を振るう。
 だがその一撃を、アーインという女が矢で妨害した。危ういところで避けるエフィル。
 同時に矢を放つアッシュ。それをヴァイスは真っ向から弾きながら、アッシュに接近して、両手斧を振り下ろした。
 小手で受け止めるアッシュ。しかし、鎧の装甲を打ち破り、斧はアッシュの腕に食い込んだ。
「く……!」
「ヒャハハハ、これでおしまいだぜ!!」
 耳障りな哄笑に、背後を振り返る。視界をドラインの短剣が覆った。
 ――《クイックチェーン》!
 三連斬がアッシュを切り裂き、ついで、
「まだまだいくぜ!」
――《クイックステップU》!
 さらに斬撃がアッシュを切り刻んだ。
「とどめだ、ブロウ!」
 最後に放った裏拳が、アッシュを横に吹き飛ばした。エフィルが声を絞り出す。
「アッシュ!」
「あなたもよ」
 宙を走った矢が、エフィルの肩口を深々と貫いた。バランスを崩し、地面に落ちる。
 二人を瞬殺した部下たちに、ヌルファスは満足げな笑みを浮かべた。
「ご苦労様です。二人はこのまま縛り上げて、本国にでも……」
「このぐらいでやられると思ったか?!」
  さえぎったのはアッシュだった。素早い動きで起き上がると矢を放ち、ヌルファスを牽制。エフィルを目の前でかっさらい、入り口の門めがけて走 る。
「なるほど、さすがに頑丈だ……」
  遠ざかる背に呟くと、アーインが矢を放つより先に、詠唱を完了した。
「ケルブストライク!」
 光の聖獣・人面を持つ犬ケルブが現れ、アッシュに喰らいついた。アッシュは物理に強い反面、魔法には耐性がない。ケルブが彼の体を噛み砕き、 それにのけぞり、悲鳴をもらした。そのまま倒れる。
「く、そ………」
 足に力が入らなかった。視線は床しか見えない。下腹部の辺りに、わずかにエフィルの体の感触があるぐらいだ。
 その姿に、ドラインが爆笑を上げた。
「ギャハハハ! ざまぁーねぇなー! なにが『く、そ……』だよ!! ザコっちぃ!」
「ドライン、そこらへんにしておけ。事実だろうと敗者にも情けをかけるべきだ」
「あ? 姉さんもじゅーぶんてきびしいっすよ」
「そうか?」
「ま……いいですけどね。ルヌファス様ー、あいつさっさと倒してよくね? もうこんな穴倉さっさとでたいっすよ」
「……そうですね。まぁ、軽く眠らせておきましょう。……おや?」
 その時だった。足音がばたばたと鳴り、二人のまわりに六人の人間が展開したのは。
「アッシュさん!」
 闖入者の一人が回復魔法をかけ、アッシュの体を癒して見せた。
 闖入者の登場に、アッシュも、そしてヌルファス達も目をむく。
 斧を構えた長髪の青年、つば付き帽子をかぶった色白銀髪の男、その後ろには18ぐらいの少年と少女、さらにはなぜかメイド服を着込んだ女がい た。
 そしてアッシュに魔法をかけたのは、作業服を着込んだ赤い髪の少年だった。その顔には見覚えがあった。
「君はジェラ……」
「シッ。……すいませんがその名前は秘密にしていてください。ボクはジャガー・リコ」
 少年は人差し指を立てると、アッシュを静止した。その背後では、彼の仲間が、ヌルファス達と睨み合っていた。
「おや、おや……これは予定外のお客様ですね……」
 ヌルファスはさほど動じた風もなく、闖入者達を値踏みした。
 先頭に立つ長髪の青年が、片手斧をつきつける。
「たった一人に、四人がかりとはな。少々卑怯すぎるんじゃないか?」
「あいにく卑怯こそが私たちの得意技、それでは卑怯者らしく、目撃者の口封じといかせていただきましょう」
「戦う気か……!」
 ジャガーを除いた5人と、ヌルファス達スーティ・フラクチャーの4人は戦いを始めた。
 それを見ながらも、アッシュは傍らの少年を眩しげに見つめる。
「ジャガー・リコ……。じゃあ、君があのモミとか言う少年を送ってくれた……」
「ボクもいるよ。弓が怖いから隠れてるけどねぇ」
 柱の影から、あのモミという少年が言った。ジャガーは苦笑を浮かべる。
「てっきり、アッシュさんのことだからオベロンをもう倒しているかと思いましたが……変わった状況ですね。お手伝いさせていただきます」
 治療を完了したジャガーは言うと、戦いを始めている仲間の下へと駆けた。
 アッシュはそれを追おうとした。が、足がもつれて倒れ込んだ。
「立てないの?」
 こちらは完治したエフィルが、そばで声をかける。アッシュは歯がゆそうにうなずいた。
「……そのようだ。……エフィル」
「何?」
「私は本当に愚か者だな……」
「アッシュ……?」
 怪訝気に、エフィルは声をかけた。しかし、アッシュは答えない。彼の弱みを見せまいとする自尊心が、それをさえぎったのかもしれな い。
「……アッシュ」
 語らないアッシュに、エフィルは声をかけようとした。と、二人の間を割って入ったものが、アッシュの眼前に突き刺さった。タロットカードの 『愚者』と『塔』だった。
「ふふ、あなたをこの地に送るために演出した占いでしたが、結局は当たってしまったようですね。愚者のカードは、本当に遊びで選ばせてみたのですが……。 まさしくあなたにふさわしいカードだ!」
 カードを放ったヌルファスが告げた。今の彼の手には、先端に水晶がついた杖・クリスタルロッドが握られている。
 戦いは、圧倒的にヌルファス達が押しているようだった。数の差はあるものの、一人一人の錬度が違った。ジャガー達は、ドライン達の攻撃に耐え るのが精一杯のようだった。
 アッシュはヌルファスに言い返さなかった。ただ地面のカードを見つめていた。
 うつむいたまま言葉を返さないアッシュに、つまらないと思ったのか、それ以上言葉をかける価値もないと思ったのか、再びヌルファスは戦いに 戻っていった。
「アッシュ……」
 エフィルは、アッシュに控えめに声をかける。返答は沈黙。と、エフィルはひざまずくと、アッシュの手を握った。そして、アッシュの鎧に包まれ た顔を見つめる。
「私は…アッシュと出会えてよかったよ」
「エフィル……?」
「私に『世界』を教えてくれたのは、アッシュだから」
 たどたどしい口調で告げると、エフィルは立ち上がった。
「私はいくね。もっと二人で、世界を見てみたいから」
 彼女は去った。ジャガー達の援護にむかう。
 一人残ったアッシュは、地面のカードを見ていた。
 愚者のカードと、塔。
 愚者のカードを選んだのは、これ以外に自分にふさわしいカードはないと思ったからだ。未熟者の自分には、まだ他のカードを選ぶのは早すぎる。 それは同時に叱咤だった。はやく高みへと上れという。
 だが、どうであろうか。一人踊らされつき走った上にこの事態。自分どころか、エフィル、そしてジャガーとその仲間達までをも、巻き込もうとし ている。
 結局あの時。砦の中でエカテリーナを助けられなかった、砦で多くの仲間達を助けられなかった時と同じなのだ。一歩も進んでは、いない。
 ……一歩も進んでいない、のだ。
 アッシュは手の先で、土を握り込んだ。自分に口があったのなら、奥歯が折れるほど、噛み締めていただろう。
 それは、力足りないことに対する悔しさではない、自分のふがいなさへの怒りだった。
 一歩も進んでいない自分に、崩れる塔など、あるはずもない。
 できることは、ただ歩き続けることだけた。
 拳を一発地面にぶち込み、アッシュは立ち上がった。地面を蹴る。
 その時エフィルにむかって、アーインの矢が放たれた。――すでに数箇所傷を受けていた彼女には、かわせない。
 ならば!
 阻むようにそびえ立ったアッシュが、その攻撃を阻む。
「アッシュ………?」
「エフィル。体だけでも、あるのはいいものだな。盾になれる」
「アッシュ!」
 後衛から一歩進み出たヌルファスが、声をかけた。
「おや……ようやく来ましたか。しかしあなた一人が来ても、状況は変わらないでしょう。死者ならば死者らしく、大人しく眠りにつきなさい」
「生憎だが。私はまだ大人しく、倒れるつもりはない」
「ただ在るだけの存在である貴方に、何ができると?」
 アッシュがあのカードを選んだ理由を見抜き、ヌルファスが唇の端を吊り上げた。
「違う」
  が、それを否定した。
「ただ在るだけの存在など、私は認めない」
「ほう。面白いことをいいますね。果たしてこの状況であなたに何ができるでしょうか?」
 ヌルファスが手を広げた。力を誇示するためか、ヌルファスの部下も含めて全員、攻撃の手をとめていた。
 それでも瀕死のジャガー達は、回復も満足にできなかった。メイド服の少女が必死に回復魔法をかけている。ジャガーも回復魔法をかけるが、彼は 魔法は強力な分、潜在的に蓄えている魔力の量が少ない体質だった。もうすぐ魔力が切れかけている所だろう。
 下手な手出しは、命取りになる。彼らはアッシュとヌルファスの動向を見守っていた。
「私はただ在るだけの存在など、認めない。私は………」
 拳を握り込む。浮かんだ言葉は、今の自分とは矛盾したものだった。
「私は生きている」
 命ある限り、歩き続けられる。しかし彼は他人を歩かせるために、自分の命を賭していた。そして毛ほどの役にも立たずに、死んだ――。
 だが彼は歩いていた。無駄かもしれない。ただ在るだけの存在なのかもしれない。
 それでも未来はある。未来は可能性。0が1に、そして100に、その先に。
 今も手に握った『愚者』のカード。
「私もタロットに関して、少し調べた。だから知っている。愚者のカードが示すのは、」
「己を見つめることでの、飛躍――」
 カードを裂く音が、あたりにこだました。白い紙片が宙に舞う。
「………叱咤するのは、最近飽き飽きしていたんだ!! 今見せてやろう。愚者が、のぼりつめる時を!」
 力強い咆哮、あるいは力なき者の遠吠え。愉快そうに、ヌルファスは笑った。馬鹿にするではないが…強者を前に、その相手を踏み潰す快感を予期 させるものだった。
「ならば示して見せなさい! できるものならば!」
「ああ、示して見せるさ――」
 ヌルファスは詠唱を始め、アッシュは傍らのエフィルに声をかける。それが、戦闘開始の合図だった。
「エフィル、喰らえ」
「う、うん……」
 エフィルはアッシュの魂の力を吸い上げる。そしてこみ上げる怒涛の力に戸惑った。
(なに……? この量……)
 膨大な生命力がエフィルに流れ込んできた。こみ上げる力は彼女の足元から溢れ出し、空間内を照らす純白の光にも負けない、黒に近い紫色の炎を 爆発的に生み出し顕現する。
 紫色の焔を纏う少女。その姿は天女の似姿か、地上へと舞い降りた堕天使か。
  続いてアッシュは、周囲のジャガー達に呼びかけた。
「奴らの攻撃はできるだけ私が引き受ける。君たちは攻撃に専念してくれ」
 周囲から戸惑いがちの返事が返ってくる。と、鼻で笑う声。
「は、てめぇなんざすぐに息の根をとめてやるよ!」
 ドラインだった。アッシュは余裕綽々に中指を立てる。
「出来るものならやってみることだ。若造」
「てめぇ――上等だ!」
 ドラインは目標をアッシュに定め、短剣を振り上げた。トリプルアタック。しかしアッシュの小手はそれをなんなく弾いた。
「その程度か?」
「ちっ!」
「――ならば、これならどうです!」
  詠唱を完了したヌルファスが、クリスタルロッドを振りかぶり、言の葉を解き放つ。
「――ヴァプティズマ!」
 知られる光魔法の中では最上級魔法。魔法に耐性のないアッシュならば、即死――すでに死んでいるが――しても、おかしくない。
 だが、光の放射がおさまっても、アッシュはその場にまだ立っていた。わずかに、よろめいただけだ。
「……今のは、けっこう効いたぞ」
「なに……?」
 ヌルファスは怪訝気に漏らした。今の魔法ならば、行動不能か、ほとんど瀕死ぐらいになっているはず。しかしアッシュは、言葉とは裏腹に、さほ ど意に返した風もなくその場に立っていた。
 と、アーインにむかって紫玉の焔を放っているエフィルを見た。紫色の炎を身に纏う彼女が放つ炎は、3条。その光景と、彼女が身に纏う炎の量か ら、彼は一つのことが思いついた。
――「豊饒の暁」「紺碧の海」と呼ばれる二つの衛星、そして太陽が一直線に並ぶ時――
――万象は一転し、空は赤く染まり、あらゆる奇跡が起こるとされている。
「まさか……その力が?」
 定かではないが、どちらにしろ、まさしくこの光景は奇跡に等しいものだった。
 ジャガー達六人にアッシュとエフィル。そしてヌルファス達四人。互いに刃を合わせた。
 この場で奇跡の恩恵を受けたのは、アッシュと彼から力を分け与えられたエフィルだけのようだった。しかし、厄介な攻撃をアッシュが受け止める だけで、彼らは攻撃に専念できた。
 ツネアークの刃が飛び、ギャロネスの魔法が炸裂し、ティアの槍がドライン達を切り裂く。カンテツが歌った歌はドライン達の攻撃をそのまま相手 に返し、シムカ、ジャガーの回復魔法が、例え傷を負っても即座に癒した。柱の影に隠れるモミも、鼻歌混じりに人形を操って攻撃をサポートする。
 彼らが優勢、とはいかなかった。ヌルファスは途中から回復に専念し、彼の高い魔力はついた傷を即座に癒す。カンテツが張った復讐の凱歌は、 ヴァイスが自分自身を犠牲にすることで剥ぎ取った。そこへアーインの矢が狙い済ましたかのように決まり、猛るドラインが短剣を振り下ろす。
 しかし、アッシュがそのほとんどを体で受け止めることで、戦いの行方は徐々に彼らに傾いて行った。
 そして――
 ギャロネスの金属性魔法、アイアンストームが発動する。
 砂鉄の乱舞がヌルファス達を切り裂き、血しぶきが舞う。切迫の戦いの果て、スーティ・フラクチャーは全員、地面に膝をついた。
「どうやらこちらの勝ちだったようだな」
「……ふ、少々誤算でしたね」
 ヌルファスは傷つきながらも、立ち上がる。と、彼の元にアーイン達も集まった。
「ここは、退かせてもらいます」
「! 待て!」
 アッシュが叫ぶ。が、ヌルファスは一瞬で詠唱を完了させ、耳鳴りとともに、彼らの姿は光に包まれた。矢を放つ暇もなかった。あの魔法はおそら く、テレポート だったのだろう。
「つ……」
 と、アッシュは全身を疲労感が苛むのを感じた。戦いが終ったことで、あの不思議な奇跡の恩恵がなくなったようだ。
 背後を振り返ると、ジャガー達も荒い息をついていた。途中から、ジャガーとシムカというメイド服の少女は、魔力が尽きて自ら殴りかかってい た。 今は戦いの後に一息ついている。
 アッシュは、彼らを振り返ると、一度頭を下げた。
「ありがとう」
「あー、いいよ。ちょい楽しめたしね」
「ただの観戦って聞いてたのに・・・・…こんな戦いがあるなんてマジ聞いてないですよ><」
「俺は俺にできることをやっただけだから。礼はいらない」
「強かったなー。ただの人斬りじゃないようだったが」
「いえいえ。この程度なら」
「アッシュさんの力になれたのならなりよりです。怪我はないですか?私の魔法で癒してさしあげたいのですが……。もうちょっと待たないと魔力が回復しない ようです」
 それぞれが、返答を返してくる。
 と、背後で突如咆哮が上がった。どきりとすると、ヌルファス達が消えたことで結界が解けたオベロンが、動き出したところだった。
 てっきり襲い掛かってくるのかと思えば、オベロンは彼等には見向きもせずに、空間の奥へと歩いて消えた。正気を失ったかつての王は、何を思っ たのだろうか。
 ともかく戦わずに住んで、彼らはほっとして胸をなで下ろした。
 と、ふと思いついたように、ジャガーはアッシュに言った。
「ところで…オベロンじゃなくて、なんであの人たちと戦っていたんですか?」


  後で聞くところによれば、彼らはただ単にアッシュの戦いを見にきただけだったそうだ。
そこでアッシュ達に襲い掛かるスーティ・フラクチャーを見てただならぬものを感じ、参加 したそうだ。
 彼らもまたオベロンと戦った直後で、この最下層には、キング・オベロンの魂はいくつかに分かれて存在しているらしく、アッシュ とジャガー達が戦ったのはそのうちの一つだったようだ。

 魔力が回復するのを待つかたわら、アッシュは、これまでの経緯を話した。
 やがて魔力が回復して、回復担当はそれぞれを治療して回った。アッシュも回復魔法が使えるので、自分とエフィルは彼の担当だ。さほど時間はか からずに癒し終えた。
 と、ふと思い立ったアッシュは、エフィルからヌルファスのカードを受け取ると、広げた。
 『死神』、
 『ペンタクルの騎士』の逆位置、
 『ソードの4』、
 『塔』。
 最初の占いでヌルファスによって配られたカードだった。アッシュ達をいざなうためにわざと出したのだと言っていた。次の占いでワン ドの5が出て、死神と皇帝が偶然にこぼれたのも、狙い通りだったのだろう。でなければ、都合がよすぎる。
 結局彼らに全て踊らされたわけだ。
 と、そんなアッシュの元にジャガーがやってきた。そしてアッシュが広げたカードを見る。
「タロット占い、ですか?」
「ん……ああ。これがヌルファスに踊らされた時に、出されたカードなんだ」
「そうなんですか。…私も大アルカナのカードが示す22人で構成されるギルドの一人に、一度立候補したことがあるんですが……。その時にちょっとだけ、タ ロットカードをかじったんです」
「そうなのか?」
「ええ。これがその占いですか。…アッシュさん相手に死神のカードを出すなんて、安直ですよね。全く、もうちょっとうまくできなかったんでしょうか」
「……そうだな。確かに、気づこうと思えば気づけたかもしれん」
「他のカードはペンタクルの騎士にソードの4…それに……これは」
「――ん? どうかしたか?」
  ふとジャガ−は、とある一点で手が止まった。いぶかしんで問いかけると、彼はクスリと笑った。
「塔の逆位置は、破壊の後の再建を意味するそうですね」
「ん? いや、これは正位置――」
 訂正しようとジャガーを見ると、彼はいたずらっぽく微笑み、塔のカードを、アッシュから見て反対向き。つまり、逆位置へと変えた。
「それでは私たちはもう行きます。また機会があれば、会いましょう」
「え? ああ……達者でな」
「それでは」
 ジャガーは立ち去る。彼の仲間達も、彼の到着を待って、門をくぐっていった。
 エフィルと二人、残されたアッシュは、四枚のカードを並び替えてみた。
 あの時自分達は、ヌルファスに対して真正面に立っていた。つまりアッシュから見れば、カードの正逆も、また並び順も逆だったはずだ。
 過去を表すのは『塔』の逆位置。
 現在を表すのは『ソードの4』の逆位置。
 障害を表すのは『ペンタクルの騎士』の正位置。
 未来を表すのは『死神』の逆位置。
 これで見ると、どうなるのか。
 過去で死んだことは、アッシュにとって新たな兆しを見せたことになる。
 現在は休眠期間が終わり、徐々に状態がよくなっていること。
 障害は、順調に事態が進んでいるのに、焦る事が障害となる。
 未来を表す死神の逆位置。つまり、死ではなく再生。過去に見切りをつけ、新たな道を歩き出す。
 それを見て一瞬、アッシュは笑みを浮かべそうになって、やめた。カードを放り投げる。
 できすぎだ。これらは全て偶然にしか過ぎない。占いなんて、解釈をしようと思えばいくらでもできるのだ。特に、全てが終った後では。
 と、放り投げたカードは、エフィルによって焼かれた。
「アッシュには似合わないよ。占いなんて」
「……そうだな」
 どこが似合わないのか。それはわからないが、エフィルに言われてうなずき、アッシュは持っていた残りのカードも差し出した。
「これも全部燃やしてくれ」
「うん」
 彼女の炎であっという間に、塵と化す。燃え残った灰は、軽く払うと風圧に巻かれてあたりに散らばり、砂に混じってしまった。
 二人はどちらともなしに立ち上がる。ここを立ち去り、次にむかおう――自然にそう思っていた。
「……その、エフィル」
「なに?」
 呼びかけたアッシュに、エフィルは訊ね返した。
「その、な」
 アッシュはつい改まってしまった。ジャガー達には普通に言えた台詞だ。それが近しい存在、そして一度ひっかかってしまうと、つい言えなくなっ てしまう。
 でも彼女には、ここまでついてきてもらった恩がある。言わなければ、と思った。
「……ありがとう」
「ん……」
 改まって言ったことは、彼女も気まずくさせたのか。エフィルは視線を逸らし、アッシュより先に歩き出した。
 彼女も照れているのだと知ったアッシュはわずかに平静に取り戻し、背中に声をかけた。
「そういう時は『どういたしまして』と言うんだぞ」
「知ってるよ」
 エフィルは返事を返したが、結局、『どういたしまして』と声を返してくることはなかった。
 ただ、アッシュの視界から見えないところで、彼女は口だけを動かして、つむいだ。
 一息でつむぐことのできる、8字の言葉を。




 ――数ヶ月後。
 カタコンベの最下層を、またとある冒険者達が訪れていた。
 先頭を歩くのは黒甲冑を着込んだ男。一人ではなく傍らには幼い少女、他にも数名の人影があった。
 彼らの前には、キング・オベロンが立ちふさがっていた。いつぞやの狂いぶりは見せず、堂々としたたたずまいを見せている。
『また来たのか』
 その台詞が自分自身にむけられたものであることを知り、甲冑の男は驚いた声を上げた。
「覚えていたのか」
『いかにも。満足して立ち去ったかと思っていたが……なにゆえまたここに?』
「なにか……忘れている気がしたんでな」
『ふむ。さようであるか。して、後ろのは仲間か? 今度は一騎打ちではないのか』
「そうだ。悪いが、今回は観光気分でこさせてもらった。……お相手願おう」
 弓を構えると、オベロンも不適に笑んだ。
『我れは誰の相手だろうと受けるよ。いざ、尋常に勝負!』
 戦端が、開かれた。



○あとがき○
 ポリシーはどこ行ったのか。完全にゲーム間侵してるなぁ…と。
 まぁ、それはおいといて。オベロン編お送りいたしました。
 最近プレイヤーの旅の目的は固まってきて、ボス退治となっております。
しかしアッシュとなるとどうでしょう。一応の目的を持ちながらも気ままに旅するんでしょう。
これからはどんなストーリーを書いていくか、思案しております。続いてはエフィルに視点を当てていこうかなぁ、とか思ったりとか。
 最後のタロットを組み替えるくだりは、実行に移さないつもりでした。しかしジャガーさんにメッセを送られ、
「やっぱり使えるよなぁ」と歳入決定。ありがたいことです。むしろおかげですんなり決まった。
 ただ、カードの解釈がかなりこじつけだったりしますけど(汗)ちゃんと考えておかないといけませんねー。
 では今回はこの辺で。よければまた。

*テレポートは戦闘中に使えません。使うのは移動の時です。
(対人戦が終了したと思えばいいのか)
*ヌルファス達が奇跡の影響を受けないわけ。
(ヌルファス達は何らかの力で、バルバシア兵なのに奇跡の恩恵を受けないように
したのでーす)
*戦闘後の自然回復
(実は最下層にはMPが回復する泉が…ないですね、はい)


 
>今回はけっこう会心のできでしたが、まだまだ未熟なようです。 もっとうまい文章を書きたい。


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