千里の歌(後編)
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――
アステリアの街はずれ。
一人の少女が、水桶を運んでいた。
大陸の北に位置するアステリアは寒い。少女が吐く息は白く濁っている。
一つの水桶を両手で持って運ぶ。重さだけは、それほどではない。慣れた子どもなら両手に持って、家との間を気軽に往復するぐらいだ。
しかし少女は、億劫そうに、まるで引きずるかのように運んでいる。
重病人のようでもある。……いや、重病人なのか。
彼女の顔や素肌には、包帯がびっしりと巻いてある。出ているのはほとんど、唇と目だけ。包帯男ならぬ包帯少女。
と、後方から同じように水桶を二つ運んできた少年が、少女に気づいた。自分の桶を放り出して駆け寄り、声をかける。
「僕がするから」
少年は言う。
少女は首を振った。そして、ぎこちない動作で進んでいく。
少女は少ししてふと立ち止まり、少年を振り返った。そして唇が動く。
「あの男を殺しましょう」と。
その瞳に映るのは、狂気じゃない。
強い意志だ。
どんな姿をしていようと、彼女は彼女なのだから。
ふとアッシュがつぶやいたのは、聖者の丘に入ってすぐのころだった。
「そ
ういえばここは、なんで聖者の丘と言うんだろうな」
「え?」
ふと、旅の半ばでつぶやいたアッシュに、アイレスは振り返った。
「さあ・・・僕も詳しくは知りませんけど」
「そうなのか? まさか、『ゴルゴタの丘』じゃないだろうしな」
「ゴルゴダの丘?」
アッシュの呟きは、何気ないものだったが、アイレスはふと気になって、訊ね返した。
「私たちの伝承にある土地なんだ。あるとき、たくさんの民衆の信望を集めた神の子という聖者がいてな。そう、国をまたいで本当にたくさんの信者を集めたそ
うだが、時の為政者にうとまれて、最後には直弟子の一人に裏切られて処刑されたんだ。その刑が執行されたのが、ゴルゴタの丘」
「へえ・・・。でも昔、ここから聖者が旅を始めた、という話も聞きましたけどね」
「旅を始めた・・・か。その聖者も処刑されて終わりではなく、30日の後に復活して、世界各地で奇跡を起こして回ったそうだ。それも出発といえばそうなの
かな。――まあアストローナの伝承が、こちらにあるとは考えづらいな」
「どうなんでしょうね。黒い霧が現れる前にも交易はあったらしいですから、可能性はあると思いますけど。処刑の丘ですか・・・。そう考えると、この穏やか
な眺めも、なんだか物悲しいものに感じてしまいますね」
「そうだな…」
アッシュが相槌を打つ、その時。どこか遠くから、ホワイト・ドラゴンの甲高い鳴き声が聞こえてきた。
「こうして聞くと、あの竜達の声も、なにか物悲しいものがありますね・・・」
「・・・そうだな」
「――そうでもないみたいよ」
「エフィル?」
反語を返したのは、空を飛んでいたエフィルだった。彼女はひゅいっと緩やかに飛んで、丘の頂きへと二人を誘う。
「何かあったのか?」
追いつき、たずねる視線の先で、エフィルは丘の下を指差した。何事かと、二人はその視線の先を見る。
「……あ」
「ほう、これはこれは」
二人は、感嘆の声を上げる。
「・…やはりここは、ゴルゴダの丘ではないのかもな」
「そうですね。そんな気がしてきました」
二人の見つめる先で、二頭の竜はハートのアーチを作っていた。
その日、二人は道筋の途中でぽつんと立つ一軒の宿を見つけて、そこに泊まった。
「エフィル、何をしているんだい?」
バルコニーに出ていたエフィルに、アイレスが声をかけた。エフィルはうつろな視線をむけ、「別に」とぶっきらぼうに返した。その背に、手をす
り合わせながら訊ねる。
「外は寒くないの?」
「寒いのは得意。慣れているから」
「そう?」
アイレスは隣に並んだ。旅をするときに来ている外套を、今は外している。素肌をさらした手に向かって「はぁー」と白い息を吐いて
暖めた。エフィルはそれを見て、呆れ半分に一言。
「寒いなら中に入っていたら?」
「大丈夫だよ。アステリアもエルクアールも寒いからね。僕も慣れている」
「そう」
興味なさそうにつぶやいて、エフィルは視線を外の景色へとむけた。
「エフィルは、景色を見るのが好きなのかい?」
そこにアイレスが声をかけた。ぴくり、と反応したが、特に返答はしない。
「何か見える?」
重ねて続けると、エフィルは首を振った。
「何も見えないわ。こんな夜中だから」
「じゃあなんで外に?」
「風が気持ち良いじゃない」
答える彼女に、彼は少し不思議そうな顔をする。北から来る潮風がまともに吹き付けてくる、凍えるような寒さだった。
「そうか、寒い方がすきなんだね」
「逆に、熱いのは嫌い・・・。ベトベトするしね」
「ふぅん・・・」
「今日は、何も歌わないの?」
エフィルが、たずねた。その不意打ちに、アイレスはきょとんとした顔をする。
「・・・珍しいね。そっちからリクエストしてくるなんて」
「・・・別にリクエストなんか。ただ訊ねただけじゃない」
「そうだったね。・・・そうだね、今日はなんの歌を歌おうか・・・・」
「アイレスの、一番好きな歌は?」
「・・・僕の?」
困ったように、アイレスは眉をゆがませた。
「・・・とは言われても、一番ってのはなぁ・・・・気に入った曲はたくさんあるけど、一番は決めづらいよ」
「・・・別に、なんでもいいわ」
「うん、そうだね。・・・それじゃあ、この曲だ。シリーナも気に入っていた曲なんだ」
アイレスは言うと、口ずさんだ。
――パフ 魔法の竜が暮らしてた
海に秋の霧 たなびくホナリー
リトルジャッキーペーパー友達で
いつでも仲良く ふざけていた
「・・・ほぉ、『パフ』か」
その歌声を、部屋の中で聞いたアッシュは、読んでいた書物から面を上げた。
「歌っているのはアイレスか・・・。イブラシルにも伝わっているんだな」
パフという永遠の命を持つ魔法の竜と、ジャッキーという少年の歌。
「懐かしいな・・・。小さいときに学校で習って以来だな」
かすかに郷愁を抱いて、アッシュはその歌声に聞きほれた。
大きな石造りのモニュメントがある。岬のように突き出した丘の先端に、その石碑はあった。中央には、何か文字が刻まれている。
その石碑の裏側では、イブラシル大陸の北に広がる北海が見える。岸壁に潮が打ち寄せる音が三人のところまで響いた。
「ここが君の目的地か? アイレス」
「はい」
うなずいてアイレスはモニュメントを見上げた。その手には、シリーナとかいう少女の遺骨がおさめられた小瓶がある。
「ようやく来たんだな…」
アイレスはつぶやくと、小瓶にその景色がよく見えるように、掲げた。
「気が済んだか?」
アイレスは、首をふる。
「すみません、このまま、日没まで待っていてくれませんか?」
彼の頼みを、アッシュは了承した。
それからは、三人それぞれ時間をつぶした。アイレスは今日は歌を歌うことはせず、小瓶を片手に海を眺め、アッシュはモニュメントに腰掛け本を
読んだり、武器の手入れをしていたりした。エフィルは、その二人のそばで、視線をあちこちに彷徨わせたりする。
そしてやがて、空が朱に染まった。
アッシュとエフィルはモニュメントのそばに立ってその気が済むまで待つことにした。
アイレスは、そんな二人を背にして、小瓶のフタを空けた。
そしてその中身を、宙にまく。海のむこうへと。あるいは、風のむこうへと。白い粉は宙で弄ばれて、あちこちに散らばっていった。
それを、丹念に宙に放る。何度もすくっては投げ、すくっては投げ、そして――最後に、残ったビンは、海へとそっと放った。
ぽちゃん、という音が、最後に残る。
アイレスが二人を振り返った。
「もういいのか?」
たずねると、アイレスは、首をふった。
「ならば、気の済むまでいればいい。私たちはいつまでも待とう」
「いえ・・・その前に、アッシュさんには、全部話しておきたいんです」
「ん・・・?」
「今まで、詳しいことは聞かないでくださって、ありがとうございました」
「どうした。改まって」
「でも最後に、やはり話しておくべきだと思ったんです。なぜ養父が、シリーナが死んだのか・・・そし
て養父のことを」
「・・・・・」
アッシュはしっかりとうなずいた。満足げにアイレスはうなずく。
「まず…養父は、僕が殺したんです」
「その養父の名はカーストといいます。一度はエルクアールの魔法大学の教授にもなった、優秀な魔術師でした。
・・・・その男の元へ、僕ら二人は、孤児院
への援助金を約束するかわりに、預けられました。
でも、そこでカーストが欲していたのは、助手なんかじゃない。実験体です」
「・・・君たちはそのことを承知で?」
「はい。僕たちもヴォルダさんも、そのことは、うすうす気づいていました。・・・・・・でもそれでも、と。…・・・ヴォルダさんは、やはりかなり悩んでい
たようですけ
どね」
「・・・・」
「そして連れられてきたアステリアの研究室で、カーストは僕たちに実験を施した。不老不死の研究で。
代謝機能の向上・・・細胞の活性化でし
た。いわゆる再生能力の向上で、擬似的な不死を生み出そうとしました。ひとまずの実験には成功しました。でも、これには致命的な欠点がある」
「人の細胞の分裂回数には、限りがある、というやつか」
「よくご存知ですね」
アイレスは答えた。
人の体は、皮膚も髪も、爪の先も、細胞という小さなパーツがいくつも集まって形作られている。そして体に傷を負った場合、つまり細胞が破壊さ
れた場合、細胞を分裂させて、その隙間を埋める。これが通常の治癒の原理だ。その分裂速度を引き上げれば、再生速度は上がり、たしかに生命力は上がる。だ
が細胞の分裂回数に限りがあることが、そこに限界をつくる。
傷を直す時でも、また普通に時を重ねて行く間でも、また細胞を分裂することで体積を増やしていき、古い細胞は剥がれ落ちて、新しい細胞が生ま
れてその代わりを果たす。そのたびに、細胞は劣化していく。
限りある細胞分裂回数の消費による、細胞組織の劣化――それがいわゆる老化のメカニズムだ。カーストの起こした方法では、不死はたとえ再現で
きたとして
も、老化の速度
はむしろ大幅に上げてしまうのだ。
「――失敗とわかっていた術を施されたシリーナは、不死に近いものを持っていたものの、急速に体の劣化が進みました。――そして、どうやら別の術を施され
たらしい僕もまた、『何か』、体にうずくものがあるんです。僕らは、僕らの命が短いことを、自覚していました」
述べる。
「それでも、僕たちは、仕方ないと思いました。ある程度覚悟していたことだから。でもそこで、一つの危惧をいだきました。もし僕たちが死んだら、次は、
孤児院の別の子が狙われるだけなんじゃないかと。僕とシリーナは、二人で頼みました。僕たち二人の体は好きなだけいじってもかまわない。だから、これ
で終わりにしてくれ、と…」
「それで?」
「・・ぬけぬけと言われましたよ。モルモットが壊れたら、代わりを補充するだけだ、と」
「・・だから、殺したんだな」
「はい。あの時――」
最初に行動をしかけたのは、シリーナだった。
最近、シリーナは顔に包帯を巻くようになっていた。若くして老化した顔を、アイレスに見られたくないためだった。そしてそんな彼女は、アイレ
ス以上に自分の死期が近いことを悟っていた。そして、彼女はある夜にアイレスに黙って一人、殺害を決行した――
その晩、アイレスは夜更かしをしていた。
今朝水汲みの時に、そして今まで何度か持ちかけられたシリーンの言葉に関して考えていたからだ。
殺す。そのことに、彼はかすかな忌避感を覚えていた。
たしかにこのままカーストを頬っていれば、被害は自分たちではすまされない。孤児院の昔なじみたち、あるいはまた別の人間か。被害はどこまで
及ぶか知れない。
だがだからといって、殺すということ、自分の手を血に染めることに、アイレスは忌避感を覚えていた。
エルクアールの魔法大学関係者に話せば、それで済む話ではないのか。
それにカーストは、自分たちの体をいじくった。どんな細工をしたのか知れない。自分達の手でとめようとするのはリスクがあるのではないだろう
か。
そんなことを考えているうちに、ふと彼は机の上にまどろんでいた。
が、つんざくような悲鳴と、音に目が覚める。
なにが起こったのかはわからなかった。ただあの声は、間違いなくシリーナのものだった。
母屋へと走る。そう、遠い距離ではなかった。
半開きの扉を見つけて飛び込むと、中には、肩口を血に染めたカーストと、床に倒れこんだ、シリーナの姿があった。
駆け寄ってみたが、すでに息はなかった。胸には雷が落ちたような、爆ぜた跡。心臓が停止すれば、彼女の再生能力とて、無駄でしかない。
背後には、彼女に手を下した。憎き男。
その男が吐き捨てた。
「その生ゴミ、さっさと捨ててこい!」
彼は咆哮を上げ、シリーナが持っていたナイフを掴みとった。
「それが、僕とシリーナの間に起こった全て、です」
語り終えたアイレスに、アッシュは黙ってうなずいた。
「そうか・・・それが、君が背負っていたものか」
「・・・・・・」
二人の間を、沈黙が吹きぬけた。アッシュは少しの間を置いて、フードの奥で言葉を搾り出す。
「それなら、これから君は、どうするつもりだ?
あの孤児院に戻るのか、ひとり立ちするのか。・・・いや、養父を殺したのなら、君は殺人罪となる。・・・アステリアで罪を償うのも、いいだろうが」
言いかけ、紡ぐ。
「私は出来る限り、君を支援しよう」
だが、アイレスはどこか、憂いを秘めた表情を浮かべただけだった。
「アッシュさん、その心遣いはありがたいですけど・・・、僕はここで、彼女と一緒の場所に行こうと思っています」
「・・・・なに?」
アイレスの言葉に、アッシュは問い返した。
「アイレス、何を」
「言ったでしょう? 僕も、なんらかの術式が施された。・・・僕ももう命が残り少ないことを、感じるんです」
手のひらを、心臓の辺りに当てた。
「感じるんです。なんだか、自分の体のうちから、何かが塗りつぶされていくような感覚を」
「だが、だからといって、諦めることはないだろう。エルクアールに行けば」
魔法の技術に秀でたエルクアールにいけば、あるいは治療法もあるかもしれない。
だがそんなアッシュをアイレスは、透き通った、空ろな目で見つめるのみだった。
「いいんですよ、僕は。それに多分、エルクアールにまで間に合わない。僕に残された時間はわずかですから」
言いながら、一歩、後ずさる。
「アッシュさん、ここまで守ってくださって、ありがとうございました。そしてすみません。でも気にしないで下さい。僕はここまで来れて、満足ですか
ら」
「ふざけるな! 私は、そんなことのために、ここまで君を連れてきたわけではない!」
「アッシュさん、僕は」
アイレスが、重たく口を開いた。その口が、
「そうだよ、ふざけるな、アイレス」
矛盾した言葉を吐き出し、その表情が次には、驚愕に見開かれた。顔の左半分だけ。
「な、これは――」
唖然とした声をあげる。驚愕を浮かべる左半分とは逆に、顔の右半分は愉快気に口元を引きつらせ、陰惨な笑みを浮かべていた。呆然と、アッ
シュ、エフィルが見守る中、
突如、右のアイレスと、左のアイレスがもだえ始めた。
「な、なんで」
「クク・・・愉快だなぁ、アイレス」
「うぁあ!」
ぼこり、と突如、アイレスの左肩が爆ぜた。そこからピンク色の肉塊が突如噴き出して盛り上がる。続いて腕、手のひら、と。その間にも右のアイ
レ
スは苦悶に顔をひきつらせ、左のアイレスは愉快気に哄笑を上げていた。
「アイレス、どうした!?」
さすがに異常事態に気づいたアッシュが声をかけて、駆け寄ろうとした。だがそこへ、すでに3倍程度にまで膨れ上がった左腕がふるわれ、あわて
て飛び退った。
「野暮なことはするなよ。もう少しで、全てが終わるんだからな」
「なに――?」
アッシュはアイレスの声に違和感を覚えた。声は確かにアイレスのものだったが、その口調はあきらかに別人のものであり、抑揚の少ない、ぼそぼ
そとした声だった。
結局どうすることもできず、アッシュは短剣を引き抜いて、様子をみていた。エフィルもそのそばで大鎌を具現化するが、襲い掛かるのをためら
う。
そんな二人の目前で、アイレスの体は徐々に変質していった。
肉塊が膨れ上がり巨大な丸太ほとの太さになった腕は、ピンク色から赤黒く変色し、浮き出た血管が不気味に脈うっている。さらに腕だけではな
く、両方の足の先が肥大し、不気味なヒレのようなものになっていた。さらに、主に体の左半身を起点として赤黒く肥大したものになっている。
そして、左右で反応の違ったアイレスの顔は、左の目だけが透明な空ろなものに成り果て、その左目だけを残してそれ以外の左半分、口のあたりま
では全て左のアイレス
が、支配したようだった。狂喜の表情で口元に笑みを浮かべている。
「一体、何が起こっているの?」
エフィルが、鎌を片手にアッシュに語りかけた。答えられず、アッシュは首をふった。
「ふぅ」
その二人の視線の先で、ようやく落ち着いたアイレスが、口を開いた。
「まったく、我ながら、醜い姿だな」
そして、自分の姿を見つめてあざけるような笑い声を上げる。その概観もだが、その笑みもまた、醜悪だった。
「アイレスじゃないな」
アッシュは、押し殺した声で問う。
「お前は、カーストか?」
「ご名答」
アイレス――いや、カーストが答えた。
「一応、名乗っておこうか。――どうも初めまして。コレの父親の、カースト・クラフトマンという。息子がお世話になったな、今まで守ってくれて、感謝して
いるよ」
「どういうことだ。なぜ貴様が、アイレスの中にいる」
「コレに施した術式のおかげだよ。私の意識を焼き付けた細胞を埋め込んでいたんだ。その細胞は本体…もとの私の体が息絶えると同時に発動し、宿主の体全
体に根をのばし、体をのっとる。魔術を極めた私が、たかだか神学校に通っていただけの子どもに遅れをとると思ったのかね?
わざと刺されてやったのは単純に、不老のモデルとなるこの体の方が、本体より大事であっただけだ」
「フン、そんな醜悪な姿であってもか」
「体は研究室に戻ればどうとでもなるんだよ。アイレスは君たちに、私の研究は不完全だと言ったがね、実際はある程度は完成しているんだよ。それを彼自身
理解できないのは、かわいそうなことだが」
挑発するような視線をアッシュへとむける。アッシュは、ダガーを両手に構えて応じた。
「もうどうでもいい。さっさと、アイレスの体からでるんだ」
「それはできない。私はもう完全にこの体に融合しているからね。あるいは研究室ならそれも可能かもしれないが。どちらにしろ、私はこの体からでるつもり
はない。それと君たちだが、この話を魔法ギルドにでも伝えられたら面倒だからね、君たちにはここで死んでもらおうかな」
言うやいなや、ごう、と地面を蹴って加速した。奇怪な腕をアッシュめがけてふるう。
「く!」
予想外の速さに、反応が遅れた。慌てて腕を前にしてガードし、後方に飛ぶが、はえたたきのように豪腕が打ち付けられ、吹き飛ばされた。そこに
エフィルが炎を放つが、あまりひるんだ様子はない。逆に足元の一抱えほどもある石を拾い上げ、投げつけられた。あわてて上空に逃げ去るエ
フィル。
「……」
その間にアッシュは身を起こした。低い姿勢で地面を駆け、短剣をふるう。
カーストは腕で、まともにその刃を受けた。だが、分厚い肉にはばまれ、ほとんど傷は与えられない。その上、その傷は徐々にふ
さがっているようだった。どうやらある程度の再生力は持っているようだった。
数合、打ち合った。肥大化した拳をうけとめながら、アッシュは、そしてエフィルは幾度か傷を与える。
と、カーストが肥大した腕を大きく振りかぶった。その一撃をアッシュは身をかがめてかわし、逆に通り過ぎた腕をつかんだ。
「フッ!」
短く呼気を吐く。腕をひねって肩に背負い、そして足は、カーストの肥大化した足を蹴り飛ばす。
巨体が、宙を飛んだ。地面を揺らす。
カーストの体の上にアッシュは馬乗りになった。
「ハァッ!」
短剣を振り上げ――その柄を、少年の面影を残した頬に、たたきつけた。カーストの顔が右にはじけた――が、それだけだった。
左腕で襟首をつかまれ、放り投げられる。
なんとか着地したアッシュのそばに、エフィルが舞い降りた。
「なんで本気を出さないの?」
「………」
「今は、柄頭で殴り飛ばしたりするんじゃなくて、刃を突き刺した方がよかったでしょ?」
「私は彼を助けるつもりだ」
エフィルが、彼の横顔を見た。
「どうにかして、方法はないか」
「できると思っているの?」
「私は」
何ができるか。
「そのために、旅をしているんだ」
一度は死んだのに、なぜ、よみがえったのか。
理由はないのかもしれない。ただ無数の偶然が重なった結果に、すぎないのかもしれない。
それでもどうせ生きたなら、生き残ってしまったなら、何かを成したい。
それが、いまだ彼が在る、存在理由だった。
逆を言えば。
あの少年を助けられないで、自分は、なぜこの世界にまだ存在しているのか。
「でも、どうやって?」
「……」
エフィルの言葉に答えられず、沈黙する。
「方法を教えてやろうか?」
そう申し出たのは、カーストだった。
「――優秀な魔術師を連れてくるがいい。そしてその男に、私がかけた魔法を解かせるんだ。私がこの体をのっとっているのは、全て魔法的な力だ。それから開
放された時点で、私の思念はこの世から消滅し、体は元の持ち主に戻る。むろん、できるなら、の話だが」
饒舌に語るカースト。それが決しておごりや余裕による行動ではないことには、気づいている。カーストにとっても、こ
の場で本気で襲い掛かって来られるよりは、助けるために手加減されたほうがいいのだ。カーストの言う方法では、その優秀な魔術師がこの場にはいな
いのだから。
「ご説明、いたみいる」
「それはどうも。ならばおとなしくこの場で朽ちてくれないかな」
「それは断る」
地面を蹴った
再度、両者は斬り結んだ。
突き出た岬で、人外の存在が二人。拳と刃を交える。
アッシュは幾度も体を殴打された。打たれた箇所は痺れるような感覚があるし、組織の結合力が、少し弱まっているのを感じていた。攻撃面では、
大
きな傷を与えられるチャンスも幾度かあったのだが、アッシュはそれを全て拒んでいた。
薄い傷をいくつかつけたが、そのダメージは小さい。最初の方につけた傷には、もう完全に直っているものまであった。戦況は、あきらかにアッ
シュが圧されている。
「ぐ……!」
弾きとばされて、アッシュがうめいた。硬い筋肉に攻めあぐねていたエフィルも、その傍らに降り立つ。
「アッシュ、もう、無理よ。大体、どうやってその優秀な魔術師と、アイレスを引き合わせるの?」
「あの男を気絶させれば……あるいはなにか…なにか方法があるはずだ。なにか――」
「アッシュ」
アッシュの名をよびながら、エフィルは手の平をアッシュへとむけた。と、突如アッシュの体から、力がガクンとぬけた。
「エフィル…!?」
「………」
エフィルが、アッシュの許可なく、彼の魂を吸いとっていた。同時に彼女の持つ鎌が、青白く輝く。
アッシュがためらうならば、かわりに私がとどめを刺そう。そういう意図が見える。が、
「やめろ! エフィル!」
アッシュが、声に力をこめて発した。予想以上の剣幕に、エフィルははっとし、捕食を中断する。
「……アイレスは助ける。それをしなければ、意味がないんだ」
「でも」
言いよどむエフィル。と、その背後にせまっていたカーストが、腕をふるった。とっさに鎌で拳を受け止めたが、軽い彼女の体はかなりの距離を
吹き飛ばされた。
「エフィル!」
呼びかけながら、アッシュは立ちふさがってカーストの拳を受け止める。と、豪腕で体を殴打され、よろめいた。
「そろそろ終わりにしよう」
カーストがほくそ笑んだ。唯一残っていた空ろな左目は、今はあざけるような笑みを映している。体のコントロールを全て奪い取ったのだろ
う。
そして、魔法詠唱。発動。
「サンダーストライク!」
「――!」
白と黄色の鮮烈な稲妻が、アッシュの体を貫いた。体を一瞬跳ねさせて、その場に、がくりと膝をつく。
「く……」
衣服には火が引火し、ところどころ肌を露出させる。それに、カーストは目を細めた。
「ほう。そういえば殴った感触が不思議だとは思っていたが・・・君は、アンデットだったのか。どうりで食べ物を食べなくてもいいわけだ。アンデットはあ
るい
は不老不死の究極系、か。できれば持ち帰って研究しておきたいところだが…。致し方ない。完膚なきまでに破壊した後、残った体だけでもビンつめで
持って帰ってあげようかな」
「…く!」
アッシュは低い姿勢から足払いをかけるが、カーストの足はびくともしなかった。腕でたやすく、アッシュを払いのける。そして二度目の魔法詠
唱。術が高
速で練り上げられ、放たれる。
「これで終わりだよ」
エナジー・ヴォルテックス
すさまじい雷光が、カーストの手のひらで弾ける。その雷光からすさまじい光量が放たれた。
しかし、光がアッシュを貫く直前、その眼前に、黒い影が躍った。
「紫玉の盾よ」
「――エフィル!」
爆発し、莫大な光が爆ぜた。その衝撃で、エフィルの小さな体が大きくはじかれる。
「エフィル、無事か!?」
「髪が、こげた」
そう不機嫌そうに返す。台詞だけならば余裕はある。が、彼女の指先はやや黒ずみ、かすかな傷が走っていた。
ライトヒールをしばらくかけ、手を握って生気を吸い取らさせる。そうすると、エフィルの状態もいくらか和らいだ。
「なんだか、今日のアッシュはらしくない」
「…なに?」
「アイレスを助けるのは無理、よ」
「………っ」
核心を射た痛烈なエフィルの一言に、アッシュはかすかに声をつまらせる。
「それが私たちにできる最善のことならば、安らかに眠らせるべきじゃないの? アイレスは、殺してって言ったんだよ?」
「……だが、助ける方法は、あるんだ!」
「私たちには、無理だわ。それだけの力が、私たちにはない」
「…………」
「アッシュ?」
エフィルの体を地面に横たえ、アッシュは立ち上がった。
エフィルの体を背後にかばい、短剣を両腕にかまえる。
背後から、エフィルが声をかけてくるが、それを黙殺する。
アッシュは自覚していた。自分が無力な存在であるということを。
まだディアスにいたころは、バルバシアの手から仲間達を守ってやることができなかった。
リーブルフォートへの船上では、アゴニー達に気の利いた台詞を言ってやれなかった。
ティターニアでは、ジェイドにまんまとだまされた。エフィルを疑い、怪我を負わせた。
それだけではない、この旅のさなか――アッシュが無力を痛感したのは、まだ多々あった。
自分はあまりにも無力だ。この世に在っても無価値なほどにだ。
ならばここでアイレスを助けることができなければ、自分には、存在している意味がない。
意味がないならば、死んでもいいはずだ。
それが、アッシュという一人のアンデットにとっての存在理由だった。
三度目の魔法詠唱が行われ、魔力が解放される。
丘の上で、雷光が爆発した。白の奔流があたりを純白に染め、轟音を轟かせる。
鮮烈な輝きは、アッシュの体を直撃した。腕がはじけとび、宙に黒い灰が舞う。
着地した拍子に左足の灰の結合が一気に解かれた。ざーッとただの砂となり、膝をつく。体を支えるために唯一残っていた左手を地面につくと、そ
ちらもまた、一気に砕け散った。無様に、地面にうつ伏せに倒れ伏す。
「アッシュ………!」
遠くでエフィルが叫ぶ。地面に投げ出されたアッシュは、それ以上あがこうとは思わなかった。
ただ、彼の心のうちには不思議な安らぎがあった。それは生きるという枷から解き放たれるためか。いや、それともやれるだけのことはやったとい
う、自己満
足に過ぎないものだったのかもしれない。
カーストが、足を振り上げる。肥大化した足で、アッシュを踏み潰すつもりのようだ。
「アッシュ!!!」
エフィルが、大きな声で叫んだ。彼女がそんな大声を出せることにわずかに驚きながら、アッ
シュは、その時を待った。
だが、不思議とその時は、中々やってこなかった。
カーストが、苦痛の呻きを上げていた。なにごとかと、視線を上に上げれば、カーストが自分の頭をおさえてうめいている。体の統制がうまくとれ
ていないようだった。
姿の見えない誰かにむかって吼えている。エフィルでもない。アッシュでもない。とすれば。
「アイレス?」
「アッシュ…さんっ!」
カーストの口から――いや、アイレスの口から、彼の言葉が漏れた。弱々しい、搾り出すような声だった。
「お願いです……僕を殺してください!」
「な……!ふざけるな、私は…!」
「あなたには……僕を助けるのは、無理だから」
「………!」
はっとする。これから、自分が守ろうとする対象からの、拒絶。それはアッシュの胸のうちに深く響いた。彼のその言葉が、アッシュ自身を思い
やっての台詞であっても。
「あなたは……あなたはどうしても気にしてしまうから。だから、できれば、ここまでは来て欲しくなかった。でも僕はいいんです。それでも」
醜く肥大化した腕で頭部をおさえながら、アイレスが口にする。その表情は、腕に阻まれてアッシュから窺い知ることは出来ない。
「僕を、シリーナの元へと行かせて下さい」
「――!」
不意にアッシュが咆哮を上げた。全身にライトヒールをかけ、強固な意志で、一度は飛び散った灰を全て結合させ、体を復元する。
そして地面を蹴った。アイレスに肉薄したアッシュは、そこで肩を突き出し、体当たりを食らわせた。
鈍い衝撃と共に、後方に吹き飛ばされるアイレス。その背後には、足場がなかった。
崖を踏み外し、まっさかさまに落ちていくアイレス。
最後に野太い悲鳴を上げて、海面でしぶきが上がった。
「……アッシュ」
崖の淵にたたずむアッシュに、エフィルが、控えめに声をかける。崖を見下ろして微動だにしないように見えて、アッシュの肩は、小刻みに震えて
いる。
「くっ…そ……!」
「……哭いているの?」
「哭く? この私がか?」
背後のエフィルを振り返らず、アッシュは自嘲気味につぶやいた。
「この私が……哭けるわけがない。そう哭けるはずがないんだ!」
誰に対してでもない、しいて言うならば自分への怒りを感じてうちひしがれる彼の胸を覆うのは、悔しさと、無力感だった。
本当に、私がこの世でアンデットとして生きた意味は、一欠片もない
アッシュは、朱に染まった空を仰いだ。
ガリリ
手近なところから運んできた、一抱えもあるほどの岩に、アッシュが傷をつけていく。何かの刻印を刻み、そしてやがて満足したのか、それを、崖
の一番先端に置く。
それは墓標だった。海に散っていたシリーナという少女と、アイレスという少年の。
墓標の前で一度印をきり、少し黙祷した彼は、やがて顔をあげ、無言で振り返って歩き出す。エフィルは、その後ろには続かず、大空へと飛
び立った。
地面をゆっくり歩くアッシュ。ふと、彼の耳に、歌が届いた。
――パフ 魔法の竜が暮らしてた
歌うのは、空を舞うエフィル。たどたどしい口調で、かつて一度聞いた曲を、慎重になぞらう。
――歳をとらない竜とは違い
ジャッキーはいつしか大人になり
とうとうある日 遊びに来ない
さびしいパフは 涙を流す
みどりの鱗 流して泣いた
桜の道を散歩もせずに
ともだちはなく ひとりぽっち
頭を垂れて ほこらへ帰る
パフは、二番までは、少年ジャッキーとパフの楽しく遊ぶ姿が描かれる。
しかし最後は、ジャッキーは大人となってパフとは遊ばなくなり、一人ぼっちとなったパフは穴ぐらの奥底にこもるようになる。
元は、反戦の歌らしい。さわやかな歌いだしと、メロディーには似合わない、あるいは非常によく似合っている切ない歌詞。それが、アッシュは好
き
だった。
……それでも今聞くのは、こたえるな。
アッシュは、胸のうちでつぶやいた。
パフ 魔法の竜が暮らしてた
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