第 九回前編(イブラシル暦686年3月〜)

千里の歌(前編)
-----------------------------------------------------------

  ヘステイア高地。


 山肌を、一人の少年が登っていた。
 虫除けに長袖に長ズボンの、旅に適した服装。その上に草染めの外套を羽織っている。かぶったフードの下からは、金色の髪と利発そうな顔立ちが 覗いていた。
 しかし体格が特別にいいというわけでもなく、むしろ小柄だった。あきらかに旅は得意としてないようで、急な斜面を登る頬には汗が つたい、息は荒い。
 それでも少年は、黙々と斜面を登っていた。作業のように足をひきずりながらも、何かの意志を込めて。
 やがて、周囲の木々が開けた場所に出た。
 眼下には木々の姿が見え、遠くにはこちらと平行に伸びる山脈が見えた。
 この時ばかりは少年も足を止め、ふとその口元にかすかな笑みが浮かんだ。それでも、その光景に立ち止まったのは一瞬で、すぐに目的地に行く のを目指そうと、元の方向へとふりかえり、
 そこにいた大型の野牛、ヒュージバッファローがいたことに驚愕の声を上げた。
 慌てて体勢を整える。だが背後は崖で身動きはとれない。今までひたすら逃げることでモンスターに対処していた彼には、戦う力どころか、武器 すら持っていなかった。
 逃げ道を探っている間に、ヒュージバッファローは猛烈な勢いでつっこんでくる。
 全身の骨が砕けるような衝撃を受け、少年は後方に投げ出され、足を踏み外す。
 ―――!
 最後に悲鳴をたなびかせながら、少年は真っ逆さまに崖を落ちていった。
 



 とある山脈の中腹。周囲の開けた一本の大木の下に、二つの人影があった。
 一人は大柄な男で、もうすぐ夏になろうかというのに長袖・長ズボンの厚着に、手袋。その上にフードつきのマントを羽織って、皮膚の露出をとに かく防いでいた。人相を隠すためだとしても、逆に人目を引きかねない、怪しい格好。これで事件現場のすぐそばを歩いていれば職務質問は免れないだろう。
 その男と、もう一人。こちらは14,5歳ぐらいの少女が、男のいるのとは反対の方の幹に背を預け、山の彼方をじっと眺めていた。いや、瞳の動 きがないので、もしかしたら何も見てはいないのかもしれない。
 二人は少し前にきてから十数分間。じっと、そうして動かなかった。互いに言葉のやりとりはない。二人ともじっと何かを待っているかのように、 そうして固まっている。
 と――
 男の方に動きがあった。首をわずかに動かし、視線を太陽にむけている。とうに中天をすぎ、太陽は西の方へと傾いていている。
 時間だな、
 彼は独り言のようにつぶやいた。
 そして、背後にまわった少女に声をかける。
「エフィル、そろそろ引き上げよう」
 エフィルと呼ばれた少女はふりかえり、小首をかしげた。
「いいの?」
「ああ……約束の時間を過ぎてもあちらさんが来る様子はないし…仕方ない」
「うん、わかったわ」
 うなずく、と、エフィルは最後に一度、視線を彼方の山間にむけた。季節は3月。
 早春の山肌には、まだちらほらと裸木が見れた。


 ヘステイア高地。アステリア国の領土に位置する高山地帯である。起伏の富んだ地形は天然の要塞であると共に、そこに住む者の生活を不便にす る。人が住むにはその地形は険しいし、それをすみやすく開発するという、一種『人間』という種族にのみ可能とする手段は、成果に見合わず労力をとる。
 そこに、エフィルという少女と先ほどの男――アッシュという名だ――は、やってきていた。理由は、とあるつてで転送を依頼されたため。だが、 生憎と待ち合わせ場所にその転送相手が来る様子は無く、二人は無駄足を踏むこととなった。
 二人はエルクアールへと引き返すことを決めた。



「じゃあ、私は空から行くね」
「ん? ああ…了解した」
 返事を待たずにエフィルは地面を蹴った。翼をはためかせ上昇する。そうして、彼女は空中に身を躍らせた。
 眼下には森が広がっている。小さくポツンと、アッシュの姿が見えた。
 地面を徒歩で行くアッシュと空を飛ぶ自分とでは、速さが違う。どうしても自分が先行してしまうので、エフィルは空を大きく旋回した。
 風をきって、向かい風の浮力で空を優雅に、雄大に飛ぶ。そうしながら、彼女は眼下の光景を眺める。
 ――……?
 ふとエフィルは目をとめた。
「あれは・……」
 エフィルは、そこに急降下した。



 ・・・・次に彼が目を覚ましたのは、体を貫く鈍痛のせいだった。
 どこかしこも鈍く痛い。関節がぎちぎちと鳴っている、表面にはかなりの擦り傷があるらしく、焼けるような痛みが貫いていた。
 それでもなんとか、命はあるようだった。もっとも内臓破裂程度をしていたら、その限りではないが。
 ……いや、今の自分のこの体ならば、あるいはそれすらも治してしまうのかもしれない。普段は呪わしいこの体だったが、この時ばかりは感謝し た。
 そして彼が体力を温存しようと、目を閉じて、しばらく。
 彼のそばに、黒い翼の少女が舞い降りた。
「・・・・・・・」
 エフィルだった。動かない少年の姿に、判断に窮するようにその横顔をのぞき見ている。しばらくして、ためらいがちに近づいた。少年がその足を つかむ。
「――!」
 それに驚いたようにエフィルが退いた。手をひきはがし、後方に飛びのいた。だが少年の傷ついた姿に、彼が自分をどうこうする力を持っていない と思い直し、言葉をかけた。
「・・助けられる人、呼んでくるから・・・」
 エフィルはそう言うと、アッシュを探すために、空に身を躍らせた。
 エフィルがアッシュを連れて再び戻ってきたとき、少年はわずかに回復したようで、背中を大岩に預けた状態で座り込んでいた。相変わらず、あち こちに血の滲んだ満身創痍な姿だったが、予想していたよりも傷は浅いようなので、アッシュは少し安心する。エフィルはその横でさきほどよりも元気な少年の 姿に眉をひそめたが、それにアッシュは気づかなかった。
「・・・大丈夫か? 今回復魔法をかける」
 近寄ったアッシュが回復魔法をかけた。少年の傷が癒される。
「・・・ありがとうございます、助かりました」
 穏やかな声色で、少年が礼を述べた。続けてライトヒールを二度かけると、少年の傷は完治した。
「こんな所で一人で旅をしているとはな・・・・無茶をすしぎじゃないのか?」
 少年を見てアッシュが声をかける。武器も持っていないことを見抜いてかけた言葉だった。少年は少し表情を曇らせた。
「行きたいところがあるんですよ。どうしても、そこに行かないとならないので」
「この近くなのか?」
「いえ。エルクアールのさらにむこうの聖者の丘にです」
「無茶な」
 アッシュは厳しく声をかけた。
「聖者の丘には無数の巨大なモンスターが徘徊している。逃げようとしてもそうそう逃げ切れるものではないし、一体一体がかなり強い。戦う力も持たないで、 一人で逃げ切ろうというのは不可能に近いだろう」
「それでも、行かなきゃならないんですよ」
 少年は答えた。その瞳には意志がこめられており、説得を無意味なものと拒絶していた。
「・・・・それならば、私たちとともに来るといい」
「え?」
 少年は、きょとんとした顔で目の前にいる異装の男を見上げた。
「私達はこれから聖者の丘に行くところだ。それ以外に特に予定はないから、君を目的地まで送ることができる。腕っ節には、ある程度自信があるからなんとな かなるはずだ」
「この前は・・・・ケンタウロスに負けたけどね」
「忘れろ、それは」
 さりげなく突っ込んだエフィルに、アッシュは憮然とした声を返す。が、すぐにはっとし、目の前の少年に視線を戻した。
「こほん。・・・まあともかく、一人で行くよりはずっとましだと思う。どうだ?」
 アッシュが手を伸ばす。それに、少年はかすかに瞳を揺らした。
 だが一拍の間を置いて、うなずく。
「はい・・・よろしくお願いします」
「ああ」
 うなずき、アッシュは手をさしだした。
「私はアッシュで、後ろのあれがエフィルだ。よろしく頼むよ」
「アイレスといいます」
 少年はそう名乗った。


 少年、アイレスとエフィル、アッシュの三人は、ヘステイア高地の山々を越えていった。ヘステイア高地から、数日をかけて魔法の都エルクアー ルへとむかう。三人連れ立って歩き、二度ほど身に覚えのない自称・復讐者に襲われたが、それも難なくこなす。
 やがて、後二日ほど歩けばエルクアールというところで、二人は一つの宿場町で泊った。



 がちゃり、と扉を開けて中に入ると、軽やかな旋律が流れてきた。何事かと入り口で立ち止まって確認すると、アイレスが口ずさむ鼻歌だった。と なりには、聞き入るエフィルの姿もある。
 その光景に、アッシュは扉を音を立てないようにゆっくりと閉めた。
 アイレスは、昔は神学校の聖歌隊に所属していたらしい。優美な賛美歌から、巷で歌われるジャンク・ソングなど多種多様な歌を知っていて、それ を時々口ずさむ。それを聞くのが、エフィルは好きなようだった。いつもと同じ無表情のように見えるのだが、歌を聞く彼女の姿はどこか機嫌がいい。
 今日三人がとったのは、三人部屋だった。満足な旅費がないのはアイレスもアッシュ達も同じようで、個室を借りるのを渋ったためだった。エフィ ルも部屋の質はともかく、相部屋であること自体には不満をとなえない。
 しばらくベッドに腰掛けて歌を聴いていたアッシュだが、少しの間の後、二人を置いて部屋をでた。特に予定があったわけではないが、なんとな く、外に出たかったのだ。
 宿屋を出て、夜の闇のおりた野外へと出て、アッシュはふとつぶやいた。
 歌・・・か。
 あまり熱心に聴くほうではなかったが、決して嫌いだったわけではない。むしろ――というより間違いなく、歌は好きだった。そういえば昔騎士時 代の宴会で、仲間達と音楽グループを作って演奏したことがあった。・・・あのときは楽しかったな、と少し昔を懐古した。
 早春の夜の風は、澄み切っている。――空には曇がなく、星のきらめきが見て取れた。
 アイレスという少年との旅は、今日で五日目だ。見かけに反せぬ利発さと、そぐわぬ強固な意志をもつ少年だった。つらい旅の行程に筋肉痛ぐらい にはなっているだろうに、まったく弱音をはかない。いや、むしろ無理するぐらいに、行程を急いでいるように見えた。
 あの少年がなぜ聖者の丘を目指すのかは、まだアッシュは聞いていない。だがどうやら、時間はあまりないようだった。
(やっぱり聞いておくべきだろうか?)
 アッシュは自問する。あるいは、自分が手を貸すこともできるかもしれない。だが同時に、人の内情に深く首をつっこんでしまうのは、自分の悪い 癖だとも自覚している。
 待つべきだろうか。アイレスが、自分から口を開いてくれるときを。――利口そうな少年だ。本当に困っているなら、助けを求めにくるだろう。だ が――
「アッシュさん」
 と、判断をつけられず迷っているうちに、背後から声がかけられた。背後を振り返れば当のアイレスと、その後ろにはエフィルがつき従っている。 やや人見知りの気があるエフィルにしては珍しく、この少年にはなついていた。
「どうしたんだ? 二人とも」
「散歩しよう、ということになって」
「今日はいい天気だから・・・ね」
「そうだな・・・」
 夜空を見上げる。高い山の上にあるからだろうか、それとも季節のせいか、見上げた夜空はとてもきれいに見える。
 それから三人なんとなしに、つれだって歩いた。宿場町といってもまだ開発されていない山間にある町、それも規模はかなり小さい。道は舗装され ておらず、ただ人が踏み鳴らしたために、雑草が生えず赤茶けた地面をさらしているだけだ。
「空が近いな・・・」
 アッシュは夜空を見上げて、なんとなしにつぶやいた。じっさいには、彼にはその差はあまりわからないが、なんとなくそう感じた。
「アッシュさんは、ここらへんの出身なんですか?」
 そんなアッシュにむかって、アイレスが尋ねると、彼は首をふった。
「いや、私はアストローナ大陸の、ディアス出身だよ」
「アストローナ?」
 その名に覚えがないのか、一瞬首をひねらせる。
「・・・・黒い霧の先にあった旧大陸?」
「ああ、そうだ。そこにあるディアスという街が、私の故郷なんだ。そこからリーブルフォートという街まで渡ってきて、ここまできた。」
「そんなところから・・すごいですね。どうりで旅慣れていると思いました」
「本当は、一部転送ですっ飛ばしてきた来たんだがな・・・。まあどちらにしろ、ここまで冒険者を続けていれば、あれぐらいは慣れるさ」
 笑いかける。そして今度はアッシュの方から質問した。
「君の方は、生まれはアステリアなのか?」
「いえ、僕は元々はエルクアールの孤児院出身ですよ。そこから養父に引き取られ・・アステリアに移り住みました。それまでは神学校に通っていたんですけ ど、アステリアに引っ越してからは、養父の研究の手伝いばかりでしたね。・・ああ、養父は研究者なんです」
「ほう? どんな?」
 興味にかられてたずねたアッシュに、アイレスは一瞬の間を置いて、答えた。
「不老不死、だそうです」
「不老不死?」
 思わず、アッシュは聞き返し、かたわらの少年を見返していた。アイレスはこくんとうなずいた。
「ええ。ネクロマンシーとか、エンチャンターとか、色々研究していたそうですけど・・・結局、完成はできなかったようですね。・・・そして先週、死にまし た」
「そうか・・・それは無念だったろうな」
 上着の上から腕をおさえながら、アッシュはつぶやいた。アイレスは口元を、微妙にゆがませながら、彼の言葉を聞き流す。
「そうでしょうね。養父にとっては、まさに悲願でしたから」
「君自身は、あまり不老不死には興味がないようだな?」
「そうですね。あってもいいものかもしれませんが、なくても別に僕は困らないものだと思います。・・・少なくとも、この世に生が一つしかなくても、僕はか まいません」
「そうだな、私も同意見だ」
 アッシュは答えたが、自分がそれを言うのは変な話だ、と思った。
 アッシュがフードをかぶって姿を隠すのは、当然体を見られないようにするためだが、別にお尋ね者になっているというわけではない。その理由 は、彼はすでに 生身の体を失って、人の体を持ち合わせていないためだ。
 この世にアッシュという名――といってもアッシュは偽名だが――は、すでに死んでいる。その死体は焼き払われ、後は人一人分の灰だけとなっ た。それがアッシュである。灰だけの体が寄り集まって人の形を作り、生前と同じ思考を持っている。つまり、彼は二度目の人生を歩んでいるわけだ。しかもそ の寿命は、今のところ無限に感じられる。
「・・・そういえば、君はさきほどネクロマンシーと言ったな。君自身は、ネクロマンシーには詳しいのか?」
 ふと思い出して、アッシュが尋ねた。ネクロマンシー、別名死霊術。動く死体《アンデット》の製造や操作を可能とする術のことだ。灰だけのアン デットなど聞いたことはないが、アッシュは自分をアンデットの一種だと思っている。そうなった理由はいまのところ不明なのだが、アッシュはわかるものなら ば知りたいと思っていた。
 だが、アイレスは首をふった。
「いえ、養父は研究内容に関しては詳しく説明しなかったんです。だから僕自身は、ほとんどそれらしいものは・・・たぶん、これからいくエルクアールの魔術 師の方に聞いた方がいいと思います」
「やはりそうか・・・。そうだな、機会があったらそうしよう」
「でもなんで死霊術を?」
「いや・・ちょっと気になることがあってな。一度詳しいことを知りたいと思っていたんだ」
 アッシュは返答をはぐらかした。アイレスは首をかしげたが、それ以上たずねることはしなかった。
 やがて、三人は行き止まりに出てしまった。といっても、周囲から岬のようにせり出した崖の上に、風情よくベンチがならび木が一本植えられてい た。冷えたベンチに腰を下ろす気にはならないが、三人はその場で止まった。
「そういえば、君はアステリアに来る前は、エルクアールにいたそうだな」
「ええ、そうですよ。神学校に通っていたのは、その時なんです」
「そこで歌を学んだんだな・・・しかしさすが知識の都。神学校であんな曲を教えるとは思わなかったぞ」
「あの曲?」
 アッシュのいいまわしに気づかず、アイレスは反芻した。そして合点する。
「ああ、聞かせたジャンク・ソングですね。――もちろん、学校ではあんな曲は教えてくれませんよ。それどころか、聞いているところを見つかっただけで大目 玉です」
「それなのに知っているのか。・・ああ、アステリアに移り住んでから知った?」
「いえ、神学校時代からですよ。…禁止されると、逆にしたくなるんですよね」
 冗談めかして言ったアイレスの言葉に、ついアッシュは噴き出した。
「確信犯か・・。まあそうだな」
「ルームメイトに、そういった曲をどこかから手に入れてくる奴がいて、新曲を持ってきた日の夜は、みんなそいつの部屋に乗り込んでいましたね。やっぱり 皆、歌が好きみたいです」
「そうだろう、歌が嫌いなものは、めったにいない」
「ですね」
 相槌を打ち、アイレスは続けて言葉を吐き出そうとした。が、その口から漏れたのは呻きだった。
「うっ・・!」
 突然顔を歪まし、その場に膝をつく。何事かとアッシュは彼を振り向いた。
「どうした?」
「いえ・・ちょっと」
 アイレスは、返事を返すが、まだ痛むのか表情が歪んでいる。アッシュが回復魔法をかけようとかがむと、アイレスはその手を押しのけた。
「もう・・大丈夫です。ちょっとめまいがしただけですから・・」
「本当に大丈夫か?」
「はい。・・・ちょっと、ここに来て旅の疲れが出たのかもしれませんね。やっぱり今日は、ここらへんで休もうと思います」
「そうだな・・。私も戻ろう。エフィルは?」
「私も行くわ」
 エフィルは答えて、続いた。


 宿屋へと続く道を歩きながら、アイレスは、心のうちでつぶやいた。
やはり・・もうあまり時間がないな・・
 自覚をしていた彼の心のうちには、小さな焦燥がつのっていた。


 翌朝、アッシュが部屋で目をさました時には、すでにエフィルとアイレスの姿がなかった。なにごとかと探しに行けば階下に、宿屋の従業員ととも に二人の姿があった。
 アイレスは従業員と雑談をしているようだった。歌がどうだとか、そんな世間話をしている。エフィルは直接その会話には加わっていないが、テー ブルに頬杖をついて聞き耳を立てていた。
「あ、おはようなさいませ!」
 従業員――20を超えたそこそこの、まだ若い村娘だ――が活気のこもった声で挨拶をむけてきた。アイレスも落ち着いた声で「おはようござ います」といい、エフィルだけが「遅かったね・・・・」と少し小言を言ってきた。
「おはよう」
 こちらも返しながら、アッシュは同じテーブルの席につく。「朝ごはんをお持ちしましょうか?」という店員に尋ねられるが、アッシュはそれに首 をふって断る。
「一体なんの話をしていたんだ?」
「アイレスさんに、どうしてそんなに歌がうまいんですかって聞いていたんです」
 村娘が言うと、アイレスが少しこそばゆそうに頬をかいた。アッシュは周囲にそれと悟られないような微笑を浮かべながら、相槌を打つ。
「ああ・・・たしかにアイレスの歌はうまいよな。聖歌隊・・・だっけか? うなずける」
「素人に毛が生えた程度ですよ」
「いやー、アイレスさんの歌声は、本当にきれいですよ。男の子なのに、まるで女の子みたいな高音で。うちもそんな美声やったらなー思います」
「聖歌隊では確かに女子に混じってソプラノパートをやっていましたけどね」
 苦笑混じりにアイレスは言った。
「すごいな、それはやはり地声なのか? それとも訓練?」
「半々です。元々高音でしたけど、練習でむりやり高音を出せるようにしたっていうのもありますから」
「あ、ならうちもそんな声だせるんやろうか?」
 娘がぱっと輝かせて尋ねた。「断言できませんけど」と前おいて、アイレスは言う。
「少しくらいなら高い音を出せるようになりますよ。まあ、毎日の発声練習が必要でしょうけど」
「う・・毎日かぁ、うちは持続力ないからなあ、ダイエットもすぐ三日坊主なってしまうんよ」
「風呂に入るときついでにやったりするといいですよ、忘れにくいですし」
「あ、それならうちもできるかも。というかうちいつも風呂では鼻歌歌ってんねん」
 たわいのない話題で盛り上がっている。そうして三人で話していると、
「そういえば・・・エフィルもけっこう、いい声をしているよ」
「え・・・・私?」
 予想外、という様子でエフィルはアイレスを見返した。「うん」とアイレスはうなずく。
「けっこういい声。アルトとソプラノの中間だけど、高い声と低い声どちらも出せる伸びのある声だよ」
「でも・・・私は余り大きな声は出せないから・・・」
「それは、慣れていないからだよ。さっき言ったことと一緒で、なれさえすればいい声はだせるはず」
「・・・・」
 熱心にすすめるアイレスに、エフィルは微妙にたじたじである。やがて根負けしたのか、
「じゃあ、どうすればいい・・・?」
 とたずね返した。アイレスはやさしく微笑み、
「じゃあまずは発声練習から。これから大きな声で・・・・」
 その後、少年のあまりの熱心さに、少女が音を上げるまでは、そう時間はかからなかった。





 その宿場町出て一日目は、あいかわらずの山道が続いていたが、二日目を過ぎるとなだからな丘陵線へとかわり、海岸線を横目にみる平地をしばら くいくと、たいそうな門構えの都市が見えた。
 全体的に色調高い魔法の都エルクアール。イブラシル大陸一という魔法大学を有するこの街は、街並みにも魔術的な要素がみてとれた。道を行く人 々には、ここの魔法大学の関係者なのだろう、色とりどりのローブを着た者たちの姿が目立つ。
 往来を行く人の数は多く、騒がしいわけではないが、活気のある街だった。
「変わってないなぁ・・・」
  街並みを見てもらしたアイレスのつぶやきに、アッシュは彼を見る。
「この街は何年ぶりなんだ?」
「三年・・・いえ、四年ぶりですね。かなり久しぶりな気がする」
「なつかしいだろう。まあぱっと見はあまり変わらないかもしれないが、街を歩いているうちにちょっと変化も見えるだろうさ」
 アッシュは言ってから、「行こうか」とアイレスとエフィルをうながす。アイレスが自分の隣にならんだのを確認して、アッシュはたずねた。
「それで寄りたいところがあるんだろう? それはどのあたりだ?」
「この『紺碧通り』を二ブロックほど進んで右に曲がった先の『紅玉通り』をしばらく行った先です。そこからは路地が少し入り組んでいますけど」
「何があるんだ?」
「僕が昔、お世話になっていた孤児院なんです」
「なるほど」
 三人は紺碧通りなるその通りを歩いていた。歴史のある落ちついた街なみである。ただやはり魔法の都らしく、なにかのおまじないにか入り口の扉 や壁に、魔方陣を描いている店がいくつかあった。それを物珍しげに見ていると、外套のすそをひっぱられて、エフィルに「おのぼりさんみたい」と釘を刺され る。一回肩をすくめて、アッシュは少し控えめに周囲を見ることにした。
 そして紅玉通りへ曲がり、少し歩いてしばらく、三人は住宅街へと入っていった。どこかすさんだ、素朴な雰囲気があるが、やがてアッシュは周囲 を塀で囲まれた、一回り大きな建物を見つけた。
 アッシュの背だとぎりぎり、塀のむこうを見ることができた。逆に、アイレスやエフィル達では背伸びしても無理そうだった。見てみるとあまり広 くない敷地内で、10人近い子供たちが遊んでいた。
 と、アイレスがその口元を緩めた。姿が見えなくとも、笑い声が届いたからだろう。
「アッシュさん。中の子どもたちは、楽しそうに遊んでいますか?」
「ん?・・・・ああ、楽しそうだよ」
「そうか、よかった」
 うなずき、アイレスは塀に掲げられた表札を見た。そこには『ヴォルダ孤児院』と刻まれていた。
 アイレスは塀から顔だけをのぞかせて、中を盗み見る。そして、10秒ほどそうして
見ていただろうか。次には首を引っ込めた。
「アッシュさん、もういいです。行きましょう」
「入らないのか?」
 たずねる。と、「できるだけ会いたくないんです」と、アイレスは首を振った。
「・・・そうか?」
 つぶやき、アイレスを見ると、彼は懐から金属製のプレートと、あらかじめ用意していただろう封筒を取り出し、塀のそばに置いた。
「アッシュさん、行きましょう」
「・・・ああ、わかった」
 付き従う。
 最後に一度、エフィルだけが、遊んでいる子どもたちを振り返った。


 三人が立ち去って少しして、封筒に気づいた子どもが一人、それを施設内にいた一人の年老いた老人に手渡した。
「・・・・アイレス?」
 その封筒の差出人の名前を見て、老人は声を上げた。



「売られたんです。僕は」
 人通りのまばらな紅玉通りで、アイレスが淡々と言った。
「孤児院の経営が、いきづまって、お金が足りなくなったんです。そこに援助を申し込んできたのが養父です。そのかわりに彼は、研究の助手となる人間を求め ていたんです」
「・・それで、援助を受けるかわりに、君が養子として?」
「僕と後一人、シリーナという子が一緒でした。・・・売られた、というのは違いますね。僕達が進んで孤児院を出た。そうしないと、皆がばらばらになっちゃ うから。ヴォルダさんにはずっと世話になっていたから、恩返しもしたかったですし・・・。それにシリーナがいたから」
「・・・養父は死んだと言ったな。そのシリーナという子は?」
「死にました」
 答えたアイレスは続けて、
「僕は昔、シリーナとした約束を果たすため、あそこにむかうんです」
 と言った。
 ここが頃合か。アッシュは彼に尋ねることにした。
「それで、その約束とは?」
「一度だけ、一緒に通っていた神学校の行事で、聖者の丘に行ったことがあるんです。そこで見た景色が二人で気に入って、また来ようって」
「・・・そのためだけに、君一人で?」
「おかしいでしょうか? ・・・それと、弔いに」
 言うと、彼は腰につるしていたビンを取り出した。その半透明の奥には、白い粉のようなものが見える。
「彼女の遺骨です。あのときのあの場所で、彼女を弔いたいと思うんです」



 その日のうちに、三人はエルクアールの街を出て、聖者の丘へとむかっていた。ほとんどモンスターに出会うことのない、順調な旅だった。


> ・・・・うーん今回書くことがないな。しいて言うなら・・・・・リーブルフォート編見なおして顔から
火が吹いたー!書き直させろー!

>>トップへ
>>本棚へ(本棚へ)





100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!