「も うお前には付き合えない」
「あたいらはな、あんたの家来じゃないんだ」
「ボクは……もっとノビノビと旅をしたい」
「もうお前は、貴族じゃないんだ。――お家再興? やめてくれ、こっちが迷惑だ」

 侮蔑の混じったことば。気づけば、喉から声が叫びが漏れていた。
――あんたらなんか、こっちから願い下げよ!

 遠ざかる背中。それを、一度も視線を外さないでにらみつける。
 自分が悪いとは思わなかった。惨めな気分もしない。怒りがこみ上げたが、彼らが悪かったわけでもな
かった。
 だが、ふと、彼女は気づいた。まだ自分の傍らに残る人間がいることに。
――あんたはあいつらと一緒にいかないの?
 いつも飄々としていていい加減な奴だった。だが決して他の四人と仲が悪かったわけもなかったし、むし
ろ彼らとは仲がよかったはずだ。
「誘われたんだけどな」
 男は、素直に返した。
「断っておいた」
――なんで?
 訊ね返す。不思議だった。彼が自分とともにいく理由が思い当たらない。
「あ? 別の仲間探すのが面めんどくせえじゃねぇか」
 男は、それだけを答えた。




  山もだいぶ半ばまで差しかかったという手ごたえがある。
 私とエフィル、ミーティア、トカイの四人は、続けて旅をしていた。度々バルバシア兵が身を潜めたそばを
通り過ぎ、勝てないと思った時は逃げ出 して、敵が少数の時は戦った。

 体を沈め、地面を這うように肉薄する。一刀一足、杖を握る魔導師の表情が強張る。
私は左右に握った短剣を閃かせた。魔導師の体に裂傷が穿たれ、血帯をたらしながら、地面にドゥ、と倒
れ伏した。
 短剣を外套の下の鞘に戻した。炎や鎌で援護していたエフィルが、私のとなりに降り立った。互いに目配
せを送る。
「そっちも終ったか?」
 響いた声に振り返ると、先に敵を打ち倒していたトカイが、剣を鞘に戻しながら訊ねてきた。
 私は頷いて示した後、聞き返した。
「そちらは大丈夫か?」
「ああ。ただ、ミーティアの奴が少し怪我しちまった。回復魔法を頼めるか?」
「了解した」
 私は頷き、ミーティアの方へとむかった。
 ミーティアの左腕からは血が出血していて、痛そうにかすかに顔をしかめていた。
 彼女の前で私は指で印を切り、手の平を傷口へとかざす。
「……ライトヒール」
 ほのかな淡い光がミーティアの体を包み込んだ。少しすると、ミーティアの傷は完全に塞がった。
「他に傷は無いか?」
 訊ね、何気なく私は彼女の顔をのぞき見た。
 するとなんだか仏頂面をしていた。困惑し、私は訊ね返す。
「どうした?」
「……大丈夫よ」
 彼女は小さな声でつぶやいた。そして私を押しのけて立ち上がる。
「こんな陰気臭いところ、さっさとおさらばしましょ。急ぐわよ」
 ミーティアは高飛車に言い放つと、背を向け、歩き出した。そしてふと振り返って、私に向かって言葉を吐
く。
「礼なんかしないからね」
  ミーティアは顔のむきを再び戻した。
  私は苦笑しながら、頭の後ろをかく。
誰も、して欲しいなんて思っていないんだがな。




  ほどなく歩いていると、トカイが何かを見つけて声を上げた。
「お……川だ!」
「川?」
「水?」
  私とミーティアが同時に聞き返したのにうなずき、トカイは一方を指差す。
  そちらを見てみると、たしかに陽光を反射する、水のきらめきが見て取れた。今まで虫の鳴き声に紛れて気づかなかったが、かすかに小川のせせらぎも聞こえて いることに気づいた。
  そちらの方へと近寄ってみると、透き通った水面には、数匹の魚の影も見えた。
「綺麗な水ね……これって飲めるかな?」
「魚も泳いでるし、大丈夫なんじゃないか? 水袋に汲んでおこうぜ」
「そうね……」
 二人はそう話し合って、水をくみ出した。だが私とエフィルには関係ない話だったので、後ろで傍観しておく。
 ――つもりだったが、エフィルが水面に立つと、水で自分の顔をはり出した。顔を洗うつもりらしい。
 まだ少しかかりそうだと思い、私は木々の幹によりかかって、くつろいでおくことにした。腕を組み、三人
の姿を眺めながら待った。
  と、ミーティアがトカイの側から立ち上がって、エフィルのそぼに向かっていき、何かを耳打ちした。二、三言ミーティアが言うと、エフィルもそれにうなずい て 示した。すると、
「決まりね!」
 と、突然ミーティアが喜色を含んだ声を上げた。トカイも何事かと二人を振り返る。
 私も気になって二人のそばに近寄ってみた。
「どうしたんだ?」
「これから私達二人は水浴びするから、あんだ達はどっか行ってて」
――…水浴び?
「……はぁ?」
 頓狂な声を上げたのは私ではない。――トカイだ。
…心情を言えば、私もトカイと同じ意見だったが。
「なに考えているんだ。ここは敵の砦の近くなんだぞ? それも水場の近くなんて目立つ場所で水浴びなん
て、無用心にもほどがある。奇襲を受けたらどうするんだよ」
「だから、あんた達が見張りするのよ」
 ミーティアは指をトカイに突きつけた。
「はぁっ?! やだぜ、そんなの。めんどくせぇ!」
「ああ、ちなみにのぞいたらあんたを殺すからね。アッシュ。この馬鹿、ちゃんと見張っていてね」
 ミーティアは一人勝手に話を進めた。エフィルの手を引き、川の上流の方にむかう。
「あっちの方が深そうね。岩があってちょうどいいし、あっちにしましょ」
  そのまま、エフィルをひきずって川をさかのぼっていった。聞く耳持たず。
「言っても無駄……のようだな」
「ああ……。ったく、かったりー…」



 エフィルとミーティアの二人は、周囲を大きな岩が乱立するいい場所を見つけたようで、その中へと入って
いった。
 私とトカイの二人は、わざわざミーティアから指定を受けて監視場所を指示されて、二人で暇を潰すことと
なった。


「天上天下唯我独尊だな」
 遠ざかるミーティアの姿を見て、しみじみと私はつぶやいた。
 トカイが聞き返してくる。
「なんて言う意味だよ」
「”世界は私を中心にまわっている”」
「あー…、なるほど…」
 トカイも空を仰いでしみじみと同意した。


「ひゃー、つめたい!」
 ミーティアは派手に水しぶきを上げながら、歓声を上げた。台詞とは裏腹に嬉しそうだ。
 川の深さは中々で、二人の腰よりも少し上程度だ。底にある少し大きな岩に腰掛ければ、ちょうど首だけ
が出るだけとちょうどいい。
  おまけにここは川が二手に分岐する三角州で、水がほどよく滞留するあまり流れの速くないところだ。流
れに抵抗する必要が無いので、二人はゆったりとくつろげた。
 ミーティアは水しぶきを上げて冷たい冷や水を堪能すると、今度は、同じく水面に体を沈めるエフィルにた
ずねた。
「ね、エフィル、どう?」
  同意を求めると、エフィルは小さくうなずいた。そのエフィルの髪が、リボンで結ばれていることに気づいた。
「あ、リボンで結んだんだ」
「髪が邪魔だったから…」
 エフィルは答えると、細い肩に張り付いていた一房の髪を払った。
 その仕草を見て、ショートカットのミーティアはたずねる。
「そんなに長くて、邪魔じゃない?」
 エフィルは首を振った。そして付け足す。
「それに……あまり切りたくないから……」
「ふぅーん? 願がけでもしてるの?」
 すると、エフィルはうなずいた。ミーティアは身を乗り出した
「へぇ……なになに? なんの? ……やっぱり?」
 含んだ物言いをするミーティアに、エフィルは首を振った。
「よくわからないけど……ちがうわ。これは、私が昔あった人に合うための願がけ」
「……昔あった人? アッシュじゃないわよね」
 エフィルはコクリとうなずいた。ミーティアは首をかしげる。
「ふぅーん? 気になるけど、まあいいっか」
 ミーティアは水面をパシャパシャと叩き、顔を洗った。そして鼻歌を歌いながら、ゆったりとくつろいでいた。
「あの……ミーティア」
「ん? なに?」
 初めてエフィルから声をかけてきた。ミーティアはかすかに驚いた面持ちで聞き返す。
「なんで……ミーティアは旅をしているの?」
「あたし?」
 ミーティアは自分を指差してきょとんとした顔をした。エフィルがうなずくのを見ると、そうね…と少し言葉を
濁らせる。
「あたしはね、盗られた物を取り返すために旅をしているの」
「盗られた物?」
「そ。――あたしの家は、自分で言うのもなんだけどすっごい名家でね。屋敷も大きかったし、メイドとか執
事もたくさんいたわ。食事も一流のフルコース。――でも、それをあいつらが持っていった」
「あいつら…?」
「シェンドリックとその配下」
 ミーティアは端的に言葉を吐いた。エフィルは、その名に心当たりがあった。
――アッシュの故郷の王様…
「父が不正をしていたんですって。それは事実よ。証拠もあるし、私も知っていた。でもね、それには事情
だってあるのよ。アデンって街、知ってる?」
 エフィルは首を左右に振った。
「別名娯楽都市。……といっても20年も前、私はまだ物心ついていなかったころの話なんだけど。カジノや
コロシアムがあって、帝国の金庫と呼ばれるほどの大金が一日で動いていたそうよ。そして、虚飾と虚勢
の街。みんな必要以上に着飾って、自分を大きくしないとなめられてしまう。そして顔役だった私の父は、
他人になめられるわけにはいかなかった」
 ミーティアはつらつらと述べ続けた。
「なめられるわけにはいかなかったし、相手に踏み台にするには相手を踏み台にするしかなかったもの。
正当防衛よ。それにお父様だって私利私欲のためだけに金を集めていたんじゃない。街を守るため、より
発展させるためにお金を使っていたし、色々な施設に寄付もしていた。それなのに、あのシェンドリック達
は…」
 口惜しそうにミーティアは唇を噛んだ。
 その様子を、エフィルは水に体を沈め、じっと見つめていた。



  時は少しさかのぼる。

「あっちー…」
 トカイがうめいた。太陽は中天にさしかかり、さんさんと陽の光が照らしつけていた。ミーティアが指定した
監視場所は直に直射日光を浴びるので、トカイはかなりだれた様子である。
「俺も水浴びしたい気分だぜ…」
  私はうめくトカイに笑いかけた。
「それならば、後でミーティアに頼んだらどうだ? 私達はかまわんぞ」
「……そうしようかな。しかしあんた、よくそんな格好で暑くないな?」
「暑いのは得意なんだよ」
 私は声に笑いをにじませながら答えた。灰だけという体だが、私には触覚がある。当然暑さも感じるわけ
だが、
今言ったとおりに暑いのは得意なほうだ。
 おまけにこの体は汗をかかないので、ベタつくこともない。
 私はフードを少し持ち上げ、視界を上に上げた。雲ひとつない青空。光り輝く太陽が草木を照らしている。
 夏は好きだ。
  そうやって呑気に空を眺めていたら、トカイがぼそりと漏らした。
「…暇だな…」
「ん……そうだな」
 同意してうなずく。そしてふと思い出す。
「そういえば、エフィルがミーティアから『しりとり』を教わったらしい」
「それじゃあそれするか? しりとり」
「男二人でか?」
「すこぶる怪しいな…。男二人でか…かまきり」
「結局するのか…。り…りす」
「すずめ」
「するめじゃなかったか。めだか」
「か……かまきり」
「最初に戻っているじゃないか…」
 私は頭を垂れた。そして二人全く同時に、盛大なため息をつく。
「やめよう。限りなく不毛だ」
「同感だ」
 うなずき、私は視界を何気なく正面にむけた。すると、その先の茂みがざわざわとざわめきはじめた。やがて、人影が三つ現れる。バルバシア兵 だ。
 トカイはそれを見てかすかに唇を曲げた。
「まだ、こっちの方が100倍楽しそうだな」
 音を立てて、鞘から剣が引き抜かれた。


「敵だ! 二人ともはやく準備しろ!」
 トカイが叫んだ時、二人はまだ水につかっていた。そこで響いたトカイの声に、二人は顔を上げる。
「敵だって」
「そうね。まったく、こんな時に…」
 ぶつくさと文句を言いながら、ミーティアは岩にかけていた衣服の類を手に取る。そしてエフィルを見た。
「エフィル、急いで着替えましょう。加勢しないとね」
  しかしエフィルは小さく首を振った。怪訝に思うミーティアの前で手の平に大鎌を生みだす。そして、それ
を何かの儀式の如く、一振りした。切っ先が水面をすべり、みなもを割る。
 ゴゥ
 突如、彼女を中心に紫色の炎が舞い上がった。それらが編み上げられ、彼女の体にまとわりつく。
 再度エフィルが鎌を振り、凛とした音を響かせた時、彼女は紫色のドレスをまとっていた。すそが陽炎の
ようにゆらめている。
 エフィルは漆黒の翼をはためかせ飛び立った。水面が揺らぎ付着していた水滴が飛び散る。そうして彼
女は空中に身を躍らせた。
 敵の一人に狙いを定め、急降下。手の中で大鎌の長い柄を一回点させ振るう。
「アッシュ、助太刀するわ」
 囁く。アッシュも両手に友人から送ってもらった短剣をかまえ、相手に斬りかかった。
 一方、トカイの方も奮戦していた。狂戦士の力を発動させ、咆哮を上げながら肉薄し剣を振りかぶる。
「まずは足をとめて……」
――バッシュII!
「そして――」
――飛び込み斬り!
「砕くッ!」
――強打II!
 遠心力をともなった斬撃がバルバシア兵の一人を吹き飛ばした。その背後で、風斬り音が空気を裂いて
鳴り響いた。
 三本の矢が風を巻き込みながら、背後で矢を番えていたバルバシア弓兵を急襲する。ミーティアのトリプ
ルショットだった。
「ミーティア、意外にはやかっ…」
 トカイは振り返ろうとした。だがそこに罵声が跳んだ。
「馬鹿、見るな!」
――アローレイン!
「うわっ?!」
 空から飛来した数十本の矢が、トカイを巻き込んで飛来する。そこにミーティアは赤面しながら叫んだ。
「まだ全部着てないのよっ!」
 とりあえず引っ掛けた衣服をおさえながら、ミーティアが叫んだ。トカイは慌てて前をむく。
「まるで漫才ね…」
「いわゆる夫婦漫才というやつか」
 端から好き勝手なことを言いながら、二人はタイミングを合わせて同時に斬りかかった。
「さっさと終らせるぞ」
「努力はするわ」
 二人は応じて、互いに武器を構えなおした。


「おーい、まだかー?」
「うるさいなぁ。もう少しだから待ってなさい」
 背を見せながらのトカイの問いかけに、ミーティアは無愛想に応じる。トカイの横ではアッシュが控え、同
じようにミーティア達のいる岩場に背をむけていた。
 その間にミーティアとエフィルは脱いでいた服に袖を通していく。しばらく衣擦れの音が響き、やがて二人
が岩場から現れた。
「おまたせ」
「準備はいいな? 先に行くぞ」
 他の三人がうなずくのを確認して、アッシュは歩き出した。トカイがそれに続き、エフィルとミーティアが並
んで歩く。
「いい湯だったわね」
 ミーティアがエフィルに問いかけた。『湯』という表現にかすかに疑問符を浮かべたが、エフィルはうなずき返す。
 そろそろ山の中腹にさしかかったことで、徐々に段差が少なくなり、下り坂を見せ始めていた。相変わら
ず草は足にまとわりついてくるが、重力に従うだけでペースが上がるのは気が楽だ。
「……?」
 そこでエフィルが不意に立ち止った。
「…あら、どうしたの? エフィル」
 立ち止ったエフィルに、ミーティアが問いかけた。先行していたアッシュとトカイもそれに気づき振り返る。
「何か、音が…」
「音? 虫の音ならさっきからしてるけど?」
 時期的に、かなり少なくなったがまだセミやその他の虫は、つがいを探し声高に鳴いている。だが、エフィ
ルは首を振った。
「違う……人の足音」
 その言葉に、トカイとアッシュは素早く周囲に視線を這わせた。ミーティアだけは腰に手を当て、平然とし
ている。
「どう? いる?」
「いや……そんな気配は」
 トカイは首をひねった。アッシュも首を振る。
 それを確認して、ミーティアはエフィルを見た。
「聞き間違いだったんじゃないの?」
「………」
 エフィルは沈黙で返した。その様子にミーティアは肩をすくめた。
「大丈夫みたいだから、先に行きましょう」
 ミーティアの先導にうなずき、四人は再び歩き出した。
 だがほどなく、彼らはそれが聞き間違いではないことを知った。



「これ、どうすんのよぅ…」
 弓をかまえながら、ミーティアが心細げにもらした。その横で似たように武器をかまえる三人のまわりは、
無数のバルバシア兵達が武器をかまえてぐるりと取り囲んでいた。
 おそらく、エフィルが聞いた足音も聞き間違いではなかったのだろう。もしかしたらあの時のは立ち去った音で、今まで応援を呼びに行っていたの かもしれない。
 周囲のほぼ全てはバルバシア兵に囲まれ、唯一開いた背後は崖――絶体絶命か。
 いや、一つ助かる方法があった。アッシュとトカイには無理だろうが、後の二人ならば…。
 そのことに、アッシュとトカイはほぼ同時に気づいた。互いに視線を交わすと同じ結論に到ったことを悟り、それぞれ動き出す。
 二人は反転した。
「え……?」
 突然の二人に奇行に、エフィル達は訝しんだ顔をした。だが二人がそのままむかってきた時には、驚いた表情に変えた。
「トカイ、一体なにをっ…キャァッ?」
 トカイは弓を構えるミーティアに肩から体当たりを食らわせた。か細い悲鳴を上げながらミーティアはよろめき、その足が背後の崖を踏み外した。
 アッシュといえば強引にエフィルの腕を掴んだかと思えば、そのまま体重を載せて押し込んだ。困惑の表情を浮かべながらも、エフィルはかすかな 抵抗のみで宙に放り出される。そこへトカイが叫んだ。
「エフィル! ミーティアを頼む!」
 請われてエフィルはハッとした。翼をはためかせ態勢を整え、悲鳴を上げながら崖を落下していくミー
ティアの体を抱え上げた。
 翼を広げて滑空する。浮力が足りないようで徐々にその高度を下げていたが、体を傾かせて旋回させ、奥の方に消えていった。
 そこまで確認したところで、アッシュ達はバルバシア兵たちに視線をむけた。
 二人は背中合わせに立つと、それぞれ両手に武器を構えた。



―――!
 体に浮遊感と空気の壁が突き刺さる。ミーティアは声の限り悲鳴を上げていた。
 だが不意に腹部に軽い衝撃を感じるとともに、浮遊感が和らいだのを悟って叫びをやめる。
「エ…フィル…?」
 自分の胴を抱え上げるのは、空に大きく漆黒の翼を広げたエフィルだった。空を滑空する彼女は、体を傾
けそのまま旋回、再び尾根の方に舞い戻った。
 翼をはためかせて制動をかけ、地面に着地する。ミーティアの体を地面に離した。
「いたっ…!」
 ミーティアはよろめいた。準備していないところで放り出されたので、足が草木にひっかかって前のめりに踏鞴を踏んだ。
「もっと優しく…!」
 つい口から罵声が出た。だがエフィルの表情を見て、息を飲む。飲まされた。
  ミーティアがその時見たのはエフィルの横顔で、
すでに飛び立つ態勢に入っていたその視線 は、真摯に彼方へとむけられていた。おそらくアッシュ達へと。
「まちなさい!」
 慌てて、ミーティアは呼び止めた。
  エフィルは振り返って、なに、と訊ね返す。
 ミーティアは一瞬返す言葉に窮したが、それを悟られまいと声を大きくして返す。
「戻るつもり!? あの数に!」
 エフィルは、当然のようにうなずいた。
「無理よ…! 死にに行くだけだわ!」
 ミーティアが声を張り上げた。だが、エフィルは首を振った。
「でも…アッシュがいるから」
「生き残れるわけないでしょ、あんたがいったからって!」
「関係ない…」
 エフィルはもう一度首を振った。背をむける。
「ミーティアは隠れてて。きっと、迎えにくるから」
「ちょ、まっ…!」
 エフィルは地を蹴った。一度慣性に身を任せて滑空し、気流を見つけて上昇する。そのまま木々のむこ
う、ミーティアからは見えない位置に消えていった。
「……あ……」
 ミーティアは一人残された。しばし呆然とエフィルが消えた方を見送った。
 それでも我を取り戻したとき、とりあえず動こうとすると、足首に激痛が走った。うめきをあげて地面に座り込んだ。
 どうやらさきほどの着地の時に、足をひねってしまったらしい。
「つ……」
 その場にへたりこむ。草木の生える地べたに、直に座り込む。
 一陣大きな風が吹いた。木々のこずえを揺らし、森全体がざわめく。
 森特有の、奇妙な沈黙の中、響くざわめきに、ミーティアはうすら寒いものを感じた。地面を這うように進み、巨木の陰に隠れるように身体をすべ り こませる。
  ミーティアは、一人でじっと待った。




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